例年、鉄フェスは東二見へ行くことにしているのですが、今年は阪神がBクラスだから…という自分でもわけのわからん理由で、東二見はやめて寝屋川へ“遠征”することにしました。
去年はひらパーでやっていましたが、今年は中之島線開通1周年を記念して、2年ぶりに寝屋川でやることになりました。
祝・二冠達成!2代目3000系「COMFORT SALOON」
京阪史上、いや、日本の鉄道史上稀に見る大ヒット作となった2代目3000系「COMFORT SALOON」。6月には6000系以来25年ぶり、2度目となるローレル賞、そして10月には京阪の車両として初めてグッドデザイン賞を受賞しました。先頭車のドアの横には「G」マークが付けられています。
やはり、京阪史上燦然と輝く「3000系」という形式を引き継いでいるだけあって、その中身は非常に充実しています。実際、「一度でいいから3000系に乗ってみたい」という声もちらほら聞かれます。
ちなみに3002Fは5両編成になって中之島から寝屋川工場までの団体列車として走っていました。
看板に偽りなし!8000系「ELEGANT SALOON」
京阪のフラッグシップといえば、なんといっても8000系。8000系も鴨東線と同じくデビュー20周年を迎え、すでにリニューアルが決定しています。
これまでは塗装変更とともにシート地の張り替えだけでしたが、8005Fの4号車(2階建て車)はリニューアルの試作車的存在として、シートそのものを3000系と同じタイプに交換、蛍光灯は電球色に交換…と、とても料金不要の列車とは思えない高級車に仕上がっています。文字通りの「ELEGANT SALOON」であります。
クレーンでつり上げられた7200系
この状態ではわかりづらいのですが、7202Fであります。もっとも、新塗装にしてしまえば7200系も9000系も10000系もすべて同じ形・色なので、わかりづらいというのはあります。
よく見ると帯が巻かれていません。余談ですが、新デザインを検討するに当たっては「帯あり」と「帯なし」の2種類が出てきました。
物販コーナー
物販コーナーは京阪グループ4社(京阪電車・叡山電車・京福電鉄・京阪百貨店)が参加。京阪電車は相変わらずグッズが豊富で、淀屋橋の特急用発車メロディの目覚まし時計が新作として登場しました。
京福電鉄は、先日江ノ島電鉄と業務提携を結んだばかりで、それを記念したグッズが発売されました。
叡山電車では、デオ900「キラッ☆」…じゃなくて「きらら」をかたどった箱に入った「叡電サブレ」が定番ですが、かつて使用されていた紙製の定期券を100円で復刻するというのが目玉でした。
ここでピンときたあなたは鋭い。叡山電車といえば、2009年上半期の大ヒットアニメ「けいおん!」。なので、修学院駅を券面に表示できるように注文し、持ち帰って「平沢唯」と書いてやりました。ほかの4人でやった人はいないかな?かな? 最近は、叡山電車に乗ると「けいおん!」ネタに走る人が多いのです。「豊郷小学校(とよさとしょうがっこう)」と「豊崎愛生(とよさき あき)」を間違えてしまうのです。
また、その昔京阪電車のCMにムギちゃんの声優として知られる寿美菜子が出ていた、というネタもあります。
…「けいおん!」ネタはここまでにして、京阪百貨店はどういうわけか実際に使われていた行き先標識を売り出していました。数万円単位で値が付けられていたので買いません。
オークション
廃車になった車両からほじくりだしてきた部品や、ヘッドマーク、改造して不要になった部品のうち一部はオークションにかけられました。たいていは1〜3万円からスタートしますが、かなり値段が高騰してしまい、1900系の廃車発生品に37.5万円という最高値が付いてしまったこともありました。
9000系のクロスシートも出品されていたのですが、実際に椅子として使うのではなく“オブジェ”としての出品でした。椅子は座ってなんぼなのに…。
ヘッドマーク
2009年「七夕伝説」ヘッドマーク。ダイヤ改定*1で快速急行「ひこぼし」の運行時間帯が遅くなったため、かつて7月7日が土日に当たってしまった場合と同様に各駅停車にわざわざヘッドマークを付けてイベントをやっていました。
かつては、準急「ひこぼし」が夕方に運行されていたためその時間帯に臨時K特急「おりひめ」を運行して私市で出会わせる、というのもありました。
2003年、京阪本線の1500V昇圧20周年とともに、6000系も就役20周年を迎えました。その際に6000系全編成についていたヘッドマーク。
京阪特急ではすっかりおなじみの鳩マーク。これは1900系まで使用されていたものです。
左:1900系登場50周年を記念してつけられたヘッドマーク。1900系は大きく分けて2種類あり、1956年に製造された1810系を編入したグループと、1963年に淀屋橋延伸開業に向けて新造投入されたグループの2つがあります。
右:1956年以来、半世紀にわたって本線上で活躍し続けていた1900系ですが、中之島線開通を前に引退することになり、ちょうど1年前に引退しました。これは最後まで残った2編成のうちの1本、1929Fにつけられていたヘッドマーク。
かつて方向幕のない時代はこれを先頭車につけていました。京阪では四角い運行標識は各駅停車・区間急行、丸いのは準急・急行に使われていました。
7200系を引っ張る
京阪の鉄フェスの名物といえば、子供10人程度が集まって電車1両と綱引きをするというのがあります。
実は、電車は人力でも簡単に動いてしまうものなのです。自動車と異なり、転がり抵抗が小さいため一度動かしてしまえば簡単に動きます。
最初、後ろから入換車で押すという“やらせ”をしているのではないかと思いましたが、決してそんなことはありませんでした。入換車は元の位置に引っ込めるために用意されています。
びわこ号
京阪には、前代未聞の鉄道線・軌道線直通用車両として知られる60形「びわこ号」というのがありました。
昭和初期、天満橋から大津まで直通電車を走らせるというとんでもないプランが持ち上がり、京阪本線と京津線という二つの極端に規格が異なる路線をどうやって直通するのか、というのが問題になりました。
そこで、京津線の急カーブにも対応できるよう、のちに小田急ロマンスカーで広く知られるようになる連接車体を採用し、本線用のパンタグラフと京津線用のトロリーポール、果ては併用軌道でも乗れるようにステップ付きの出入り口まで装備した車でした。あれこれ詰め込みすぎた弊害として、重くなってしまい三条*2以外はノンストップにしないとまともに走れなかった、というのがありました。
そのため、末期には京津線専用車として活躍した後、1970年には引退しました。