電車とバスの博物館

東急も博物館を持っています。宮崎台駅前の「電車とバスの博物館」。

8090系のシミュレーターはもちろんやりました。ワンハンドル車のはやったことがなくて、どこに入れたら「OFF」になるのかさっぱりわかりませんでした。

「ペコちゃん」の異名を取る、玉川線のデハ200形。その昔はこれが国道246号線の併用軌道を走って渋谷へ向かっていました。また、渋谷の手前、道玄坂あたりには碓氷峠や蹴上(京阪京津線)と同じ66.7‰の急勾配があり、補助なしで越えていました。

ちなみにこの玉川線は、現在でも一部区間が世田谷線として残っています。また、渋谷〜二子玉川間は地下にもぐって「新玉川線」となりました。2000年まで渋谷〜中央林間が「新玉川・田園都市線」と称していたのはその名残であります。

1960年代前半の高津駅。なぜ高津駅なのかというと、宮崎台に移転してくる前は高津駅の高架下にあった名残であります。田園都市線複々線化して大井町線溝の口に乗り入れさせるというプロジェクトが進んでおり、その工事に支障をきたすため宮崎台に移転してきました。

これは、東急創業時の電車。