茅原実里 出雲大社御奉納公演 ~一期一会~

素敵なご縁を、大切に。

昨年、奈々さんが声優として初めて出雲大社で奉納公演をやって大いに話題になりましたが、今年はみのりんもやりました。ということで、2年連続で行ってきました。

その前の週末は座長公演という名の朗読劇があり、そして今回の出雲大社奉納公演ということで、「みのりんに奈々さんが乗り移ってるやろ!?」と突っ込みたくなりました。

セットリスト

  1. 純白サンクチュアリィ
  2. Love Blossom
  3. Secret Season ~桜色の恋人~
  4. 優しい忘却
  5. Melty tale storage
  6. 境界の彼方
  7. ひとりにひとつの永遠
  8. 月の様に浮かんでる
  9. みちしるべ
  10. 憧れは流星のように
  11. FUTURE STAR
  12. Lush march!!
  13. Tomorrow's chance
  14. 通し道歌
  15. TERMINATED
  16. Paradise Lost
  17. ひとひらの願い
  18. Freedom Dreamer

奈々さんは17曲だったので、みのりんのほうが1曲多くなっています。ちなみに、奈々さんのセットリストはこちら。

  1. アヴァロンの王冠
  2. SEVEN
  3. LOVE&HISTORY
  4. 終末のラブソング
  5. 君よ叫べ
  6. 二人のMemory
  7. 「好き!」
  8. 時空サファイア
  9. suddenly~巡り合えて~
  10. METRO BAROQUE
  11. CEDRIC GLORIA
  12. Synchrogazer
  13. 残光のガイア
  14. テルミドール
  15. NAKED FEELS
  16. Astrogation
  17. 愛の星

サンクチュアリィで大切な歌を歌おう

1曲目は、みのりんの名刺代わりの曲ともいえる「純白サンクチュアリィ」でした。昨年末のライブでは歌っていなかったため、実に8か月ぶりです。

しかし、今回は出雲大社ということでアレンジが変わっており、三味線が加わっています。日本のサンクチュアリィで歌うのにふさわしい曲でした。

甲子園に続いて…

当日は、折から雨が降りしきっていたうえ、気温も前日と比べると10度も下がっていました。しかも、行く途中では蒜山高原SA(米子道)で4月なのに雪が降るという始末でした。
公演中も降り続けていたため、奈々さんの甲子園ライブを思い出しました。

そのため、衣装も好天を予想して「出雲でこんなの着ていいの?」と思うぐらいの露出度の高いものを用意していたのですが、あまりにも寒いため、途中で「Take the offensive」のフライトジャケットを着て歌うというはめになりました。ただし、奈々さんのようにカイロは用意していませんでした。

河口湖ステラシアターには可動式の屋根があるため、いざとなったら屋根を閉じることができるのですが、出雲大社にはそんなものはないため雨ざらしになってしまいます。

久々に歌う曲・定番曲

出雲ではレア曲を歌わなければならないというルールでもあるのか」というぐらい、今まで聞いたことのない曲や久々に披露する曲が多くなっていました。
今回は「FUTURE STAR」、「通し道歌」、「Melty tale storage」がこれに当たります。奈々さんは奈々さんで、「テルミドール」を披露していたこともあって、これでおあいこです。

その一方で、「Paradise Lost」や「Freedom Dreamer」といった定番の曲も披露していました。「出雲でパラロスはいいのか?」と思いましたが、奈々さんも出雲でSynchrogazerを歌ったので、別に問題はないでしょう。

そして、いつも通り旗を振りました。「Lush march!!」ばかりやっているような気がします。

みのりんトラベル in 出雲

2017年、公式ファンクラブ「M-Smile」開設5周年を記念して開催された「みのりんトラベル」。第1弾は沖縄でやっていましたが、好評につき出雲で第2弾をやることになりました。
沖縄には行けなかったので、その無念を晴らすため、出雲に行くことにしました。

1泊2日コースと2泊3日コースがあり、2泊3日コースは前日に出雲へ乗り込み、みのりん御一行を出迎えるというところから始まりました。共通の内容は、終演後にみのりんとハイタッチして、その日は出雲で一泊し、翌日に打ち上げランチパーティをやるというものです。今回は交通手段は各自で用意することになっていました。なので、マイカー参加もOKでした。今回は1泊2日コースに参加しました。

M-Smileに入会して以来、みのりんと握手したり一緒に歌ったり(!)したことがありますが、今回もみのりんとともに素敵な休日を過ごすことができました。

みのりんへの質問

土曜日までに、参加者にみのりんに聞きたいことを募っており、それを無作為に選んでみのりんが回答するというものでした。ちなみに私は「日本武道館・河口湖ステラシアター以外でライブをやりたい場所はあるか」と書いて出しました。

以前、奈々さんがやっていた「しゃべくり007」のパロディを期待していたのですが、実際はそういうことはなく、普通に選んで答えていました。みのりんのファンには変な質問をする人はいないようです。

その中で、「以前にも世界遺産でのライブのオファーがあったが、スケジュールが合わず断念した」とか、「出雲大社でライブといえば、昨年奈々さんがやっていた」という話題が出ました。

また、27歳のころのことはどうだったか、という質問に対して、生まれ年が推測できてしまうような回答をしていました。そういえば、みのりんは奈々さんと同い年*1だったような…。

みのりん楽曲ビンゴ

出雲国でやってもビンゴ(備後)とはこれいかに。

…という冗談はおいといて、みのりんの曲(キャラソン除く)でやるビンゴゲームです。67曲の中から24曲を選び、自分でビンゴカードを作ってやるというものでした。曲は、その時のみのりんの気分で選んでいました。
賞品は、出雲そば・ぜんざい(製造元の標準パッケージ)、Tシャツ・タオル・キングブレードの試作品(色が少し違う)、サイン入りポスター、物販会場に飾ってあった巨大タペストリー、出雲弁早押しクイズの出場権でした。

適当に選んで入れたのが災いして、リーチまで行ったものの、それ以降が続かず景品が出尽くしてしまいました。

出雲弁早押しクイズ

ビンゴの景品にあった謎のカード。それが何かは明かされていませんでしたが、ビンゴゲームが終わったところで、そのカードは「出雲弁早押しクイズの出場権」であることが明かされました。

最初の3問は一般的な出雲弁のクイズだったのですが、すでに「サイリュームをふてぶる」(=サイリュームを振る)というところで「このクイズはただの出雲弁クイズではない」と感じました。事実、次の2問は南千秋と長門有希のセリフを、最後の5問はみのりんの曲の歌詞を出雲弁にしたものでした。

もし出場権を得ていたら、出雲弁で歌ってやろうかと考えていました。

*1:学年は奈々さんのほうが一つ上

minori's theater ~CRAZY MANSION!!~ in 大阪・OBP

もうひとつの座長公演で、笑おう。

みのりんが以前から熱望していた“座長公演”という名の朗読劇。そんな夢が、今年実現しました。

声優仲間を引き連れて、東名阪で笑いの渦を起こしました。

今まで、みのりんのイベントは「歌手としてのみのりん」に注目して参加していたのですが、今回は初めて、「声優としてのみのりん」に注目して参加しました。

出演パターン

茅原 阿澄 高垣 日笠 山岡
3/10 名古屋
3/11 大阪
3/17 東京
3/18 東京 夜のみ
3/31 名古屋
4/1 大阪

アスミスは日曜日の昼下がりにレギュラーのラジオ番組があるため、日曜日は東京では夜のみ出られますが、大阪では出られません…と思ったら、千秋楽の夜の部で、ラジオの生放送を終えて東京から駆けつけてきました。昼はあやひーのエイプリルフールネタでしたが、夜は本当にやってきました。

大阪ではまた別の場所(なんばグランド花月の地下)でやっていたのですが、実はあやひーも好きなので、こちらは不参加であやひーが出るほうを選びました。

今日も元気にネタ満載

この朗読劇は、半分ぐらいアドリブで成り立っていますが、奈々さんの座長公演と同様、ネタ満載です。
しかし、アニメネタに偏っている奈々さんの座長公演とは異なり、みのりんの朗読劇ではアニメのみならず、お笑い芸人や政治家など、ネタが幅広くなっています。

たとえば、夜の部で車で移動するシーンでは、ひよっちが「何乗ってるの?」と言って、ゆりゆりに「トヨタ」と返され、「とよた」つながりで豊田真由子の「このハゲー!」を叫んでいました。さらに「違うだろー!」も叫んでいました。ひよっちはこれに加えて「日産にしろと言っただろ!」を付け加えていました(^^;
ちなみに、昼と夜で席が左右逆になっており、昼は輸入車ジャガー)を運転しているという設定になっていました。しかし、ジャガーは英国車なのに、なぜ左ハンドルなんでしょうね?

このほか、あやひーの最初の語りがどう聞いても『みなみけ』だったほか、佐村河内守、野々村竜太郎などスキャンダルのあった人物をネタにしていました。みのりん自身も「週刊文春」に撮られたことをネタにしていました。

あやひーの顔芸が炸裂

あやひーといえば、「スフィアクラブ」のころから顔芸で広く知られていますが、ここでもやっぱり顔芸が炸裂しました。

さらに、もともとダジャレばかり言うことも相まって、芸人気質のひよっちと合わせて「あやひーとひよっちは、NSCの何期生やろ?」と思いました。
実はひよっちも顔芸で知られていますが、あやひーほどではありません。

茅原実里 大いに唄う

夜の部では、なんとみのりんがアドリブで演歌を歌うという荒業に出ました。演歌といえば奈々さんですが、「みのりんも演歌いけるんやな」と思いました。
なお、歌詞はみのりんの知らないところで仕込んでいたのですが、メロディは全くの即興です。

千秋楽の夜公演のみ、「茅原実里 大いに唄う」というサブタイトルをつけてもいいぐらいでした。

スルッとKANSAI完全終了のお知らせ

阪急、阪神、能勢、北急におけるICOCAおよびICOCA定期券の発売:JR西日本

阪急、阪神、能勢、北急におけるICOCAおよびICOCA定期券の発売について|ニュースリリース|阪神電気鉄道株式会社

http://www.hankyu-hanshin.co.jp/file_sys/news/5840.pdf

1996年に始まった、全国初の広域な乗車カードのネットワーク「スルッとKANSAI」ですが、全国的に進んでいるICカード化に伴い、昨年3月末をもって発売を終了し、2018年1月末までは自動改札機で共通利用することができました。現在はそれぞれのカードの発行元で払い戻しを受け付けているほか、一部事業者(近鉄など)では自動券売機・精算機で使用することができるようです。

スルッとKANSAIでも独自のICカードとして「PiTaPa」を発行していますが、ICOCAなどとは異なり「ポストペイ(後払い)」というクレジットカードとなんら変わらないシステムを採用しています。ゆえに、発行時は一般的なクレジットカードと同じように審査が必要であることから、非常に手続きが面倒なため、ICOCAなどと比べると非常に発行枚数が少なくなっています。
各社ともポストペイならではの割引制度を充実させているのですが、定期券と比べると割引率が低く、また一部を除き定期券をIC化できないため、定期券のユーザーを取りこぼしてしまっています。

そのため、スルッとKANSAI加盟各社で独自のプリペイド式(ICOCAなどと同じ方式)のICカードを導入するという報道もありましたが、現実的なところで、JR西日本と提携してICOCAの取り扱いを開始し、そちらに移行するというようになりました。2011年の京阪電車、2012年の近鉄を皮切りに、2017年春には阪急阪神東宝グループではない事業者は一通り取り扱いを始めています。
また、JR西日本と私鉄・地下鉄の連絡定期券も、JR西日本での発行分はICOCAに対応し始めており、こちらは阪急・阪神でも対応しています。先行して導入した京阪・近鉄などでは、JR西日本が関係しない連絡定期券や、自社線内のみの定期券もICOCAで発売しており、近鉄に至ってはJR東海TOICA)や名鉄manaca)との連絡定期券も出しています。

話を定期券ではないICカードに戻すと、阪急阪神東宝グループのうち、神戸電鉄北神急行電鉄を除く4社(阪急電鉄能勢電鉄阪神電気鉄道北大阪急行電鉄)ではICOCAは取り扱わず、スルッとKANSAIカードの発売終了後もこの4社独自のカードとして「阪急 阪神 能勢 北急レールウェイカード」を発売していました。すでに発売済みのカードは、この4社に限り2018年2月以降も引き続き使用できます。

ところが、今日になってこの4社でもICOCAを発売すると突然発表されました。すでにJR西日本発行分の連絡定期券はICOCAで出されていますが、自社線内のみの定期券や、単なる乗車券タイプのものも取り扱われます。
これに伴い、“レールウェイカード”は来年春に発売を終了し、秋には自動改札機での利用を終了します。

関西でも、ついに磁気カードの時代が終わりを告げることになりました。残るは各社の専用タイプだけです。

阪急以外とは接続していない能勢電鉄はともかく、“レールウェイカード”エリア内の各社は非対応の路線(ICOCA取り扱い各社)に乗り入れているということもあり(阪急⇔Osaka Metro阪神⇔山陽・近鉄、北急⇔Osaka Metro)、うっかり乗り越してしまい、面倒なことになったとクレームが多かったのではないかと推測できます。また、JR西日本でもPiTaPaの割引制度を導入することが先に発表されており、そのバーターともとれます。
そもそも、阪急阪神東宝グループの内部でも乗車カードに対する態度に温度差があり、神戸電鉄北神急行電鉄は真っ先にICOCAに切り替えたほか、電子マネーにしても、阪神駅ナカにはICOCAで支払いができる店があります。

スルッとKANSAIのあゆみ

スルッとKANSAI以前に、関西圏の私鉄ではJRでいうところの「オレンジカード」のような、乗車前に切符に引き換えて使うプリペイドカードが発行されていました。近鉄の「パールカード」、大阪市営地下鉄の「タウンカード」、阪神電車の「ハープカード」などがありましたが、阪急の「ラガールカード」も、1989年の登場当時は券売機と精算機のみで使えるオレンジカード的なものでした。これは、自動改札機のシステム改修が間に合わなかったためで、自動改札機で使えるようになったのは1992年と、JR東日本営団地下鉄(両社とも1991年に開始)に先を越されました。それでも、日本の私鉄では初めてのストアードフェアシステムでした。JR東日本イオカード)や営団地下鉄(NSメトロカード)では当初一部路線でしか使用できなかったため、自社の全線で使えるものは阪急が初めてでした。

1994年には能勢電鉄でも「パストラルカード」を発売し、全く同じシステムを導入して共通利用できるようになりました。2社以上でのカードの共通化はこれが初めてです。ここで実績を積み上げ、1996年には阪神電車大阪市営地下鉄北大阪急行も自動改札機の更新と同時に参加して「スルッとKANSAI」に発展しました。

年表(磁気カード)

※電車のみ

在阪の大手私鉄のうち、近鉄は2001年とかなり後になって導入していますが、これは近鉄と阪急の関係が悪く、阪急主導のシステムを導入することを渋っていたためとされています。近鉄はどちらかというと親JRであり、同時期にはJスルーカードも導入しています。のちのICカードも、在阪大手私鉄では最後発であり、2012年以降はICOCAをメインに据えています。

年表(ICカード

カードの名称

*1:近鉄では、KIPSポイントカードと一体化した「KIPS ICOCA」も発売開始

*2:スルッとKANSAI非対応の「Kカード」もあったため、「スルッとKANSAI」を冠している

*3:スルッとKANSAI非対応の「トラフィカ京カード」と合わせると「京都」になる

2018年3月ダイヤ改正に寄せて

今年のJRグループダイヤ改正は、さる3月17日に実施されました。その中でも、JR西日本ダイヤ改正の中から気になった点をピックアップして紹介します。

JR総持寺駅

かつて、阪急総持寺駅の近くにはエレベーター・エスカレーターの「フジテック」の本社がありましたが、2006年に彦根に移転しました。余談ながら、新本社のそばには近江鉄道の新駅「フジテック前」が開業しています。なお旧本社もアフターサービスや遠隔監視の拠点として一部が残されています。

その後、この近辺に高層マンションを建てる計画が浮上したことから、2011年になってJR西日本茨木市デベロッパーとの間で新駅設置に関する協定が結ばれました。また、近くには阪急総持寺駅があることから、そこの客をむしり取ろうというJR西日本の戦略もあります。

工事が進捗した2017年になって、茨木市が新駅の駅名を一般公募しました。その結果、トップは「安威川」でしたが、阪急相川駅と間違えやすいのか、理由はわかりませんが「JR総持寺」に決定しました。
また、2019年には東芝の工場の跡地に追手門学院が一部(中学・高校は全面的に)移転してくるため、駅名に「追手門」を入れてほしいという要望もあったようですが、実現しませんでした。

さて、ここで気になるのは、正式駅名が「JR」付きのまま決定してしまったということです。私鉄では、他社の同名の駅と区別するため社名を冠することはよく見られますが、JRグループではJR西日本独特のものです。しかし、これまで「JR」が付く駅はどちらかというと南近畿エリアに多く、東海道本線では避けられているという傾向がありました。近年東海道本線で開業した新駅では、「JR夙川」と「JR桂」が計画段階の仮称として使われていましたが、JR夙川駅は「さくら夙川」、JR桂駅は「桂川」と正式決定しました。また、摩耶駅島本駅は計画段階でも「JR」付きの駅名にはなりませんでした。

駅名 路線 開業(改称)年 備考
1 JR難波 大和路線 1994年 「JR」付きの駅名第1号
旧・湊町
2 JR三山木 学研都市線 1997年 旧・上田辺
3 JR藤森 奈良線 1997年 新設駅では初めて
4 JR小倉 奈良線 2001年  
5 JR五位堂 和歌山線 2004年 五位堂信号場を駅に格上げ
6 JR河内永和
JR俊徳道
JR長瀬
おおさか東線 2008年 3駅同時開業
7 JR総持寺 JR京都線 2018年 東海道本線では初

国鉄時代は、並行する私鉄と駅名が被る場合、私鉄の駅名を改称させていた*1のですが、JR西日本は先にできた私鉄の駅に配慮しているのか、「JR」を冠した駅名が多くみられます。国鉄としてのプライドを捨てたとも取れます。

225系 in 羽衣線

阪和線の普通・区間快速・快速電車は、もともと223系・225系しか使ったことのない関空快速紀州路快速を除いては、103系205系が広く使われていましたが、2016年になって225系が追加投入され、6両編成まで登場しました。6両編成があるということは、本気で103系205系を置き換えるつもりであり、実際に2017年になって羽衣線用のものをのぞき全廃されました。このうち、205系1000番台は奈良電車区に転属し、このダイヤ改正から奈良線での運行を開始しました。

このダイヤ改正を前にして、鳳駅の羽衣線ホームと東羽衣駅のホームが4両編成に対応するため延長されていました。そして、225系が投入されています。

103系時代はワンマン運転に対応した専用編成が用意されていましたが、225系に代わってからは5100番台の4両編成が使われています。225系はワンマン運転に対応しているのか、と言われますが、羽衣線ではワンマン運転とはいっても車内で運賃の収受を行わない、いわゆる「都市型ワンマン」となっています。自動放送装置は関空快速用としてもともとついているため、特別な改造は必要ありません。

ワンマンカーには「ワンマン」表示をすることが義務付けられています。羽衣線のワンマンカーの場合、313系521系などと同じように種別表示に「ワンマン」が併記されています。

*1:例:JR魚住駅山陽魚住駅。昔は山陽電車にしか駅がなく、山陽電車のほうが単に「魚住」だったが、国鉄の「魚住駅」が開設されると山陽電車のほうが「電鉄魚住」に改称させられた

東京の鉄道小ネタ集・城東地区編

今回は、未開拓だった総武線方面のネタを拾ってきました。

古のターミナル・両国

現在の総武本線は、各駅停車が御茶ノ水経由で中央線の三鷹まで、快速が錦糸町から隅田川の下をもぐって東京駅まで行き、そこから先は東海道線横須賀線に乗り入れて久里浜まで走っているため、東京都内のターミナルが通過型になっています。

総武本線は、もともと「総武鉄道」という私鉄が建設した路線で、東京と千葉を結ぶ初めての鉄道でしたが、開通は千葉県側が早く、1894年に市川~佐倉が開業しました。西側はすぐに本所(錦糸町)まで延伸されましたが、それ以降は1897年に銚子まで延伸され、千葉県側は完成しました。成田線の一部区間が同時期に開業しています。

西側への延伸は遅れ、1899年に本所~秋葉原までの事業免許を取得した後、1904年に両国橋(当時の駅名)まで延伸されましたが、隅田川を渡るのは資金面などの問題があって後回しになりました。すでに両国橋~本所界隈は市街化しており、高架線で建設することを条件に免許を取得していました。高架線だと建設費がかかるため、何とか地上線にできないかと考えていたようですが、結局は高架線を建設することになりました。この区間は、日本で初めての高架鉄道となっています。
なお、両国橋というのは駅の西側にある隅田川に架かる橋の名前ですが、これはかつて隅田川武蔵国下総国の国境で、国境をまたぐ橋であったことから名づけられました。

長らく総武鉄道(国有化後は総武本線)の東京側の始発駅が両国橋駅であったことにより、千葉方面へのターミナルは両国という時代が長かったのですが、関東大震災の後の復興事業で区画整理が行われ、都心へ乗り入れる線路の用地が確保できるようになり、1932年に現在は緩行線の一部となっている両国~御茶ノ水が開業しました。この区間総武本線で初めて電化された区間で、中央線に乗り入れて中野~両国にシャトル電車が運行されていました。このシャトル電車は現在の中央・総武線各駅停車であり、この電車が発着していたホームが現在の1・2番線です。
両国より東はまだ電化されていなかったため、千葉方面へは両国で乗り換える必要があり、千葉方面への列車は列車ホーム(かつての3~6番線)から発車していました。のちに千葉まで電化されると、総武本線の列車は中野~御茶ノ水~千葉を直通する電車と、千葉より先のSL・気動車列車がメインとなり、両国駅の列車ホームを使う列車は激減しました。

戦後になると房総方面への急行・準急が大増発され、再び列車ホームに賑わいが戻ってきました。一部は緩行線経由で新宿まで行くものもありましたが、両国発着がメインでした。夏になると両国駅の列車ホームは海水浴客でにぎわっていました。この当時の房総地区の在来線は、海水浴客が多数利用するのに合わせて夏場だけダイヤを大幅に組み替えていました。

1972年、「通勤5方面作戦」の一環として総武本線津田沼まで複々線化されましたが、その際に都心側では錦糸町から隅田川の下を抜けて東京駅*1に至る新ルートが建設されました。地下への入り口が、両国駅の北側(国技館と3番線の間)にあり、ホームを作ることができないため、両国駅に快速は止められませんでした。この時に房総方面への特急が設定されましたが、新設された地下線経由で東京駅発着とされました。
ただし、当時は地下線の信号保安装置にATCを採用しており、地下線に入ることができる車両は113系1000番台と183系だけでした。この当時は急行も多数残っており、153系や165系が使用されていましたが、これらの車両にはATCが付いていなかったため、両国発着で残されました。しかし、これらの列車も東京駅発着の特急に置き換えられ、1988年3月のダイヤ改正で両国発着の長距離列車は全廃され、それ以降は中央・総武線各駅停車の途中駅のうちの一つとなっています。かつて使われていた列車ホームのうち、3番線のみ残っており、2010年3月のダイヤ改正までは房総方面に夕刊を輸送する「新聞輸送列車」が使っていました。

なお、両国というのは本来は隅田川の両岸、両国橋の周辺地域のことであり、隅田川の西側(中央区、いわゆる日本橋両国)にも「両国」とつく施設(両国郵便局など)がありますが、両国駅隅田川の東側に開業し、さらには国技館(初代は回向院の境内、2代目は両国駅の北側)が開設されて相撲の興行で全国的に知られるようになり、現在では「両国」というともっぱら隅田川の東側(向両国、東両国)を指すようになりました。

通勤5方面作戦~総武線編~

1960年代、ほかの東京近郊の主要路線と同じく、総武線は朝ラッシュ時を中心に激しい混雑となっていました。そのため、国鉄では1964年に「通勤5方面作戦」を策定しました。5方面というのは、東京を中心に放射状に延びていく主要路線が5つあるために名付けられたもので、東海道線横須賀線含む)、中央線、東北線高崎線含む)、常磐線総武線の5つです。

そのうち、総武線では以下のような内容で輸送力の増強が進められました。

これと前後して、緩行線の電車も101系に置き換えられています。
1968年からは複々線化に先だって、中央線の中野発着で千葉方面(成田・木更津)へ向かう快速が設定されました。中央線側では緩行線の各駅に停車し、御茶ノ水からは秋葉原・両国・新小岩・市川・船橋津田沼・千葉以東の各駅に停車していました。現在の快速とは異なり、御茶ノ水まで快速運転を行っていたほか、稲毛と錦糸町を通過していました。

1972年に東京駅へ乗り入れる地下線と、錦糸町津田沼複々線化が完成しましたが、東京駅への直結線のルートは以下の3案がありました。

  1. 江戸通りの地下を通って東京駅に向かう
  2. 神田川沿いに高架線もしくは地下線を敷設し、神田駅の手前で東北本線と並んで東京駅に向かう
  3. 緩行線沿いに線増し、秋葉原の手前で東北本線と並んで東京駅に向かう

2・3案では用地買収コストがかかりすぎることもあり、最終的には江戸通りの下を通るルートで決定しました。このトンネルは、東京駅を境に総武線側は「総武トンネル」、横須賀線側は「東京トンネル」と呼ばれています。
地下への入り口は、両国駅の貨物取扱設備と6番線の跡地に設けられましたが、この辺りは33.4/1000の急こう配やカーブがあるため、両国駅の快速ホームは設置されませんでした。そのため、東京駅から両国へのアクセスは相変わらず不便で、秋葉原総武緩行線に乗り換えるか、快速で錦糸町まで行ってバックするしかありません。あのとき、もう少し東側から潜って両国駅の地下に快速ホームを作っておけばよかったと思います。隅田川にもう1本橋を架けるとなると、現行の配線では緩行線をまたぐ高々架になってしまい、どこかで潜ろうとするとさらにきつい勾配ができてしまうほか、だからと言って両国駅自体を清澄通りの東側に移転すると今度は国技館から遠くなってしまいます。

ともあれ、津田沼までの複々線化が完成し、1981年には千葉まで複々線化されて現在に至ります。その間、1976年にはすでに品川まで掘っていたトンネルを活用して、東京駅の混雑を緩和するためラッシュ時の快速電車が品川まで乗り入れるようになりました。

隅田川の下を通るトンネルは、地上で作っておいた箱(ケーソン)を川の底に沈め、水中でつなぐ「ケーソン工法」で建設されました。

前述のとおり、トンネル内の信号保安装置は、地下で見通しが悪いことから車内信号式ATC国鉄在来線では初)が採用されました。車両そのものも、長いトンネルを走ることから火災対策に最も力を入れ、運輸省通達「電車の火災事故対策について」の「A-A基準」に即して製造されました。そのため、かつては総武快速線を走れる車両が113系1000番台と183系に限定されていましたが、ATCの老朽化で前後の区間と揃えてATS-Pに更新され、さらに最近の車両は地下を走らない場合でもA-A基準に即して製造されているため、乗り入れられる車輛の制限はなくなりました。

総武線快速電車の停車駅の変遷

総武線の地下水問題

総武線の地下区間は海に近く、地下水位が非常に高くなっています。特に、昔は地下水を野放図に使い続けた結果あちこちで地盤沈下が発生したこともあり、東京都の条例で地下水のくみ上げが禁止されています。そのせいで、今度は逆に地下水位が上がってしまい、東京駅の総武線ホームが地下5階にあるのに対して、地下水は地下3階相当まで上がっています。トンネルなどの構造物を上から建物で押さえつけているのであればまだよいのですが、東京駅の総武線ホームは丸の内側のロータリーの下で、上に建物はありません。そのため、現在の東京駅総武線ホームは地下水の中に浮いているという状態です。

地下水による被害の例としては、1991年に武蔵野線新小平駅の水没事故がありましたが、これは東西方向の地下水の流れを、南北に走る武蔵野線がせき止めてしまい、水がたまって一気に地下水位が上昇し、大きな浮力がホームにかかり、その浮力でホームが壊れて地下水が噴出したというものです。新小平駅での事故後、JR東日本で同じように地下水の浮力で壊れる恐れがある駅がないか調査したところ、東京駅の総武線ホームと、上野駅の新幹線ホームが地下水の中に浮いており、このまま放置すると浮力でつぶされる恐れがあったため、両駅ともに固い地層までアンカーを打ち込み、重りを置いて浮き上がらないようにしました。
その後、地下水をポンプで排水して水位を低く保つようにする傍ら、立会川・不忍池に流して水質の改善に役立てるという試みもなされています。しかし、そのポンプが泥水を吸い込んで排水できなくなり、トンネル内に水を溢れさせてしまい、総武線横須賀線が半日止まってしまったということがありました。

また、地下水が原因でトンネル内の各種部品やボルトがさび付いてしまい、壁がはがれてしまう恐れもあったほか、初代「成田エクスプレス253系は地下水が原因で老朽化が早く進行し、20年たたないうちにE259系に置き換えられたとまで言われています。

東京都内なのに?

東京都内のJR東日本の各線を管轄しているのは、当然東京支社…というわけではありません。JRの支社の区分けは、おおむね国鉄時代の鉄道管理局のエリアと一致します。東京支社のエリアは、かつての東京3局(南・西・北)に当たり、総武線は東京南局のエリアに当たります。

ところが、隅田川から東側は下総国であり、そのせいかどうかわかりませんが総武線の両国以東は千葉局のエリア内でした。複々線化後は、緩行線は浅草橋と両国の間に、快速線は総武トンネルの出入り口に東京南局と千葉局の境界がありました。これが民営化後も踏襲され、東京支社と千葉支社の境界は両国・錦糸町の西側に置かれており、両駅構内は千葉支社の管轄になっています。

そのため、両国~新小岩は東京都内なのに千葉支社の管轄下にあるという状態になっています。のちに開通した京葉線も、東京駅へ至る地下線は東京支社、地上に出ると千葉支社の管轄です。ただし、総武線の指令は千葉まで東京支社の担当で、逆に京葉線の指令は東京駅まで千葉支社の担当です。

浅草~北千住のルート

東武伊勢崎線は、浅草駅を出るとすぐ東へカーブして隅田川を渡りますが、これはもともと都心側の起点が北千住だったことによるもので、さらに奥まで延伸するのに、ルート選定が難航を極めたためです。
吾妻橋(→浅草(初代)→業平橋とうきょうスカイツリー)まではすぐに開通できましたが、この時は隅田川を渡るのを避けたため、北千住を出ると東へカーブして荒川と隅田川の間を縫って走るようなルートで吾妻橋まで至りました。その後も、当時の東京最大の繁華街だった浅草までの乗り入れを目指して京成電鉄と争っていましたが、京成が汚職事件を起こしたことから、浅草乗り入れの認可は東武に与えられ、1931年にようやく現・浅草駅への乗り入れを果たしました。その後、京成は上野へ乗り入れを果たし、浅草乗り入れも都営浅草線経由で実現させています。
戦後は浅草の地位が相対的に低下し、東武としても都心乗り入れ、山手線との接続を果たすため、新橋や東京駅への地下線の免許を申請し続けていましたが、すべて却下されました。山手線との接続は北千住から日比谷線に乗り入れることで果たされました。待望の都心直通ルートを手に入れ、利便性が向上したため、浅草~北千住の乗客が減少したのを補って余りあるほどの効果を得ました。

北千住から浅草まで行こうと思えば、まっすぐ南下して南千住経由で行けるのではないかと思うでしょうが、一気に浅草まで乗り入れたわけではなく、都心側のターミナル駅の確保に苦労させられ、さらに隅田川を渡ることを避けたため、あのような形になってしまっています。北千住からまっすぐ業平橋まで行こうと思えば、隅田川を最低2回渡る必要があります。

地下鉄なのに竜巻で?

東京メトロ東西線といえば、南砂町西船橋の14kmにわたる地上区間です。これは、浦安や市川周辺は埋立地で地盤が弱く地下にトンネルを掘ることが難しかったことや、地上に作ったほうが建設費が大幅に安くなること、さらに昔は周りに何もなく地価が安かったため*3、用地確保もしやすかったという事情があります。何もなかったところに線路を敷いたため線形は非常によく、この区間では快速が東京メトロ最速の100km/hで走行しています。

南砂町を出て地上に上がると、地下鉄なのに1200mもある鉄橋があります。「荒川中川橋梁」で、荒川と中川の合流地点よりわずかに上流にかけられています。

この荒川中川橋梁で、1978年に竜巻で吹き飛ばされて10両編成のうち2両が脱線・転覆するという事故がありました。その当時、テレビのニュース速報で「地下鉄電車が突風で転覆」と出ており、知らない人は「なぜに地下鉄の電車が突風で転覆するかな?」と思ったとのことです。

実際に乗ってみると、あの辺りは海の近くで、風を遮るものがほとんどないため、突風が吹くと近年の軽い電車ではよく揺れるのではないかと思いました。ただ、あの事故の原因は竜巻であり、セミステンレス・オールステンレス・アルミ・普通鋼のどの車体であっても、竜巻にやられたら一発アウトです。のちに羽越本線485系が竜巻で飛ばされ、死者が出るという事故も発生しました。

なお、脱線した2両は現場がトラス橋の上のために搬出が難しかったことから、現地で解体され、同じ番号で改めて作り直されています。

*1:総武線から東京駅へ向かう乗客が多く、秋葉原駅はパンク状態だった

*2:その後、品川まで延伸し横須賀線に乗り入れ。いわゆる“SM分離”も5方面作戦の一環である

*3:この「地価が安い」と「都心直結」という点から住宅地として脚光を浴び、のちに著しい混雑に悩まされることになる