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千葉の鉄道小ネタ集

地下鉄の快速

東京メトロ東西線は、千葉県西部のベッドタウンと東京の都心を結ぶ東京メトロでもとくに重要な路線ですが、他の路線はどちらかというと市内交通として機能しているのに対して、東西線はどちらかというと郊外電車のような趣があります。関西では神戸市営地下鉄西神・山手線)がこれに近い性格の路線と言えます。

もともとは総武線のバイパス線という性格を持たせて建設されたため、総武線沿線の船橋・市川から都心に直接アクセスできるようになっており、「西船橋から東西線に乗って行く」という使い方ができます。かつて(複々線化前)の総武線はまだ東京駅には乗り入れておらず、各駅停車で秋葉原まで行ってからでないと東京駅まで行けず、総武線沿線(船橋・市川など)から都内へのアクセスは非常に不便でした。

それが、1969年に西船橋まで乗り入れたことによって都心へのアクセスが劇的に改善され、東西線の利用客が急増しました。

そこで、都心を抜けて地上を走る区間(南砂町〜西船橋)で一部の駅にしか止まらない快速運転を日本の地下鉄で初めて導入しました。この区間では100km/hで走行するため、東京メトロでは最速の区間*1であります。

初期は地上区間の沿線人口が少なかったため、東陽町西船橋でノンストップでした。ただ、東西線のおかげで「都心までの足がある」ために沿線人口が急増し、のちには平日の日中と休日の全列車が浦安に停車するようになりました。1983年に東京ディズニーランドが開園した際は、京葉線の第2期区間(新木場〜南船橋)が開通するまでは浦安からバスで行くことになっており、浦安停車の快速もその一翼を担っていました。ちなみに、このバス路線は今でもあります。

1986年11月改正では、平日朝の中野・三鷹方面行き快速は全て浦安から各駅停車になりました。そのため、同じ快速でも停車駅のパターンが3つありややこしくなってしまい、内部ではアルファベットをつけて区別していました。

1996年3月改正では、A快速を廃止してB快速に一本化してこれを「快速」とし、C快速は「通勤快速」という新たな種別名が与えられました。同時に開業した東葉高速鉄道では快速は各駅停車ですが、1999年12月改正では東葉高速線でも快速運転をする「東葉快速」が設定されました。現在は勝田台行きのみですが、以前は中野・三鷹方面行きも設定されていました。

ただ、ラッシュ時に快速運転をすると、通過駅ではどうしても各駅停車を利用せざるを得ないため、各駅停車の混雑が激しくなり快速まで遅れる原因となってしまいます。そこで、2007年3月改正では平日朝ラッシュ時の快速を全て通勤快速に変更し、各駅停車から通勤快速に乗客を誘導しています。似たようなことは、ノンストップ時代の京阪特急でもやっています。


京葉線は貨物線だった

京葉線は、もともとは貨物線として計画されており、後に旅客線として計画が練り直されました。ただ、それ以前に京成電鉄東陽町千葉寺で現在の京葉線とほぼ同じルートの新線を計画していました。東京ディズニーランドは、その新線の沿線開発の一環として誘致することになっており、その名残で運営会社の株主に京成電鉄が名を連ねています。つまり、京成電鉄も阪急と似たようなことを考えていたのです。

京成電鉄がその計画から手を引いたのち、国鉄が貨物線「東京外環状線」として計画しなおしました。そこでは、京葉線は塩浜〜八潮〜新木場〜蘇我〜木更津となっており、塩浜〜八潮(東京貨物ターミナル)は東海道本線の貨物支線、八潮〜新木場はりんかい線、新木場〜蘇我が現在の京葉線蘇我〜木更津は京葉臨海鉄道と分かれています。

ただ、外環状線は本来貨物線として計画されていたのですが、沿線の宅地化が進み旅客需要が出てきてしまいました。このうち、京葉線は新木場〜蘇我を旅客線に転用することになり、まずは第1期区間として千葉貨物ターミナル〜西船橋が開業し、西船橋〜千葉みなとで旅客営業を行いました。蘇我〜千葉貨物ターミナルは1975年にすでに貨物線として開業していましたが、1988年に第2期区間(新木場〜南船橋市川塩浜西船橋)が開業してから蘇我まで旅客営業を行うようになりました。市川塩浜のデルタ線も完成し、新木場・舞浜方面から武蔵野線への乗り入れもこの時から開始されています。なお、武蔵野線の電車は南船橋京葉線の電車と向きを合わせてある*2ため、東京方面に乗り入れると向きが逆になります。

第3期区間(東京〜新木場)は旅客線に転用してから追加された区間で、東京駅の京葉線ホームは途中まで建設されたものの放棄された成田新幹線の東京駅を転用して建設されました。ちなみに、ディズニーランドのイメージで顔を変えた(いわゆる“メルヘン顔”)205系はこの時に投入され*3E233系に置き換えられるまで走っていました。

また、八潮〜新木場も旅客線に転用され、「りんかい線」として八潮〜大崎を計画に追加したうえで開業しました。そのため、新木場で線路が繋がっており、八潮の車両基地が完成するまでは京葉電車区で整備をしていました。70-000系が209系そのものなのはその名残であります。

京葉線快速

京葉線は、沿線に臨海副都心葛西臨海公園東京ディズニーリゾート・幕張メッセ・QVCマリンフィールドなどがあるため、東京駅乗り入れ開始時点では快速電車を多めに盛り込んだダイヤを組んでいました。

その当時は、平日と休日で快速の停車駅が異なっており、平日は八丁堀・新木場・舞浜・新浦安・海浜幕張・検見川浜・稲毛海岸に停車(昼間のみ千葉みなとにも停車)、休日は新木場・舞浜・新浦安・海浜幕張・検見川浜・稲毛海岸に停車(昼間のみ葛西臨海公園にも停車)し、休日の快速には「マリンドリーム」という愛称が与えられていました。

ただ、2002年12月改正で、平日と休日の快速停車駅が統一され、八丁堀・新木場・舞浜・新浦安・南船橋海浜幕張蘇我の各駅に停車するように改められ、「マリンドリーム」の名称も消滅しました。それどころか、休日日中の各駅停車が海浜幕張折り返し*4に変更されてしまいました。


京葉線の電車の色

205系・209系・E233系E331系はワインレッドの帯を巻いており、京葉線のラインカラーもワインレッドですが、かつて走っていた103系・201系は青22号(京浜東北線東海道線京阪神地区・阪和線と同じ色)でした。

これは、第1期区間が開業した際に投入された103系のほとんどが京浜東北線から移籍してきたのと、東京湾のイメージを持たせたためです。また、実際に101系をワインレッドに塗ってみたところ、非常に評判が悪かったというのもあります。

201系は、京葉線に新造配置されたのではなく、総武線にE231系が投入され余剰になったものを京葉線に移籍させたものですが、101系での結果を踏まえて青22号に塗り直したため、関西でしか見られなかった青い201系が関東でも出てきました。その後、事故などで車両を補充するため京葉線から205系が引っこ抜かれ、その穴埋めとして中央線から移籍してきた編成もありました。総武線には分割編成しかなかったため、初期には分割編成しか在籍していなかったのですが、中央線から移籍した編成には固定編成もありました。

また、103系も基本的には青22号でしたが、総武線の103系には京葉線対応工事*5を施工したものがあり、東京延伸開業までは黄色い103系京葉線を走っていたことがありました。

房総環状線ができない理由

房総半島を走る鉄道は、西側が内房線、東側が外房線と分かれていますが、路線図を見ると鹿児島本線日豊本線のようになっています。そのため、房総半島を一周する列車もやろうと思えばできますが、実際は様々な問題があって出来ません。

山手線や大阪環状線の場合は単純な環状線であり、一周回っても電車の向きは逆にならないのですが、内房線外房線の場合は線路がラケット状になっており、鹿児島本線日豊本線や、ポートライナーポートアイランド周回系統のように、一周すると向きが逆になってしまいます。そのため、車両運用上好ましくないので環状運転は行わず必ず安房鴨川で折り返すようになっています。

ただ、以前は大網駅がわずかに成東寄りにあってスイッチバック構造となっており*6、大網をまたいで直通する外房線の列車は必ず大網で方向転換していたため、房総半島を一周しても向きが逆になることはありませんでした。

*1:ただし、半蔵門線の電車は田園都市線を最高110km/hで走る

*2:クハ205・クハ209が海浜幕張蘇我方面を向いている

*3:後に武蔵野線にも投入される。当初は8両編成化と輸送力増強のために5編成導入されたが、京葉線の地下線(新東京トンネル)は勾配が多く、また武蔵野線では高速運転を行うために出力を上げる必要があり、8両編成では通常4M4Tだが武蔵野線向けの編成のみ6M2Tだった。のちに103系を置き換える際に山手線から移籍した車両をVVVF化して投入したが(VVVF化したのは、M車が不足しており、4M4Tで京葉線の地下区間を走れるようにするため)、それでも足りないためメルヘン顔の編成1本からM車をねん出して4M4Tにされたものの、このままだと京葉線を走れないためVVVF化された

*4:平日は快速が毎時2本なので、各駅停車も毎時2本が蘇我まで乗り入れるが、休日は快速が毎時4本で海浜幕張蘇我では快速が各駅停車の代わりになる

*5:当時、総武線のATSはB型だったが、京葉線のATSはP型だったため、両方設置していた

*6:千葉駅も1968年までは東千葉・成田寄りにあり、総武本線外房線を直通する場合はスイッチバックしていた