京阪電車の小ネタ集

特急・快速急行の折り返し

淀屋橋中之島出町柳で特急・快速急行が折り返す際には、独特の手順を踏んで行われます。

まず、終着駅に到着すると、所定の停車位置の手前でいったん止まり、乗客を降ろしてすべて降りたところで再び扉を閉め、車内整理をしたうえで所定の停車位置まで移動し、扉を開けて初めて乗れるといった感じで行われます。

なぜこのような方法をとるのかというと、乗降分離を徹底させるためです。この3駅は引き上げ線はない*1、線路の両側がホームで挟まれていないという構造のため、普通に折り返すと整列乗車ができなくなります。近鉄の例を挙げると、上本町(地上ホーム)・奈良(4番線除く)・京都(3番線除く)・名古屋(1・5番線除く)は線路の両側がホームで挟まれており、難波・東生駒大和西大寺などではいったん引き上げ線や車庫に入れて折り返します。ちなみに、京阪でも萱島*2・樟葉・枚方市ではいったん引き上げ線・車庫に入って折り返します。

車内整理は何をするのかというと、8000系・初代3000系といった転換クロスシートと補助席を装備した車両は座席を進行方向向きに転換して補助席をロック*3します。2代目3000系は転換のみ、テレビカー9000系は補助席のロックのみ。

テレビカー

京阪特急といえば「テレビカー」。1954年に、初代1800系の1882・1883号車に試験的にテレビを設置したのが始まりです。

この当時は17インチ白黒ブラウン管テレビに3素子VHFアンテナの組み合わせで、京都と大阪ではアンテナの向きがほぼ180度異なるため、乗務員がダイヤルを回してアンテナの向きを変えていました。ただし、これは初期の話でのちにダイバーシティアンテナが開発され向きを変える必要はなくなりました。

続く1900系では、テレビは白黒のままではあるものの一気に23インチに大型化され、7素子アンテナと4素子アンテナを組み合わせたダイバーシティ方式となりました。ただ、この当時のダイバーシティアンテナは単純に電波強度を比較して強い方に切り替えるというものでした。

初代3000系ではカラーテレビが装備されましたが、高圧電気が流れる架線の下を走るという事情があり、通常モデルでは磁気により色ずれが起こるため、磁気シールドを強化した特別仕様のモデルを装備していました。そのあおりで、サイズも20インチになってしまいました。白黒時代は色ずれ問題など「そんなの関係ねえ」ということで、23インチまで大型化することができたのです。3000系のダイバーシティアンテナは5素子アンテナ2本の組み合わせで、切り替えも地上子を使って位置を割り出した上で切り替えるというものに進化しました。当時、一部編成ではビデオデッキを付けていましたが、あまり評判がよくないためすぐ撤去されました。

そして現行の8000系では、車体側で磁気シールドを十分にしておくことで通常モデルでも色ずれが起こらなくなりました。このころ、自動追尾式BSアンテナを取り付けて衛星放送を受信していた時期がありました。

地上波テレビは2011年7月24日をもってデジタル化されるということですが、京阪でもテレビカーのデジタル化は検討され、2004年には実際に地デジチューナーを付けて実験していましたが、高速走行中はちゃんと映らないという欠陥があり、一度は見送られました。しかし、のちに移動体向け地デジチューナーが開発され、それを用いた試験では良好な結果が出たため、2006年から本格的にデジタル化工事が行われ、テレビもブラウン管から32インチ液晶テレビに取り換えられています。ただ、大阪市内・京都市内の地下線では地デジは映らないため、まだアナログ用の設備も残っています。そのため、VHFアンテナも残されています。

ちなみに、テレビカーのテレビは一貫して、沿線に本社を置くパナソニック製であります。また、現在の液晶テレビはもともとブラウン管テレビが入っていた箱にふたをするような形で置かれています。音声は、各座席の窓側にスピーカーがあり、スイッチを入れると音が出るようになっています*4。また、初代3000系までは京都(三条・出町柳)方先頭車がテレビカーでしたが、8000系は4号車に変更され、その後はダブルデッカーの組み込みに伴い5号車に変更されています。テレビは京都方にしかないため、大阪(淀屋橋)行き特急に乗ってテレビを見ようと思えば後ろ向きで走ることになります。

そういえば、ワンセグケータイを持って乗ると8両全部がテレビカーになるんだよな…。

京都市内の駅

京阪本線鴨東線京都市内地下区間は、出町柳・丸太町・三条・四条・五条・七条の6駅があります。そのうち、本日付で丸太町・四条・五条は神宮丸太町祇園四条清水五条駅に改称されました。

これは、「京都観光5000万人キャンペーン」の一環として、観光客にわかりやすいようにというのが表向きの理由ですが、この3駅は烏丸線に同名駅があり、しかも接続していないために紛らわしいために改称したと考えることができます。ただ、これは京阪自身も烏丸線の同名駅と区別するため」と認めているようです。

ちなみに京都市内地下区間の駅には通称があり、三条駅は接続する地下鉄の駅名にもなっている「三条京阪」、祇園四条駅は「四条京阪」、清水五条駅は「五条京阪」、七条駅は「七条京阪」であります。また、これらは駅名だけではなく駅周辺の一帯を表す呼称でもあります。地下鉄の方は「四条烏丸」「五条烏丸」「烏丸丸太町」としています。

話は変わりますが、京都市内地下区間のうち三条・祇園四条清水五条・七条はホームの色遣いに特徴がみられます。三条はオレンジ、祇園四条は黄色、清水五条は緑、七条は紫。これは、電気に詳しい方ならすぐわかるでしょうが、それぞれ抵抗器のカラーコードに合わせられています。

とりあえず、明日に続きます。

*1:出町柳には大阪方に引き上げ線が1本あるが、あまり使わない

*2:萱島行きの電車は、そのほとんどがダイヤ上ではその先の寝屋川信号所行きという扱いになっている。いったん寝屋川車庫に入庫するため

*3:補助席は、京都行きは京橋から、大阪行きは中書島から使えるようになる

*4:この装備は初期にはなく、初代3000系で初めて採用された。それまでは天井のスピーカーから流していた。8000系も登場当初はなかったが、のちに取り付けられた