鉄フェス@寝屋川(その1)

今年も1か所選んで鉄フェスに行くことにしました。今年も寝屋川です。

8000系リニューアル車

まず最初の見どころは、現在リニューアルが進められている8000系。現在、8007Fがほぼ完成しあとは金帯を巻いて試運転というところまで来ており、8001Fもこれから工事に取り掛かるところであります。

8000系は、京橋〜七条がノンストップだった1989年に登場したのですが、枚方市・樟葉・中書島丹波橋が停車駅に追加され、全席クロスシートでは間に合わなくなったため、このリニューアル工事では車端部はロングシート化し、吊皮を設置することになりました。

8750形(もと「テレビカー」)は、テレビと公衆電話を撤去し、その跡地にまでシートを増設しています。

通常のロングシートよりも背もたれが高く、クロスシートと同じ高さまであり、中からだと窓が小さく見えます。曰く「世界一豪華なロングシート」とのこと。

ちなみに、一般席は6人がけですが、大阪方の山側*1車いすスペースを設置している関係上その隣の席だけ4人がけであります。

ドアの上には、2代目3000系と同じように液晶ディスプレイが取り付けられました。

京阪ミュージアムトレイン

これが、ある方面から一躍注目を浴びることになった「京阪ミュージアムトレイン」。その理由はまたあとで話をすることにして、これは京阪電車の開業100周年記念事業として、廃車*2になった2600系(2602F・2612F)を博物館に仕立て上げて復活させ、主要駅(中之島枚方市中書島)で展示していました。

全身緑1色ですが、これは戦前に走っていた「ロマンスカー」1550形(のちの初代600形)をモチーフとしたもので、幕板の「OSAKA-KYOTO LINE」もそのまま再現されています。今でこそ「ロマンスカー」というと小田急の特急が先に浮かんでくるでしょうが、「ロマンスカー」は京阪が初めて出したのでした。その後、他社(近鉄・山陽・東武など)でも「ロマンスカー」の名称が用いられていたことがありましたが、京阪は「テレビカー」を経て「エレガント・サルーン」、東武は「スペーシア」など別の名称を使うようになり、小田急だけが現在でも使用し続けています。それどころか、小田急は「ロマンスカー」を商標登録しています。

1号車:京阪電車100年のあゆみ

1910年4月15日、天満橋清水五条の開業以来100年。のちに三条まで延伸を果たし、淀川の右岸に新京阪線を建設するなど、一時は積極的に出ていたのですが、昭和恐慌でボロボロになってしまい堅実経営に転じました。

京阪線を阪急に持って行かれて阪急京都本線となったのは、戦時中阪急と合併させられ(その当時の関西の大手私鉄は阪急・近鉄阪神に集約されていた)、戦後分離する際に「新京阪線京阪本線と繋がっておらず阪急と繋がっている」というだけの理由でした(ABCテレビビーバップ!ハイヒール』より)。その当時のターミナルは天神橋と十三で、梅田へ乗り入れるようになったのは1959年のことでした。

2号車:なつかしの駅風景

京阪線大津線の、廃止されたものも含めた全駅を紹介しています。

京橋駅は現在の駅とはまた別に大阪寄りにあり、現在の京橋駅は「蒲生駅」を名乗っていた時期がありましたが、天満橋駅に近すぎるため廃止され、蒲生駅京橋駅を名乗るようになり、複々線化に合わせて現在のグランシャトーの位置に移転しました。京阪本線天満橋〜野江で現在線より北側にそれて走っていた時期があり、京橋駅は現在のグランシャトーの位置、そして片町交差点の近くに片町駅があったのですが、旧京橋駅の京都方はホームを京都へ向かって伸ばし続けた結果上りこう配+カーブというひどい状態になっており、線形改良を兼ねた高架化工事でグランシャトーの前から天満橋までまっすぐ走るルートに変更され、京橋駅環状線の内側に移転させ、実質的には旧京橋駅と片町駅を統合する形で現在の形になりました。京橋駅の西側にある出口が「片町口」なのは、片町駅を廃止した代償であります。

門真市内の駅は、高架化で複雑な変遷をたどっています。当初は門真・古川橋・大和田の3駅でしたが、のちに新門真駅が開業して4駅となり、高架化工事の過程では門真駅の大阪行きホームを現在の西三荘駅の位置に設置したのち、京都方面行きも高架化されると西三荘駅として新規開業し、門真駅は廃止されました*3。ちなみに、西三荘駅の計画段階の仮称は「東守口」「西門真」*4「松下前」*5でした。同時に「新門真」は「門真市」に改称されました。

近江神宮前駅は3回も改称しています。当初「錦織」だったのが、1941年に一度「近江神宮前」に改称され、1948年に元に戻ったものの、わずか半年で「近江神宮前」になり現在に至ります。近江神宮前駅に隣接する車庫が「錦織車庫」なのはその名残で、車庫名は一度も変わっていません。

かつて、河内森駅の私市寄りに「京阪神磐船駅」がありました。駅名からわかるように河内磐船駅片町線と接続していました。ただし、この2駅が同時に営業していたことはなく、一時期営業を休止していた河内森駅の代わりだった、というのが実情で、河内森駅の営業再開とともに廃止されました。河内磐船・河内森経由でJRと京阪の連絡切符を買うことができます。

3号車:京阪特急特集

現在の京阪特急は1950年7月のダイヤ改定以来走っているものであります。もともと、京阪本線では沿線利用客を中心としていたため、京阪間の直通旅客は新京阪線に任せており、京阪本線には京津線直通特急びわこ号」以外に特急はありませんでした。戦後、新京阪線を阪急に取られたため、京阪本線でも直通旅客を獲得すべく特急を設定することになりました。

当初は朝夕のみの運行で車両も一般車を共用していましたが、昼間に運行するにあたって初代特急専用車両となる1700系を投入。旧特急車塗装もこの車両からスタート。のちに車両不足で1300系一般車まで投入することになったのですが(特急に一般車を入れるのは今に始まったことではない)、初代1800系と1810系に置き換えてからはすべて特急専用車で運行され、1963年には淀屋橋延伸開業に向けて4代目特急専用車・1900系を投入。この際、1810系は1900系に編入されたため、1900系を3代目特急専用車とする向きもあります。実はテレビカーは1800系の登場時点ですでに登場していました。

1971年。阪急が京都線特急に2800系を投入すると、京阪も負けじと初代3000系を投入して応酬します。当時は各家庭に「3C」(自家用車・クーラー・カラーテレビ)が普及しつつあったのですが1つの「C」は初代3000系そのもの、残りの「C」(クーラーとカラーテレビ)を投入して「3C」がすべてそろいました。このまま18年続いたのですが、出町柳延伸開業で1編成が不足して補充しなければならないものの、基本設計が古い初代3000系を投入するのは得策ではありません。また、このダイヤ改定を機に特急をすべて7両編成に統一することになり、不足する車両の補充用として8000系が投入されました。

発車メロディは、初期には「フィガロの結婚」が使われていましたが(現在でも、競馬開催日に運行される淀発の大阪行き臨時特急で使う)、1995年から「牛若丸」のアレンジ曲、2007年からは向谷実のオリジナル曲が使われています。快速特急は、京橋駅だけ「朝靄の京橋で乗り換え」を使っています。大阪行きのK特急があった時代は、出町柳駅で「出町柳から」を使っていました。

4号車:京阪電車でおでかけ

京阪電車で出かけるなら、京都・宇治・男山・比叡山・琵琶湖…結構あります。そのPRとして、2010年現在は「おけいはん」が定着していますが、過去には意外な人が出ていました。

1989年〜1991年にかけて、“仕分け人”蓮舫が出ていたことがありました。

おけいはん」シリーズに移行してからも意外な人が出ています。初代ではのちに読売テレビのアナウンサーとなる林マオ、2代目では『けいおん!』のムギちゃん役で知られる寿美菜子など。

5号車:京阪電車グッズ大集合

多くは「スルッとKANSAI」の共同企画で出されたものであり、ゆえに他社のものもポスターに出ているのですが、京阪オリジナルのものでは、8000系登場時に出たカメラ、2代目3000系のローレル賞グッドデザイン賞受賞記念切符(シート地の一部を添付)などがあります。

この車両のBGMに聞きおぼえがあると思ったら…

けいおん!』の曲を流してる

「Turfy」ヘッドマークの後ろにCDプレーヤーを隠して流していました。

けいおん!』ネタ

ミュージアムトレインの5号車で『けいおん!』の曲が流れていたという情報を以前からつかんでいました。そのため、2週間前からネタを仕込み、今日に備えていました。ふんす!(*`ω´*)

まずは三宮のゲーマーズで『けいおん!』のフォトアルバム(Lサイズ20枚分)を仕入れ、これまでに撮りためた京阪電車叡山電車の写真から38枚を選び出し、PIXUSでせっせと印刷しました。おかげで、一昨年からため込んでいたキヤノンのL判写真用紙が一気に減りました。

続いて、D40を『けいおん!』仕様に仕立て上げ、これで完璧。あとは、いつも通りウォークマンを用意するだけ。大阪駅で環状線に乗り換え、京橋から寝屋川へ移動中はずっと『けいおん!』の曲を聞いていました。

現地では『けいおん!』の話題で盛り上がることが多く、仕込んだネタも有効に機能しました。

今年も、叡山電車はかつて使われていた紙製の定期券を復刻していたのですが、残りのメンバーとさわちゃんの定期券を作りました。もともと、この定期券を使っていた時代のおっさんたちが懐かしんで買っていくのが多いということですが、「こういう活用法は思いつかなかった」そうな。

もし『けいおん!』のキャラを京阪の車両に例えれば?

いろいろ意見はありますが、「澪は2代目3000系」というのは共通意見のようです。

なぜ『けいおん!』なのか?

それとなく聞いてみました。すると…「5号車は子供向けの雰囲気を出すため」MBSで土曜日の夜中にやっていたアニメが子供向けなわけないでしょ!

「沿線の風景が出ていたから」「京都アニメーション木幡駅の近くにあるから」「寿美菜子がCMに出ていたから」というわけではなさそうです。

ちなみに、流れていたのは「Cagayake!GIRLS」「Don't say "lazy"」「ふわふわ時間」でした。「♪淀屋橋から三条へ〜…」*6キダ・タロー大先生の曲に交じって『けいおん!』って…。

*1:京阪本線は淀川の左岸を走るため、山側といえば東側のことで、その「山」とは生駒山のことである。淀川の右岸を走る東海道本線・阪急京都本線では生駒山・淀川ともに東側にある

*2:廃車されたら即解体というわけではない。廃車というのは自動車で言う抹消登録のことで、ただ単に車籍を消すことであり再登録して整備すれば走ることはできる

*3:そのため、西三荘駅は新規開業扱いであるものの実質的には門真駅を高架化に合わせて移転したことになる

*4:守口市門真市にまたがっているため、双方が案を出していた

*5:パナソニックの最寄り駅。2000年までは「西三荘・松下前」と言っていた

*6:もともとは「天満橋から三条へ」だったが、淀屋橋延伸開業で歌詞の「天満橋」がすべて「淀屋橋」に変えられた。ただし「三条」は出町柳乗り入れを果たしてもそのままだが、出町柳まで乗り入れたころには曲そのものが使われなくなった