2008年版・東二見出張記録

今年は近鉄・京阪にかなりつぎ込んだのと、阪神が巨人に13ゲーム差をひっくり返されて逆転優勝を許してしまったために過去のリーグ優勝時に5000系で運行されていた記念列車が運行されず撮影会での目玉がないため行くのをやめようかと思いましたが、結局は今年も行ってしまいました。

神鉄6000系のメイキング映像を収録したDVDを買って帰りました。

撮影会


今年は3000系・5000系・5030系の各系列のトップナンバー編成が撮影会のモデルとして駆り出されました。昨年は「ひめか号」(5630F)と「山陽電車100周年記念号」(5020F)だったので、あまり華がない撮影会でした。5630Fは2年連続で出されています。

参考までに、2006年以前はこうなっていました。

  • 2006年:3000系リニューアル車(3016F・3020F・3210F)
  • 2005年:5000系5008F「源平の戦い」・5000系5010F「阪神タイガース セ・リーグ優勝記念号」
  • 2004年:3000系3000F・3050系3050F・3078F
  • 2003年:5000系5006F「播磨の武蔵号」・5000系5022F「阪神タイガース セ・リーグ優勝記念号」
  • 2002年:2000系2012F・3000系3000F・3050系3066F・5000系5000F(アルミカー40周年記念)
  • 2001年:3000系3032F・3050系3078F・5000系5000F・5030系5630F・阪神9300系(!)

過去の例もあり、今年は阪神1000系が来るのではないかと思っていましたが、9000系の乗り入れ改造で6両編成が不足しているためか来ませんでした。

3000系


3000系トップナンバー・3000F。神戸高速鉄道への乗り入れを間近に控えた1964年に登場。この時期にもなると計画がほぼ固まっており、また阪急・阪神も1500Vへの昇圧*1が決定していたため、回路が1500V専用となっています。2000系登場時点ではまだ具体的な計画が固まっていなかったため、複電圧車で乗り入れるという話まで出ていました。

初期の2編成は、2000系2012Fで試用されたアルミ合金が本格的に採用されました。当時、客を乗せて走る一般的な鉄道車両でアルミ合金を採用したのは山陽電車にしかありませんでした*2国鉄301系が投入されるのはそれから2年後のことです。それ以前に、飛行機の余り物のジュラルミンを使った客車・電車が製作されたことがあったのですが、車体がすぐ腐ってしまうため普通鋼車体に変えられてしまいました。

ただ、神戸高速鉄道への乗り入れに当たってはまとまった数の対応車両を一気に投入しないといけないため、アルミ合金車体の製造コストがものすごく高いことがネックとなり、3004Fからは普通鋼に戻されています。

その後、新造冷房車の3050系に移行したあと、3066Fの神戸方2両で12年ぶりにアルミ合金車体が採用されました。以前のアルミ車は、骨格・外板をアルミ合金に変えただけのものでしたが、3066Fは新工法の試作車として投入されました。どんな工法かというと、外板と骨格の一部を一体化した「大型押出型材」を車両の形に組み上げるという方法です。3068F以降と5000系・5030系はすべてこの方法で製造されています。

日立製のアルミ車(815系・817系・阪急9000系など)やN700系などではこれを一歩進めて「ダブルスキン構造」というのが採用されています。これは、板が2重構造になっている大型中空押出型材を組み合わせる工法で、外板と骨格が完全に一体化しています。シングルスキン構造はどんなのかというと、アルミの外板にT字型の突起を付けたような構造で、別に組み上げるべき骨格は減りますがまだ骨格に外板を溶接する必要があります。

行き先表示は、1998年2月改正まで存在した「阪神大石行き特急」。改正以降も、阪神三宮駅で折り返しができない影響で大石まで回送して折り返しています。

5000系


3050系アルミ車をさらに進化させたものです。それよりも注目すべきは、全車固定クロスシート(のちに一部車両は転換クロスシートに改造される)で、しかもそれは、特急ではなく各駅停車として運行されるということです。3連時代はまだ網干線がワンマン化されていなかったため、網干にも顔を出していたことがありました。

当初は各駅停車主体の運用だったのですが、3000系の代走で特急運用に入り、さらには当時網干線で運行されていた特急「観梅号」にまで投入され、わずか2年で定期の特急運用を持つまでに至りました。そして、2000系を5000系で置き換え、明石駅高架化完成とともに特急の6両化も決定し、最終的には60両(4両編成と6両編成が6本ずつ)製造されました。阪神梅田乗り入れに当たっては、5030系2編成を加えて8編成体制で臨みました。

6両編成投入の過渡期には、3050系の3両編成をクロスシートに改造して5000系(6両固定編成)の予備編成としていたこともありました。さらには5000系の3+3両編成も見られました。現在でも顔に幌枠があるのはその名残です。5000Fと5002Fは4両編成のまま残されましたが、阪神梅田乗り入れ工事はなされているため、整備などの都合で他の編成からMM'ユニット*3を抜いてきて6両編成にして運行することもあります。

行き先表示は「明石行き特急」。定期運用では設定されていませんが、不測の事態に備えて用意されています。

5030系


山陽初のVVVF車。阪神梅田乗り入れにあたって、6両編成の運用増・乗り入れ対応工事・試運転で手持ちの編成が不足するため、まずは6両編成が2本投入されました。その関係で1997年と少し早めに登場しており、阪急六甲に顔を出していた時期がありました。

なぜVVVFになったのかというと、5000系まで長らく使用していた「MB-3020S」モーター*4が手に入らなくなったためです。実は5000系の設計段階では界磁チョッパVVVFも検討されていたというのですが、VVVFは時期尚早、界磁チョッパは複巻モーターを使うために整備性が悪いという理由で採用されず、当時205系や211系で実用化されていた界磁添加励磁制御が採用されたという経緯があります。

6両すべてが5030系の編成は、梅田からTc1-M1-M2-T-M3-Tc2となっていますが、阪神1000系の6両編成も全く同じなのです。

2000年にはM2-M3のユニットが4組製造され、4両編成で残っていた5000系の4・5号車に組み込まれています。これで手持ちは12編成。

行き先表示は「高砂行き特急」。その昔、深夜に阪急三宮を出て東二見までは当時の特急停車駅に停車し、東二見以西を各駅停車として運行する特急がありました。ちなみにこの列車はどうなったかというと、1991年4月改正で「S特急」となって現在に至ります。

保線の車

いすゞ「エルフ」を改造した延線巻き取り車。まずは新しい架線を後ろのリールに巻いて出動し、新しい架線をセットしたあと、古い架線を巻き取って帰ります。

トヨタ「ダイナ」を改造した架線作業車。後ろにある黄色いリフトに乗って作業を行います。作業台の前にはパンタグラフもどきがあり、地上から架線(トロリー線・電車線)までの高さを測ることができます。全部降ろした状態が3500mm、作業台を限界まで上げた状態が4500mm、最後にパンタグラフもどきを当てて計測します。さらに、レールの中心から何mmずらしているかを見ることもできます。


これは作業台を上げた状態。

後ろに広がります。

そして横にも! でも、そこで作業をしようにも柵がないので危ない!!

「なんでトラックが線路の上を走ってるねん」と突っ込まれそうですが、これは“軌陸車”というもので、文字通り特殊な装備を備えて道路と線路の両方を走ることができるのです。保線車両ではよく見かけますが、JR北海道ではなんと旅客車の“軌陸車”があるのです。

モード切り替えは、踏切で行います。道路から線路に入る際は、位置を合わせたうえで下からジャッキを出し、車体を持ち上げて浮かせ、鉄車輪を出して車体を人力で回し、ジャッキを降ろして線路の上に乗せると終わり。道路に出る際は踏切で止め、ジャッキを出して車体を持ち上げ、90度回して鉄車輪を格納し、車体を下げて地面につけると終わり。方向転換は「坊っちゃん列車」と同じ要領なのです。

作業で使う装置の動力は、エンジンから油圧を取り出して使います。PTOというやつで、ギヤを「N」に入れ、クラッチを切ってPTOのスイッチをONにし、クラッチを離すと油圧が取り出せます。ダンプなんかも同じです。昔、ダイハツ「アトレー」にPTO発電機があったというのはまた別の話。

ちなみに、山陽電車にはキヤ141(JR西日本)やモワ24「はかるくん」(近鉄)のような電気検測車がなく、架線作業車に測定機器一式を積んでその代わりとしています。

2012F

1962年に試作された、日本初のアルミ合金車体試作車。昨年は遠巻きに眺めるしかできなかったのですが、今年は近くで撮影することができました。

まだアルミ車の技術が確立していなかったため、リベット接合まで行われていたほか、車体の歪みをごまかすためウロコ模様を入れていたほか、パンタグラフのすり板から出るカスによる腐食対策としてクリアラッカーまで吹き付けられていました。

山陽電車のCM

休憩所で食事をとっていると、山陽電車のCMが延々と流れていました。「三宮・姫路1dayチケット」のCMで、昔はタージンが出ていましたが、最近のバージョンには中川家が出ています。ちなみに中川家といえば、JR西日本の2003年12月改正の際にもCMに出ていました。

しかし、よく考えてみれば中川家礼二京阪電車の大ファン(守口で生まれ育ち、高校時代は通学で京阪電車を利用していた。持ちネタに「京都出町柳行き急行のアナウンス」がある)。なのになぜ山陽電車のCMに出ているのか…おそらく、京阪電車には「おけいはん」がいるからでしょう。

ちなみに、タージン中川家も“コスプレ”をして出ています。

帰りに…

東二見で特急を待っていると、なんと阪神1000系がやってきました。1000系をまともに撮ったのは西大寺以来で、阪神・山陽で運行しているときに撮ったのは初めてです。

そういえば阪神1000系黄色い部分以外を全部真っ白にするとインデックスちゃんっぽくなるような…。

東二見駅は最近バリアフリー工事が完成し、エレベーターがついたほかでかい液晶モニターもホームと改札口に設置されています。

*1:山陽電車は、明石以西が当初から1500Vで電化されていた関係上戦後の早い時期に1500Vに昇圧されていたが、阪急・阪神は1967年まで600Vのままだった。ただ、それでも関西では昇圧は早い方に入り、近鉄の旧600V線区(奈良線京都線など)は1969年、南海は1973年、京阪は1983年まで600Vのままだった

*2:ケーブルカーなども含めると南海電車高野山ケーブルで使われていた「コ1形」も含む

*3:JRと山陽ではMM'ユニットの位置関係が逆で、大阪側にM'車、姫路側にM車がある

*4:MBという型番が示すとおり、三菱電機