僕らは網干にやってきた

昨年、14年ぶりに網干総合車両所の一般公開に足を運びましたが、今年も行ってきました。

網干総合車両所とは?

2000年代以降、JR各社で車両工場の再編が進んでいますが、JR西日本では特に顕著で、車庫と工場を合わせた「総合車両所」が在来線だけで5つ(網干・吹田・後藤・下関・金沢)、新幹線(博多・白山)も入れると7つあります。

網干総合車両所の前身は、鷹取工場・網干電車区・明石電車区で、鷹取工場の機能を網干電車区に統合し、明石電車区の車両検修部門は明石支所となっています。なお、明石電車区は運転士の基地として残っています。

なお、「網干総合車両所と付いていますが、姫路市網干区ではなく揖保郡太子町にあります。

その後、宮原総合運転所新大阪駅の近くにある。宮原電車区・宮原客車区・宮原機関区・宮原操車場を統合)、加古川鉄道部の車両検修部門を統合して現在に至ります。

統合前の各区所では、それぞれ以下のような業務を担当していました。

(その後統合された区所では…)

現在では以下のように分担しています。

  • 本所:
    • 京阪神地区の快速用車両(221系・223系・225系)が所属
    • 播但線の電車が所属
    • 各支所を含めた自所配置の電車の重要部検査・全般検査
    • 宮原の客車の重要部検査・全般検査
    • 岡山電車区の電車の重要部検査・全般検査
    • 姫路鉄道部・亀山鉄道部の気動車の重要部検査・全般検査(そのため、明石駅などで時々キハ120を見かける)
  • 明石支所
  • 宮原支所
    • 福知山線の快速用車両(223系・225系)が所属
    • TWILIGHT EXPRESS 瑞風が所属
    • 各種客車・工事列車牽引用のディーゼル機関車が所属
    • 傘下に野洲派出・米原派出を置くが、単なる留置線
    • 大阪止まりの列車が折り返す際、ここまで行って整備する

新旧トワイライトエクスプレス

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1988年に青函トンネルが開通し、北海道までレールがつながりました。これを機に、JR東日本JR北海道は上野~札幌で「北斗星」を運行開始しましたが、これが好評だったため翌年にはJR西日本も北海道への夜行列車に参入し、大阪~札幌で「トワイライトエクスプレス」を運行開始しました。
JR西日本が誇る豪華列車として長年君臨し続けてきましたが、車両の老朽化や、北海道新幹線の開業による架線電圧の昇圧に伴い、2015年春のダイヤ改正で運行を終了しました。しかし、運行終了を惜しむ声が乗客や旅行社から相次いだため、検査期限が切れるまで団体列車「特別なトワイライトエクスプレス」として1年間、最後の活躍を見せていました。こちらは北海道ではなく、当初は琵琶湖一周、のちに山陽・山陰エリアを中心として運行されており、以前は乗り入れていなかった九州へも足を延ばしたことがあります。

「特別なトワイライトエクスプレス」の後を受け継ぐ形で、2017年に「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」が運行を開始しました。JR九州が「ななつ星in九州」で先鞭をつけた、富裕層向けのクルーズ列車にJR西日本も参入しました。

北海道へ行っていた客車列車を「初代」、“瑞風”を2代目とする向きがあります。
北海道時代は交流電化区間がほとんどの日本海縦貫線を通っていたため、牽引機は青森までEF81が担当しており、連結器を密着自動連結器に変えた専用機は客車と色が揃えられていました。そして、「特別な - 」では山陽エリアを中心に走ることから、EF65が起用されていましたが、1124号機がトワイライトエクスプレス色に変わりました。

今回は“瑞風”の1・6~10号車と、「特別な - 」の牽引機だったEF65-1124が網干にやってきました。また、専用の制服を着た係員が来ており、車内で使用されている備品も展示されていました。JR西日本エリアの逸品が集められています。

今回は電源を切っていたためランプは全然ついていませんでしたが、テールランプはかつてのスカイラインGT-Rを思わせる丸型です。また、“瑞風”は客車ではなく気動車ですが、ディーゼルエンジンで発電し、その電気でモーターを駆動するという、どこかで見たような方式です。

スマホ時代の忘れ物

電車内での忘れ物放出セールをやっていました。梅田の阪神百貨店などで時々やっていますが、網干でも毎年やっています。

電車内での忘れ物といえば傘が圧倒的に多いのですが、近年はスマートフォンが幅広い層に普及しており、その関連の忘れ物が多数出ていました。
充電器・充電ケーブル・モバイルバッテリーです。充電器は、たまにフィーチャーフォン向けのものがあった以外はほとんどUSBケーブルを付け替えて使うもので、そのケーブルもmicroUSB、4SまでのiPhone向けのDockコネクタ、Lightningコネクタのものなど多数ありました。

105系 in 網干

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網干では岡山電車区の電車も検査を受けており、105系が来ていました。福塩線の電化区間で使用されていますが、岡山電車区に出入りするため岡山~福山の一部列車でも使われています。

山陽地区の103系105系113系115系は2009年からすべて黄色く塗られています。かつての福塩線カラーは、黄色に青い帯という、初期の福知山線113系ドクターイエローのような色でしたが、2017年までに黄色だけに塗りなおされました。

福塩線105系は、1981年に旧性能電車を置き換えるために新造投入されたグループで、一部が213系に追われて和歌山へ行った程度です。

初代マリンライナー

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国鉄最後の新形式として知られる213系。顔は211系で、インテリアは117系というものです。短い編成で走れるよう、国鉄電車の標準であるMM'ユニット方式ではなく、動力車1両に主要機器をすべて固めた1M方式をとっています。もともと、横須賀線総武線快速に211系を導入する際、勾配だらけの地下線を走るのに211系では基本編成が4M7Tという編成になってしまい力不足になるのと、だからと言って6M5Tにしてしまうとコストダウンにならないため、1M方式の動力車を入れて5M6Tにしようという発想で設計されていたのですが、211系の横須賀線導入計画がおじゃんになってしまい、これが宙に浮いたのを、岡山地区向けの新型車両に応用したものとも言われています。なお、213系の足回りに211系の車体を組み合わせたものが、JR東海の「クモハ211-6000」です。

瀬戸大橋の開通は1988年4月10日ですが、213系は1987年に導入されています。3両編成が8本投入され、岡山~児島の快速「備讃ライナー」に9両編成で使われていました。この列車は、今では当たり前となった全席禁煙の快速です。当時は西明石以西では車内での喫煙がOKだったので、全席禁煙の普通・快速列車は画期的でした。

その後、瀬戸大橋線が開通し、「備讃ライナー」が児島から高松に行先を変えて「マリンライナー」になると、ハイデッカーのパノラマグリーン車・クロ212が3両新造されました。2編成はクハ212と差し替えられ、1編成は3両とも新造されており、グリーン車付きの編成が3本用意されています。余ったクハ212はクモハ213を1両追加で新造したうえで組み合わせ、普通車のみの編成が7本、グリーン車付きの編成が3本用意されています。さらに、クロ212を3両編成にしたような団体用車両として「スーパーサルーンゆめじ」も投入されましたが、こちらは車体が重いことから足回りは211系のものが使われており、この2両(クモロ211・モロ210)がJR西日本で唯一の211系となっていました。
当初は1時間おきに運行されており、「備讃ライナー」時代と同じく9両編成で運行されていましたが、折しも訪れた瀬戸大橋ブームで乗客が激増しており、213系や“ゆめじ”以外の車両(115系117系221系など)で臨時便が出されたり、“ゆめじ”編成をばらして通常の9両編成の岡山方につないで11両編成になることもありました。
1989年にグリーン車付きの編成を2編成投入し、基本を6両編成として30分間隔で運行されるようになりました。

しかし、運行開始から15年しか経過していなかったものの、海の上を走ることから塩害に悩まされていたほか、JR西日本の車両を使っていたためにJR四国が車両使用料を支払う必要があり、費用負担で苦しんでいたことから、新型車両を共同開発して置き換えることになり、基本編成はJR四国の5000系、付属編成はJR西日本の223系5000番台に置き換えられました。なお、5000系の自由席車両は223系そのものです。

213系はどうなったかというと、一部のクロ212とサハ213が廃車になったほか、技術試験車「U@tech」になった車両以外はすべて残って岡山地区の普通列車として活躍しており、サハ213は高松寄りに運転台を取り付けて「クハ212-100」に生まれ変わりました。先頭構体(白い部分)がオリジナルのクハ212より長いのと、灯火類が四角いのですぐわかります。

2012年からは体質改善工事が行われており、座席は225系に準じたものに交換され、行先表示器がLED化され、車内のすべてのドア上にLED案内表示機が付いています。

網干に来ていたのは、体質改善以外は手を加えていないC05編成で、C04~C06編成が3両編成のまま残されています。

車輪をきれいに

電車の車輪は、最初は形が整っているのですが、走っているうちに空転したり、きついブレーキをかけてロックして滑って削れる*1などして形が変わってしまいます。これを放置すると、異常振動が起きて乗り心地は悪くなり、さらに騒音の原因ともなるため、定期的に削って形を整えてやる必要があります。

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かなり走り込んだ車両の車輪です。これを、台車から外して車輪旋盤にセットします。

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車輪旋盤で削っています。かなり深く削り込むようです。

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ここまできれいになりました。これでまた走ります。

なお、削れば削るほど直径が小さくなるため、直径が一定値より小さくなると車輪を丸ごと交換します。

なお、JR西日本では輪軸を台車枠から外して旋盤にセットするのですが、一部の私鉄では台車枠から外さずに削ることができるものもあります。

小さくてパワフル

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これは、221系のモーター(直流直巻電動機)です。221系の足回りは211系・213系をベースとしており、モーターの出力は120kWです。減速機も211系と同じ16:83のものを使用しています。

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これは、223系のモーター(三相交流誘導電動機)です。221系のものと比較して、ブラシがない分小型軽量化されており、出力も220kWと大幅に上がっています。なお、一部の車両には絶縁を強化して出力を230kWに上げたものがついています。

ただ今リニューアル中

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1991年に登場した、JR西日本初の通勤電車・207系。もともと、片福連絡線JR東西線)向けの車両として開発されており、それに先立って片町線福知山線の101系・103系を置き換えるべく、かなり早い時期から投入されていました。それゆえに、製造から20年以上経過しており、321系と比べても各所で見劣りがしていました。

そのため、2014年からリニューアル工事を行い、現在は3割がた完了しています。

工事にあたっては、車体に補強を施すため内装をすべて取り外しています。そのため、車体の骨格が丸見えです。

車体のみならず、足回りにも手を加えています。インバータ制御の電車では、抵抗制御の車両では考えられなかった、半導体素子の経年劣化という問題に直面しており、インバータを丸ごと交換しています。

このほか、顔にも手が入れられており、321系風の顔になっています。

当初、0番台の量産車のみが対象でしたが、1000番台も施工しています。

更新内容

  • 車体の補強
  • 各種電子機器の更新
  • 行先表示のフルカラーLED化(フォーマットは227系に準じるが、種別表示がない)
  • 顔を321系風に整形
  • ヘッドライトをHID化し、フォグランプを追加(以上は4両編成のクハ207・クモハ207と3両編成のクハ206のみ)
  • 先頭部に転落防止ほろを追加(4両編成のクハ206と3両編成のクモハ207のみ)
  • 車いすスペースを新設(両先頭車)
  • 車内照明器具のLED化
  • 座席を6人掛けに変更し、3人ずつに分割
  • 座席両端に仕切り板を追加
  • 手すりを新設
  • つり革を増加

イコちゃんがいっぱい

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2003年にサービスを開始した「ICOCA」、そのマスコットキャラクターとして「カモノハシのイコちゃん」がいます。あくまでもICOCAのマスコットという位置づけですが、みどりの窓口にぬいぐるみが飾ってあったり、社会人野球の大会にJR西日本の野球部が出た際は応援に駆け付けるなど、実質的にJR西日本全体のマスコットという位置づけもなされています。なお、Suicaのペンギンは古くからの親友とのことです。

JR西日本のイベントでは必ずどこかに出没するのですが、昨年は社会人野球日本選手権の応援で京セラドームに行っていたためいませんでした。しかし、今年は着ぐるみが出てきました。

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着ぐるみ以外でも、いたるところにイコちゃんがいました。

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また、姫路列車区の顔出し看板(キハ189系はまかぜ」を運転しているような体で写真が撮れる)でも、子供の気を引くのにイコちゃんのぬいぐるみを使っていました。

イコちゃんの仲間としては、かつての「こどもICOCA*2と同じ色で帽子をかぶった「カモノハシのイコ太」と、リボンをつけた「カモノハシのイコ美」、体がシルバーでがま口をぶら下げた「スマートイコちゃん」がいます。

*1:これでできた傷を「フラット」という。きついブレーキをかけても車輪がロックしないよう、「フラット防止装置」という名のABSが付いている。実は、ABSが初めて装備された乗り物は自動車ではなく電車で、日本では0系新幹線から装備されている

*2:2015年までは、JR西日本で発売していた「こどもICOCA」の色は薄い黄色だった。京阪・近鉄では通常のICOCAに子供料金で処理するよう情報を書き込んだだけのもので、のちにJR西日本でも通常のICOCAに子供料金で処理するよう情報を書き込むだけになった。なお、2013年11月からは通常のICOCAにもイコちゃんが描かれている

近鉄電車の小ネタ集 from 五位堂&高安

昨年「きんてつ鉄道まつり」に初めて行ってきましたが、この時は大阪地区ではスケジュールが合わなかったことや、台風で1日中止になってしまったため、代わりに四日市は塩浜まで足を延ばしました。

そして、今年はようやく、大阪地区での開催分に足を運ぶことができました。

近鉄の工場の配置

昨年と同じようなことを書いていますが、今回は大阪地区(上本町営業局・天王寺営業局→大阪輸送統括部→大阪統括部)と名古屋地区(名古屋営業局→名古屋輸送統括部→名古屋統括部)に分けてまとめなおしました。

大阪地区

名古屋地区

太字:特急の折り返し整備を行う箇所

塩浜に工場機能が残っているのは、以前は車両の共通化が現在ほど進んでおらず、名古屋地区の電車には抑速ブレーキがなく青山峠を越えて五位堂まで行けないものが多く存在したため、青山峠を越える必要がないよう塩浜で検査できるようにしたことや、五位堂での検査能力の関係です。

また、特急の折り返し整備については、難波発着は東花園、上本町(地上ホーム)発着は高安、奈良発着は西大寺、名古屋発着は米野で行っているようで、難波に着いてから東花園へ行くアーバンライナーの回送列車を時折見かけます。ただし例外もあり、名古屋駅に到着後、その場で掃除して折り返し便として走ることや、「しまかぜ」の入出庫回送は難波~高安、京都~西大寺、名古屋~富吉を走る、ということもあります。

なお、大阪地区と名古屋地区の境目は新青山トンネルの大阪側の入り口です。

撮影会

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今年の五位堂での撮影会ラインナップは以下の通りです。

21000系と22600系は、もはや説明不要です。近鉄といえば21000系「アーバンライナー」、というイメージが付いていたこともありました。

2013系「つどい」

当初は、伊勢志摩エリアにおける「しまかぜ」と並ぶもう一つの観光列車として企画・運行されていたのですが、2018年に湯の山温泉の開湯1300年記念キャンペーンを行うに当たってリニューアルされました。

初期のカラフルな装いから、「SLばんえつ物語」をほうふつとさせる落ち着いた塗装に変わっています。全体的に、落ち着いた大人の移動空間といった感じです。

8400系

奈良線の昇圧を前にして登場した一般車で、3両以上の編成を組むため、主要機器を長編成に対応した大容量のものに変更しています。

3両編成と4両編成が存在し、3両編成は全編成がワンマン運転に対応しています。かつては京都線の各駅停車で3両編成があったほか、急行も5両編成があったことから、そちらで使用されていたようですが、現在は3両編成単独で田原本線で使われているほか、奈良線では2本つないで6両編成にして使います。

このほど、田原本線の開業100周年を記念して、1970年代まで見られた初代600系の色に塗って7月から走っています。

はかるくん

これまで夜間に低速で行っていた電気・信号関係の検測を、昼間に高速で行えるように、2410系を改造して導入した電気検測車です。

電気・信号関係の測定機器と、測定用のパンタグラフを、大阪寄りの車両(クワ25)に積んでいます。測定機器はこちらに集約しており、南大阪線養老線の検測の際には、この車両だけ狭軌の台車に履き替えて、南大阪線では6200系、養老線では610系に連結して走ります。

五位堂なのに南大阪線

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行先表示を見ればわかりますが、この電車は南大阪線の6400系です。南大阪線初のインバータ制御の電車です。

以前は、南大阪線の電車は古市工場で全般検査・重要部検査をしていたのですが、1982年に高安工場・玉川工場とともに、新設された五位堂検修車庫にその機能を移管して廃止されました。6400系は1986年に登場したので、古市工場はすでに廃止されており、登場以来、五位堂で全般検査・重要部検査を受けています。
しかし、南大阪線軌間は1067mm、大阪線などの軌間は1435mmで、このままでは五位堂まで行けません。

で、どのようにして五位堂へ連れて行くのかというと、橿原神宮前駅の東の端に台車の交換設備があり、まずはそこまで回送します。ここでモト97・98(電動貨車)が待機しています。
4線区間に入り、車体をジャッキで支え、台車が載っている道床を下げて本来の台車を外します。そして、台車ごと道床をずらして標準軌の仮台車を移動させ、道床を上げて仮台車をはかせます。
電動貨車に本来の台車を積み、前後に連結して橿原線に入り、八木西口から大阪線に入って五位堂まで行きます。

南大阪線に帰るときはその逆の手順を取ります。

今年は、南大阪線の電車であることがわかりやすいよう、表示を「区間急行 大阪阿部野橋」にしていました。

バスにもあるビスタカー

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その昔、2階建ての電車を始めて走らせたのは近鉄でした。1958年に登場した10000系がその始まりで、その翌年に登場した10100系で「近鉄特急といえば2階建て、ビスタカー」というイメージを確立させました。

鉄道でビスタカーが大成功を収めたことから、今度は当時直営だったバス部門でも2階建て車両を導入しようということになり、日野自動車の協力を得て、日野のシャーシに近畿車輛で製造した2階建ての車体を載せて、日本初の2階建てバス「ビスタコーチ」を1960年に登場させました。その後も数台導入しており、1980年代に2階建てバスのブームが到来した際は、日野で唯一の2階建てバス「グランビュー」の第1号車を導入してバス版「ビスタカー」として走らせていました。また、夜行高速バスの輸送力増強用に三菱ふそうエアロキングを使っていたこともありました。

近年では、2階建てバスの屋根を取っ払った「オープントップバス」が各地で走っていますが、近鉄バスでもエアロキングを改造して「OSAKA SKY VISTA」として大阪市内の定期観光バスに投入しました。VISTAという言葉が入っていることで、歴代ビスタカー・ビスタコーチの伝統が受け継がれているのがわかります。

インバータ制御なのに?

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これは、22000系の床下についている抵抗器です。22000系はインバータ制御なのに、なぜ抵抗器が付いているのでしょうか。

答えは「発電ブレーキに使うため」です。インバータ制御の電車は、一部を除いて回生ブレーキが付いているのですが、近鉄大阪線の青山峠の前後などのような本数の少ない山岳区間では、他の電車が電力を消費することが前提となる回生ブレーキでは、ブレーキが効かなくなることがあります。特に、長い連続勾配では速度が上がりすぎないよう電気ブレーキ*1をかけて下るのですが、回生ブレーキが効かなくなってしまうと暴走してしまいます。特に、近鉄ではかつて奈良線でブレーキが故障して電車が暴走し、河内花園駅に止まっていた電車に追突したという事故があったため、ブレーキに関しては特に神経質になっています。なので、インバータ制御で回生ブレーキが使える車両でも、確実に効く発電ブレーキを装備しています。

近鉄では伝統的に自然通風式抵抗器を採用していますが、これは強制通風式(国鉄に多かった)だとブロワーが故障した際に熱がこもってしまい、抵抗器が熱ダレして発電ブレーキが効かなくなるためです。現在の発電ブレーキ用抵抗器も、自然通風式を採用しています。

近鉄吹奏楽

近鉄には、有志で結成された吹奏楽部「ミュージックメッセンジャーズ」があり、沿線の各種イベントに出向いて演奏しています。当然といえば当然ですが、五位堂でも毎年演奏しているようです。

レパートリーはいろいろあり、昭和歌謡メドレーやスタジオジブリ作品の主題歌などがあったほか、オリックス・バファローズの応援歌「SKY」も演奏していました。以前は「それ行けカープ」を演奏していたこともあったらしく、もう何でもありです。

近鉄にちなんだ曲は、名古屋駅の名阪特急専用発車メロディ「ドナウ川のさざなみ」を冒頭のチャイムから演奏した年もありましたが、毎年やっているのは、往年の近鉄のCMソング「近鉄特急の歌」です。1961年に発表され、1980年に再アレンジされましたが、アーバンライナーが登場した時期あたりからCMで流れなくなりました。

ここでは生歌唱もあります。歌詞は、1番が近鉄電車で通勤するお父さん、2番が近鉄百貨店へ買い物をしに行くお母さん、3番は近鉄電車で修学旅行や遠足に行く子供を描いたものです。「2階の電車」とはもちろんビスタカーのことです。

ただし、近年のバージョンでは歌詞が一部変わっており、2番の「きっとデパート近鉄ね」が、あべのハルカスにちなんで「きっとデパートハルカスね」に、3番の「名古屋 奈良や 大阪へ」が「名古屋 奈良や 伊勢志摩へ」*2に変わっています。なお、作詞者の事務所の承諾済みとのことです。

ここから近鉄の歴史は始まった

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現在の奈良線大阪線の一部にあたる区間(上本町~奈良)が「大阪電気軌道」として1914年に開業した際に導入された電車「デボ1形」(1950年の番号整理で「モ200形」となる)で、当初から生駒山を登って奈良まで行くことを念頭に置いており、それに見合った性能を確保すべく、当時の電車としては最強の120kW級のモーターを2台装備しています。このころの関西圏の14~15m級木造電車は、40kW級のモーターを4個搭載するのが通例でしたが、この電車はモーター2個だけでも、全体の出力はほぼ2倍です。

現在、近鉄の電車は連結器も含めた全長は20.7mですが、もともと路面電車上がりの路線だったことや、実際に奈良市内に併用軌道があったという事情から全長は15mに抑えられています。

1948年に生駒トンネルでブレーキが故障して暴走し、河内花園で先行列車に追突したのはこの車両です。直接の原因はブレーキのエアホースが劣化して破損し、ブレーキが効かなくなったのが原因ですが、通常はブレーキのエアホースが破損しても別系統の非常ブレーキが効くようになっています。しかし、時期が時期だけに資材不足で非常ブレーキを殺して資材を節約していたことから、ブレーキが全くないのと同じ状態になってしまい、大事故に至りました。

1964年に引退してからは、開業時の姿に復元したうえであやめ池遊園地に展示していましたが、閉園に伴い五位堂へ運び込まれ、現在は五位堂で屋根付きで保存されています。
近鉄では旧型電車をほとんど保存しておらず、この車両だけが残されています。

ミニスナックカー

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東海道新幹線が開通後の近鉄特急は、名阪間でガチンコ勝負を挑んでも勝負にならず、名阪甲特急(ノンストップ特急)は利用者が激減しました。その一方で、京都駅や名古屋駅近鉄線に接続しており、そこから奈良大和路・伊勢志摩へ向かう乗客が急増しました。そのため、京都~奈良・橿原*3・伊勢志摩、名古屋~伊勢志摩の特急が増強されました。

しかし、ここで問題となったのは京都発着の特急に使う車両です。当時、京都線橿原線の車両限界は大阪線と比べても小さく*4、また電圧も大阪線が1500Vなのに対して京都線橿原線は600Vのままでした。その一方で、将来的に車両限界を拡大し、電圧も1500Vに上げるというプランがあり、これらの工事が完成すると大阪線などと車両を共通化できるようになるため、この時点で京都線橿原線大阪線を直通できる特殊設計(小型・複電圧対応)の車両を作っても将来は不要になり、投資が無駄になることから、なかなか製造に踏み切れませんでした。

当初、京都発着の特急は橿原神宮前行きのものしかなく、伊勢志摩方面へは大和八木で大阪発の特急に乗り換えてもらうことで対応していました。運行開始当初は試行的な要素が強く、これも車両の製造をためらわせる原因となりました。しかし、使われていたのは旧型車を少し改造した程度の車両であり、大阪~名古屋・伊勢志摩の特急と比べるとグレードが低く、予備編成ともなるとさらに質が低いものでした。さらに、京都~奈良の特急も設定されたことから、その予備編成まで駆り出されるのが日常化してしまい、特急料金を取っているのにこの程度の車両しか使えないことが問題となっており、何か策を打たなければいけない状態になってしまいました。

結局、車体は小型のものを新造し、足回りは旧型車から流用するという妥協案がまとまり、18000系として製造されました。車体幅は2590mm、全長は18640mmで、現在の車両と比べるとはるかに小さく、車体幅はかつての大阪線の一般車(2740mm)より小さくなっています。この時は、まだ伊勢まで乗り入れていなかったため複電圧対応はなされておらず、1969年に1500Vへ昇圧したときは大改造を必要としました。

18000系の車体設計を踏襲し、新品の足回りと組み合わせたものが18200系で、18200系の投入に合わせて京都~伊勢志摩の特急が設定されました。橿原線大阪線を直通することから複電圧対応がなされており、昇圧後は回路を1500V用に固定して切り替え装置を撤去しています。また、八木で大阪からの特急と連結して走る*5ことがあったため、幅の違う特急車両がつながって走っていることもありました。なお、青山トンネル事故では18200系が京都行きの編成となっており、伊勢寄りに連結されていた*6ことで大きな被害はなく、京都で行われる予定だった医療関係の学会に向かうために医師が数人乗り合わせており、その医師が現場での応急治療にあたっていました。

京都線橿原線向けの小型特急車の最終形態として、大阪万博の直前に18400系が登場しました。この時点では、京都線の車両限界拡大工事は完成していましたが、橿原線ではまだ工事ができていなかったため*7大阪線の特急車両と完全に共通化できませんでした。しかし、橿原線でも一部の工事は完成してカーブが緩くなったこともあり、過渡期の設計として、幅こそ2670mmと狭いままですが、全長は大阪線の特急車と同じく20640mmまで伸ばされました。
最初の2編成は昇圧前に登場したため、複電圧対応がなされていますが、昇圧後に投入された編成は1500V専用で投入されています。
さらに、編成の構成も12200系などと揃えられています。これは、18200系は必ず伊勢寄りに連結しなければならず運用に支障をきたしていたことや、昇圧後は他の特急車と共通運用を組むためです。
12000系・12200系に合わせてスナックコーナー(軽食コーナー)も備えられており、その名も「ミニスナックカー」です。
座席は、18200系までは初期の0系新幹線や5200系のような転換クロスシートでしたが、18400系では回転させるときに軸を通路側に寄せて回転させるスペースを確保する、「偏心回転式リクライニングシート」が採用されました。しかし、室内の幅が狭く、窓際だと窓かまちの下に肘掛が潜り込んでしまい、肘を置けないだけではなく、テーブル*8を出せませんでした。

その後、1973年に橿原線も車両限界拡大工事が完成したことから、12200系などがそのまま乗り入れられるようになり、京都線橿原線向け小型特急車の歴史に幕を下ろしました。

18200系・18400系ともに、車体が小さく狭いために特急としては居住性に難があったことから、のちに団体専用車に改造されました、18200系には、20100系「あおぞら」の後継ということで「あおぞらII」の名称が与えられました。18400系は増結用だったため、塗装こそ「あおぞらII」と同じですが特に名前はありませんでした。

18200系は、定員が少ないことと120km/hで走行できないことが問題視されたことや、老朽化により、12200系を改造した15200系「新あおぞらII」(「あおぞらIII」ではない)に置き換えられて廃車になり、18400系も、15200系を追加で投入したことから廃車になりました。
18400系は、引退前に特急カラーに塗り替えられ、往年の特急ヘッドマークも復元されました。その状態で先頭部が切り取られ、高安車庫で保存されています。

主として京都発着の特急に使われていましたが、暗黒時代の名阪甲特急では12200系の2両編成でも供給過剰ということがあり、18200系や18400系が使用されていたこともありました。当時、近鉄の内部でも「1両で走れる特急車を作ろう」とか、「甲特急を廃止してすべて乙特急*9にしよう」という話が出ていたほどでした。

かなえられなかった夢

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近鉄唯一のオールステンレス車にして電機子チョッパ制御車・3000系。ステンレス車体電機子チョッパ制御の試験車という役割でしたが、実はもう一つ目的があり、京都市営地下鉄烏丸線に乗り入れるための車両という位置づけでありました。その証拠に、3000番台の形式が与えられています。

1979年当時、オールステンレス車は製造に関するライセンスの関係で、東急車輛以外のメーカーでは製造できませんでした。しかし、近畿車輛東急車輛(さらに、技術提携先のバッド社)が持つ特許に触れない製造方法を模索し、オールステンレス車の製造にこぎつけました。

硬く曲げ加工が難しいというステンレスの特性から、当時の近鉄電車とは異なりかなり角ばった車体となっており、後に登場した8810系やインバータ制御車を思わせるような形となっています。その一方で、ヘッドライトの間隔がのちの車両と比べて狭くなっていたり、下の標識灯が8000系などと同じものになっているなど、当時の車両の特徴も見られ、過渡期の車両という感じもします。
ステンレス車は塗装をしないという選択もでき、同時期の南海電車では全く塗装していないという例も見られますが、この車両は顔を近鉄マルーンで塗り、側面はのちのJR西日本ステンレス車のように、戸袋部に近鉄マルーンの塗装をしています。

そして、地下鉄に乗り入れるということから、なるべく地下で熱を撒き散らさないようにすることも求められていました。その答えが「電機子チョッパ制御」です。当時、地下鉄では広く使われていたのですが、使っているうちに「郊外電車には向かない」ということがわかってきました。近鉄でも、まずは地下鉄直通用車両に使ってみて、その結果をもとに全線へ展開することも検討していたようですが、結局は採用されませんでした。

のちのインバータ制御でも同じですが、チョッパ制御は制御器から誘導電流が漏れるため、信号機器に悪影響を与えることから沿線での対策も必要でした。よって、運用は誘導障害の対策がなされた京都線橿原線天理線に限られており、奈良線は京都発着便として西大寺~奈良を時折走る程度で、生駒越えのための抑速ブレーキは付いていたものの難波まで来ることはほとんどなく、検査のために玉川工場へ行く程度でした。

なお、烏丸線への乗り入れは京都駅以南の開通が大幅に遅れたため、1988年までずれ込みました。その間に、車体はアルミ製を標準とし、インバータ制御の実用化にもめどがついたため、烏丸線への乗り入れ車両は3200系として改めて登場し、3000系が烏丸線に乗り入れることはありませんでした。

このように、結果として異端児となった3000系は、21世紀に入ると制御器の故障などが多発して運用に入らなくなり、高安送りになった後2012年に廃車されました。先頭部が高安で保管されています。

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烏丸線乗り入れ車両として投入されたのは3200系で、3105Fが五位堂で整備を受けていました。

顔は、地下鉄ではよくある非常口をずらした非対称デザインで、3200系特有の顔ですが、車体・窓の並びは長らく前後非対称だったのが前後対称になり、これ以降の車両の標準となり、「シリーズ21」でも車体構造が変わっているものの、窓の並びは受け継がれています。

今では当たり前だけど

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近鉄でのインバータ制御車の始まりはかなり早く、1984年に1250系が登場したのが始まりです。その後、インバータ制御車が量産されるのに伴い「1420系」に変わっています。

初期の近鉄のインバータ制御車は、運転席の後ろに「VVVF INVERTER」のロゴが貼られていました。「VVVF」は三相交流の波形をイメージしたデザインとなっており、左上に「INVERTER」と書かれています。5800系では代わりに「L/C」ロゴが付き、シリーズ21けいはんな線の車両にはついていません。

しかし、現在ではインバータ制御が当たり前となってきたせいか、車体更新の際にVVVFロゴが外されており、現在ではほとんど見かけません。奈良線阪神線乗り入れ対応車は、VVVFロゴをはがした場所にちょうちょマーク(阪神線乗り入れ対応車を示す)が貼られています。なお、5800系も側面の「L/C」ロゴがはがされています。

1420系のVVVFロゴは、のちの量産車とは異なりステンレスのプレートを取り付けています。外すのに手間がかかるのか、近鉄初のインバータ制御車ということで記念碑的なものとして残しているかどうかははわかりませんが、他の車両のVVVFロゴがはがされてもそのまま残っています。したがって、近鉄VVVFロゴがあるのはこの2両だけです。

インバータ制御の電車に「VVVF」ロゴを貼っていた事業者としては、他には西鉄や大阪メトロがありますが、西鉄近鉄と同じようにロゴをはがしています。一方で、大阪メトロでは市営時代から形式ごとにロゴをデザインしており、最新の30000系でも新たにデザインを決めて貼り付けています。
また、JRグループでは、JR東海クモハ103-4を改造してインバータ制御の試験をしていましたが、このときにJRグループでは唯一の「VVVF」ロゴを貼りつけていました。

*1:摩擦ブレーキは熱でフェード現象が起きるため、抑速ブレーキには向かない

*2:1961年当時は鳥羽線が開通しておらず、今ほど伊勢志摩への観光輸送に力を入れていなかった。伊勢志摩への観光輸送に力を入れだしたのは、1964年に「伊勢志摩総合開発計画」を策定して伊勢志摩エリアの開発に取り組んでから

*3:橿原神宮前で吉野特急に乗り換えて、さらに吉野まで進む

*4:なお、奈良線は新生駒トンネルの開通を機に車両限界が拡大された。ただし、奈良線の場合は通勤ラッシュ対策として一般車の大型化による輸送力の増強に迫られたためで、大阪線と共通の大型の特急車を運行するためではない

*5:1975年までは大阪線に単線区間が残っており、線路容量が今より少なく、大阪発着と京都発着の特急を連結して走っていた

*6:12000系や12200系は、奈良線の一般車と同じく大阪・京都寄りにMc車を連結していたのに対して、18200系は逆で伊勢寄りにMc車を連結しており、Mc車を突き合わせるとパンタグラフ同士が近接して架線を痛めることから、12200系と18200系を連結する場合、18200系は必ず伊勢寄りに連結されていた

*7:橿原線の沿線には遺跡が非常に多く、工事にあたって事前に発掘調査をする必要があり、当初予定していた時期より大幅に工期が遅れた

*8:当時の近鉄特急は、肘掛の中にテーブルを収納するのが定番だった

*9:名阪乙特急(主要駅に停車)は、名張・桑名・四日市など新幹線が通らない途中駅からの需要をくみ取れていたことから、甲特急とは逆に乗客はかなり多かった

山陽5000系 Reborn,Rebirth,Renewal

http://www.sanyo-railway.co.jp/media/1540357349.pdf

1986年に登場した山陽5000系。当初、最後まで残った吊り掛け式の旧型車両を一掃するため、3両編成で普通車を中心に使われていました。普通車を中心とした運用ながら、固定式のクロスシートを装備するという破格の車両でしたが、のちに特急を中心とした運用にシフトしていき、最終的には初期の2編成以外はすべて6両編成まで伸ばされました。

その後、改良版として1997年に5030系が登場しました。5000系の足回りは界磁添加励磁制御でしたが、この時期にもなるとVVVFインバータ制御が実用化されて久しく、また3000系以来の「MB-3020S」モーターが生産中止となっていたため、VVVFインバータ制御が採用されました。座席は、翌年に阪神梅田駅への乗り入れを控えていたこともあり、クロスシートの配列が混雑対策として阪和線の223系・225系と同じく2+1列配置となっています。

5000系は登場から30年以上、5030系も登場から20年経過しており、6000系が登場した今ではあらゆる部分で見劣りがするようになりました。そこで、今年に入ってリニューアル工事が行われ、1編成が完成しました。

外観

外観には大幅に手が加えられており、おおむね6000系に準じたものとなっていますが、6000系とは異なり正面の貫通扉は赤く塗られていません。

ドアの両側には6000系と同じようなグラデーションが入れられていますが、6000系とは形が変わっています。

6000系と同じく、幕板にも帯が巻かれていますが、その途中には車両番号が書かれています。阪神梅田駅は改築に伴いホームドアが設置されるため、その対策でしょう。

そして、正面左側には6000系と同じく「SANYO ELECTRIC RAILWAY」と書かれています。

内装

かつては6両ともクロスシートが設置されていたのですが、リニューアルに伴い中央の2両を残してロングシート化されました。以前から1号車(梅田寄りの先頭車)のロングシート化が進められていましたが、リニューアル工事ではこれを進めて、一時期の阪神8000系リニューアル車と同じようになっています。クロスシートのまま残った車両も、5030系と同じ2+1配列となっています。座席の布地は、ロングシートクロスシートともに6000系と揃えられています。ロングシートの袖仕切りも、6000系と同じです。

山陽電車阪神電車ともに、改札口や階段が1・6号車の近くにある駅が多い(梅田・甲子園・御影・三宮・新開地・東二見・姫路など)ため、1・2・5・6号車をロングシートとしています。

ドアの上には、5000系では何もついていなかったのですが、6000系と同じLCD案内表示機が付きました。

このほか、車いす・ベビーカー用スペースを全車両に装備し、優先座席のつり革は関東の私鉄電車と同じくオレンジになっています。

省エネ

リニューアル時に界磁添加励磁制御だった車両は、リニューアル時にVVVFインバータ制御に載せ替えられています。これに伴い、2両1組だった動力車は1両が電装解除され、番号が変わっています。

今回リニューアルされたのは5004F(5004-5005-5502-5235-5252-5602)で、2001年のダイヤ改正直通特急を増発する際に5030系の中間動力車(5235・5252)を組み込んだ編成でした。5004と5005のみインバータ制御にされており、5004は電装解除して5702に、5005はインバータ制御に載せ替えて5802に番号が変わっています。しかし、阪神5700系に全く同じ番号の車両があり、阪神線で番号が被って都合が悪くないのかと思います。

室内の照明器具は、6000系と同じくLEDに変わりました。

M-Smile Presents HALLOWEEN PARTY 2018 -EMMA- 大阪

ここは、天国ですか。

みのりんのファンクラブイベントは毎年開催されていますが、今年は演劇に初挑戦です。
以前、座長公演という名の朗読劇をやりましたが、そこから先に進んで、今度は演劇です。声優・歌手に加えて女優と、3足のわらじをはくことになりました。

出演者

座長公演で協力を仰いだ、劇団5454(ランドリー)に今回も協力してもらっており、今回はその劇団員も何人か出演してもらっています。

  • 茅原実里
  • 春陽漁介(脚本・演出も兼任)
  • 板橋廉平
  • 村尾俊明
  • 榊木並
  • 高野アツシオ
  • 馬場一人(特別出演)

座長公演と似ているようで?

今回は、前半が演劇で後半がミニライブという構成でした。この構成に見覚えがあるような…と思いましたが、奈々さんの座長公演とは前半と後半が逆になっています。
2曲ずつ歌いましたが、昼と夜で曲が変わっています。「夢幻SPIRAL」は昼夜共通でしたが、1曲目は昼公演が「奇跡」、夜公演が「Little Wing」でした。

閻魔の部屋

作中で、魂が閻魔様(みのりん)のヒヤリングを受けるというシーンがありますが、そのシーンでのセットに見覚えがありました。「徹子の部屋」です。何となく似ているような気がしました。

途中で、黒瀬さん(ファンクラブのスタッフ)と宍戸さん(マネージャー、しーちゃん)が呼ばれて話をしていたのですが、FCイベントということでみのりんのライブなどに足しげく通っている人が多いため、行かないとわからないネタが多数でした。特に、しーちゃんは河口湖で踊らされていたのですが、ここでも踊らされました。

2年連続とはいかず

そして、ヒヤリングは各公演で3人ずつ観客が呼ばれることになりました。しかも、その中に顔見知りの人が何人もいました。

昨年、ステージに呼ばれてみのりんと一緒に歌ったので、今年も呼ばれるのではないかと期待していましたが、今年は呼ばれませんでした。

握手会

今年も、最後は握手会で締めました。今回は昼と夜の2回とも参加したため、2回握手できました。

その前に、みのりんのラジオに「秋葉原のSHOPチロルチョコに行き、そこでチロルチョコのバッグを買い、これを持って公開生放送に行った」というメールを出して読まれました。みのりんはまだSHOPチロルチョコに行ったことがないとのことだったので、そのバッグを持って1回目の握手会に臨みました。

いつ行っても、みのりんの手の感触は最高です。手を放したくありませんでした。

JR九州の駅番号

JRグループで駅番号を導入しているのは、長らくJR北海道JR四国だけという状態が続いていたのですが、2016年から本州3社も相次いで導入し、残るはJR九州だけというところまで進みました。

そのJR九州も、さる9月30日から北部九州地域に駅番号を導入し、JR旅客6社すべてが駅番号を導入しました。

番号のつけ方

番号のつけ方は、博多を通る路線(鹿児島本線福北ゆたか線)は博多を00として、博多から離れるにしたがって番号が大きくなります。これはJR北海道(札幌駅を01とする)に近いものとなっています。

しかし、それ以外の路線は番号の増える方向が一定していません。したがって、この下で路線ごとに説明します。

アルファベットは、1文字目はJR東日本と同じく「J」で統一し、2文字目は鹿児島本線をA(小倉・門司方面)、B(久留米・大牟田方面)として付けています。こちらも、アルファベットを振る順番に規則性が見られません。

鹿児島本線山陽本線

鹿児島本線博多駅を00として、両方向に番号が大きくなっていきます。

山陽本線は50番台に区分され、本州に向かって番号が大きくなります。JR西日本での駅番号がない下関駅にも番号が振られています。

  • 門司港:JA31
  • 下関:JA53
  • 門司:JA29・JA52
  • 小倉:JA28・JA51
  • 戸畑:JA25
  • 八幡:JA22
  • 黒崎:JA21
  • 折尾:JA19
  • 赤間:JA14
  • 福間:JA11
  • 古賀:JA09
  • 香椎:JA04
  • 吉塚:JA01
  • 博多:00
  • 竹下:JB01
  • 南福岡:JB03
  • 二日市:JB08
  • 原田(はるだ):JB10
  • 鳥栖:JB15
  • 久留米:JB17
  • 筑後船小屋:JB21
  • 大牟田:JB27
  • 荒尾:JB28

筑豊本線篠栗線

筑豊本線は運行系統が3分割されており、それぞれで番号が増えていく方向が異なります。

福北ゆたか線

この区間は単純で、博多から離れるにつれて番号が増え、筑豊本線に入ると鹿児島本線へ近づくにつれて番号が増えます。
一部の列車は折尾駅構内の短絡線経由で黒崎まで乗り入れますが、陣原・黒崎には鹿児島本線での番号だけ振られています。

若松線

折尾(JE01)から若松(JE06)へ向かって増えていきます。数字が増える方向は、「福北ゆたか線区間と方向は同じです。

原田線

この区間のみ、桂川~若松とは逆方向、つまり桂川(JG01)から原田(JG05)へ向かって番号が増えていきます。

香椎線

両側の駅でどの路線とも接続しておらず、鹿児島本線と接続する香椎駅篠栗線と接続する長者原駅はどちらも途中駅です。実際は、西戸崎から宇美までの連番となっています。

日豊本線

  • 小倉:JF01
  • 城野:JF04
  • 苅田:JF08
  • 行橋:JF10

長崎本線

日田彦山線

小倉~城野は日豊本線に乗り入れているという形ですが、日田彦山線での番号も別に振られています。

後藤寺線

筑肥線

筑肥線は電化区間と、唐津線への乗り入れ区間にある西唐津駅に番号が振られています。また、姪浜駅では地下鉄での番号「K01」も振られています。

「JK07」は、2019年に開業する「糸島高校前」に割り振られており、現状では欠番です。