運用がまたややこしくなった

ダイヤ改正で、JR神戸線JR京都線JR東西線学研都市線の運転系統が8年ぶりに再編され、車両運用が変わっています。

昼間はどのような運用になっているのかというと、まず西明石から高槻または京都まで走り、高槻・京都に到着後は折り返し須磨まで走り、須磨で折り返す際はJR東西線経由で松井山手行きとなり、松井山手に到着後は折り返し西明石行きとして走るという形になっています。かなりややこしい運用になっていますが、実は1997年9月改正から2002年10月改正まで、似たようなパターンで運行していたことがありました。

かつて103系が主力だった時代は、京都〜甲子園口と吹田〜西明石の2系統が並行して運行されるダイヤでしたが、201系投入後は高槻〜西明石加古川*1と吹田〜甲子園口の2系統に再編されました。後者の系統はのちに高槻〜神戸へ延長されたのちに須磨まで再延長され、この時点でJR東西線の開通を迎えました。

JR東西線開通後の運転系統は、高槻〜西明石の系統を分割して松井山手西明石と尼崎〜高槻の2系統にし、高槻〜須磨間の系統はそのままでした。この時点では尼崎駅の構内配線をいじっていなかったのですが、9月に完成したのちJR宝塚線の各駅停車と須磨・尼崎〜高槻の系統が統合されました*2。その翌年には昼間の須磨折り返しがすべて西明石まで延長されましたが、前述の「似たようなパターン」というのはこの時の運行パターンで、西明石→高槻→新三田→京都→西明石のローテーションなのです。

2002年10月改正ではこのローテーションは崩され、京都〜西明石松井山手西明石、高槻〜新三田の3系統に集約されています。2006年には昼間の京都〜西明石の系統は須磨まで短縮されたものの、2008年にはそのうちの半数が再び西明石まで延長されました。そのため、運用によっては京都〜西明石をひたすら往復するだけという運用がありました。ちなみに、207系321系に統一されてからの運用はどうなったかというと、どちらもJR東西線乗り入れに対応しているため、京都から西明石まで走り、西明石で折り返して松井山手へ行く、という運用が当たり前のようにあります。

整理すると以下のようになります。

1978年 京都〜甲子園口
吹田〜西明石
1985年 高槻〜西明石加古川
吹田〜甲子園口
1986年 高槻〜神戸・西明石加古川
1991年 高槻〜神戸・西明石
1996年 高槻〜須磨・西明石
1997年3月 高槻〜尼崎・須磨
松井山手西明石
1997年9月 須磨→高槻→新三田→京都→須磨
松井山手西明石
1998年10月 西明石→高槻→新三田→京都→西明石
松井山手西明石
2002年10月 京都〜西明石
高槻〜新三田
松井山手西明石
2006年3月 京都〜須磨
高槻〜新三田
松井山手西明石
2008年3月 京都〜須磨・西明石
高槻〜新三田
松井山手西明石
2010年3月 西明石→高槻・京都→須磨→松井山手西明石
高槻〜新三田

*1:当時は昼間の快速にも西明石で折り返すものがあり、その穴埋めとして各駅停車を1時間に1本だけ加古川まで延長していた。その西明石折り返しの快速が加古川まで延長されるのと引き換えに各駅停車は西明石折り返しになった

*2:宝塚電化開業以来、福知山線JR宝塚線)の各駅停車は大阪駅までの運行であり、専用の黄色い103系が用意されていた。尼崎からは外側線を走っており、塚本駅は通過していたため、塚本で降りる場合は尼崎で神戸線の各駅停車に乗り換える必要があった