「境界の彼方」ゆかりの地を巡る

ちょっと春休みをもらって、前から行きたかった「境界の彼方」の聖地を巡りに行きました。

乗車記録

列車番号 乗車駅 下車駅 番号 VVVF
3428M 西明石 三ノ宮 モハ224-42 東芝2レベルIGBT
826 神戸三宮 大阪難波 1106 三菱2レベルIGBT
917 大阪難波 大和西大寺 モ22802 三菱2レベルIGBT
3939 大和西大寺 近鉄奈良 モ9827 三菱2レベルIGBT
7074 近鉄奈良 大和西大寺 モ3203 三菱GTO
1061 大和西大寺 大和八木 モ8088 (界磁位相制御)
1083 八木西口 橿原神宮前 モ8823 界磁チョッパ制御)
4384 橿原神宮前 大和八木 モ8663 (界磁位相制御)
4418 大和八木 京都 モ22114 三菱GTO

フリー切符

難波までの移動は通常の乗車券で行いましたが、近鉄線内は今回のキャンペーンに合わせて発売された「境界の彼方 京阪奈1dayフリーきっぷ」を利用しました。これは、大阪や京都から入場券集めに来る乗客の便宜を図って出されたもので、大阪府京都府奈良県内の近鉄線に1日2000円で乗り放題というものです。近鉄のフリー切符の常ですが、特急券さえ買えば特急にも乗れます。

入場券と立て看板

大和西大寺・奈良・大和八木・橿原神宮前にて入場券が発売されています。手始めに、西大寺まで特急に乗って買いに行きました。

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西大寺には、シスコンでおなじみの名瀬博臣の立て看板があります。北口から入って階段を上がると、ファミマのはす向かいにあります。

続いて、西大寺から奈良まで快速急行で移動しました。

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奈良駅には、「何がスッコスッコよ!」でおなじみの名瀬美月の立て看板があります。3・4番線への階段のそばにあります。

名瀬家のお屋敷のモデルは、近鉄奈良駅の近くにある「奈良ホテル」です。

西大寺へ戻り、次の目的地・大和八木へ向かいました。特急がなかったので急行で移動しましたが、意外と速めでした。これは、橿原線の急行は西大寺以南では特急に追い越されないためです。京都線では大久保・新田辺・新祝園・高の原のいずれかで特急に追い越されます。

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大和八木駅には、「不愉快です!」でおなじみの栗山未来の立て看板があります。5番線(橿原神宮前・吉野方面)から1・2番線(伊勢志摩・名古屋方面)に上がるエスカレーターのそばにあります。

いったんここで下車し、駅南の観光案内所に行ってスタンプラリーの用紙をもらいました。八木駅周辺と橿原神宮周辺でスタンプラリーが行われており、急きょ参加することにしました。

スタンプ集めの関係で八木西口まで歩いて行き、八木西口から電車で橿原神宮前まで移動しました。橿原神宮前の台車交換所には16400系*1がいました。

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橿原神宮前駅には、メガネフェチでおなじみの神原秋人の立て看板があります。他の3人とは違い改札外、中央口の改札のそばにあります。

この後、ファンが集うことで知られる駅前の喫茶店「サンド」で昼食を取り、自転車で橿原市内の聖地を回り、宿泊先の京都市内へ向かいました。

22600系

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近鉄の特急用車両は、「アーバンライナー」や「しまかぜ」などといった目的地ごとに特化した車両と、どの系統にも使う汎用型の車両がありますが、汎用型の最新モデルが22600系です。22600系標準軌の路線向けで、南大阪線には16600系があります。

特化型のは21000系「アーバンライナー」を筆頭に、23000系「伊勢志摩ライナー」、26000系「さくらライナー」、21020系「アーバンライナーnext」、50000系「しまかぜ」とここ20年以上の間に多数登場しましたが、汎用型は1992年に22000系「ACE」が出て以来全く変化がありませんでした。その間に、12200系・12400系・12410系・12600系・30000系*2の更新工事でごまかしていたこともありました。

22600系・16600系は、17年ぶりの新型汎用特急車として2009年より投入され、4両編成が2本と2両編成が12本在籍し12200系を置き換えています。

近鉄特急初の装備として、座席のコンセントがありますが、2人で1個だけなうえに、容量が0.6A(N700系は2A)と小さいので使い物になりません。

フットレストは、新幹線のグリーン車で見かける裏表で材質が異なるものですが、布地の面を使うときには靴を脱ぐよう注意書きがなされています。

座席のテーブルは、近鉄特急ではおなじみのインアームテーブルに加えて、他社の特急用車両では一般的な背面テーブルが近鉄で初採用されました。新幹線で見かける車内設備の案内も書かれています。

京橿特急・京奈特急の存在意義

近鉄といえば隅々まで特急を走らせており、その特急料金の収入でローカル線を維持しているというぐらい、経営戦略上重要なものですが、京都~橿原神宮前(58.4km、京橿特急)、京都~奈良(39.0km、京奈特急)、大阪難波~奈良(32.8km、阪奈特急)という短距離の特急もあります。阪奈特急はJRで言うホームライナーみたいなものですが*3、京橿特急・京奈特急は近鉄特急の戦略を変えた系統であります。

元来、近鉄特急の主力は名阪特急でした。当初は伊勢中川での乗り換えを要していましたが*4伊勢湾台風からの復旧を兼ねて*5名古屋線標準軌化して名阪間直通運転を実現させ、1960年には名阪間ノンストップ運行も開始しました。

しかし、1964年に東海道新幹線が開通すると、新幹線のほうが早いのでそちらに乗客が流出してしまい、名阪ノンストップ特急の暗黒時代が始まりました。ひどいときには18200系の2両編成で間に合ってしまうこともありました。

その一方で、新幹線は新たな需要をもたらしました。近鉄は新幹線と接続する駅を2つ(京都・名古屋)持っており、そこから自社の縄張りである奈良・橿原・吉野・伊勢志摩への観光客を獲得するという策に出ました。京橿特急は新幹線開業と同日に運行を開始したほか、遅れて京奈特急・京伊特急も順次運行を開始し、名古屋で乗り継ぐ乗客を対象にして名伊特急も増強されました。かつては新幹線の駅に「奈良大和路・伊勢志摩へ近鉄特急 新幹線京都駅・名古屋駅で連絡」という看板が出ていた(MBSテレビ「真珠の小箱」の宣伝も兼ねていた)ほか、京都駅前の「新・都ホテル」には近鉄特急のネオンサインがあります。現在でも、JR東海は京都までの新幹線と、京都~奈良の近鉄電車の切符をセットにした商品を売り出していることがあります。*6

その後、名阪ノンストップ特急は国鉄の相次ぐ運賃値上げやストライキで盛り返し、「アーバンライナー」で完全復活を遂げるのですが、それまでの近鉄特急の戦略は伊勢志摩方面へ向かう乗客や京都・名古屋での新幹線からの乗り継ぎ客を狙ったものでした。

*1:後でわかったが、この編成は高安で更新工事を施工していた16401Fだった

*2:30000系はもともと伊勢志摩方面への運用を意識して開発されたが、時が下るにつれて汎用型として扱われるようになった

*3:実際、通勤時間帯にしか走っていない。快速急行の混雑を嫌う乗客が510円を払って乗ることが多く、かつて「マンスリービスタ14」があったころはこれでの利用も多かった。関西では追加料金を徴収する通勤電車は受けないと思われがちだが、実際は阪奈特急は10両編成でも満席ということがよくある

*4:伊勢中川で乗り継いでいた時代は、上本町からの特急が引き続き宇治山田まで運行していたこともあった。現在でいう「阪伊特急」の基礎となった

*5:標準軌化自体はかねてから計画がなされており、すでに準備工事にも着手していた。木曽川揖斐川長良川の橋梁は台風接近より前に完成しており、新橋梁に被害がなかったため当時の社長の決断で復旧工事とともに標準軌化を前倒しして行うことになった

*6:ちなみに、京都駅の新幹線改札口と近鉄の改札口は向かい合っている