ケータイの歴史を探れ!

先週末、両国国技館で開催された「Songful Days」に行ってきました。これに関しては後日書くことにして、今回はその前後に行ってきたスポットのことを書くことにします。

両国国技館の北にある「NTTドコモ墨田ビル」。その1階に、日本の無線通信の歴史が詰まった「NTTドコモ歴史展示スクエア」があります。ここには、日本初の移動電話から自動車電話、ショルダーフォン(平野ノラのネタでおなじみ)、ポケベル、PHS、衛星電話、携帯電話、スマホタブレットといった、電電公社・NTT・NTTドコモの電話機が総勢200台展示されており、一部は実際に手にすることもできます。

船舶電話(港湾電話)

日本で初めての無線電話は、1953年に始まった「港湾電話」でした。これは、東京湾・大阪湾にいる船から電話ができるというものでした。陸上に基地局を置き、航行中の船に置いた電話機と通信するという、現在の携帯電話の基本的な形がこの時すでにできています。

当時の電話機は非常に大きく、通信モジュールだけで配電盤ぐらいの大きさがあり、受話器も固定電話のものが流用されています。さらに、当時は相手の番号をダイヤルするのではなく交換手を呼び出してつないでもらっていたため、電話機にダイヤルがありません。交換手を介さず、直接ダイヤルしてつながるようになったのはもっと後のことです。

現在は衛星電話(ドコモでは「ワイドスター」という)が実用化されてこちらに移行したため、地上に基地局を置くタイプの船舶電話はありません。

自動車電話

船の次は車です。このあたりから、800MHzの電波を使うようになるなど、システムが現在の携帯電話にだいぶ近くなってきました。

ただ、この当時も通信モジュールは非常に大きく、7kgもありました。これをトランクに固定し、受話器を後部座席に置いて使っていました。電源はカーステレオなどと同じく車のバッテリーからとります。

後部座席に置く理由は、当時の主たる客層は大企業の幹部だったためで、運転手つきの高級セダンで移動している際に、会社と連絡を取るために使っていました。実際、料金は非常に高く、基本料は3万円、通話料は6秒10円、さらに保証金として20万円を預ける必要がありました。電話機自体もレンタル品でした。*1
ただし、数は少なかったもののタクシーの乗客向けのものもありました。

デジタル化されてからもしばらく細々と出ていましたが、携帯電話に車載用のオプションが出ており、これらに置き換えられる形で姿を消しました。

現在の携帯電話は自動車電話から発展したシステムであることと、のちに参入してきた携帯電話会社の設立母体に自動車メーカーが入っている*2のは無関係でもなさそうです。

ショルダーフォン

バブル期の象徴として語られることが多いのですが、現在ではそのスタイルがかえって新鮮に映るようで、iPhoneケースにショルダーフォン風のものが出てくるぐらいです。

自動車電話は車に固定して使うものであり、車外に持ち出して使うことはできませんでした。しかし、外で使いたいという需要もあったようで、1985年に登場しました。

端末機は自動車電話をベースとしており、馬鹿でかい通信モジュールを押し込んでいたのと、これまた電池が馬鹿でかかったため、持ち運びできるとはいえ初期型で3kg(スマホ20個分)もありました。持ち運び専用にすることで2.5kgまで軽量化を果たしましたが、これでもスマホ17個分、500mlのペットボトル5本分です。

当時は電子機器の蓄電池といえばニッケルカドミウム電池しかなかったため、あれだけでかい電池を積んでいても連続通話時間は40分でした。

なんと、デジタルショルダーフォンというのもありました。こちらは少し軽量化されていますが、それでもまだ1.5kg(スマホ10個分)あります。

ポケットベル

ポケベルの歴史は携帯電話より古く、1968年に東京23区内でサービスを開始しました。初期のポケベルは音が鳴るだけのもので、外回りの営業マンに持たせて、電話をかけて鳴らして呼び、最寄の公衆電話から電話をかけてもらって連絡を取るという使い方でした。自動車電話より料金がはるかに安かったため、個人向けの移動通信といえば長らくポケベルが主流でした。

1987年には、数字を表示できるものが登場しました。これは本来、表示された番号にかけてほしいという意思表示をするためのものですが、このころポケベルの主たる客層になった女子高生の間でごろ合わせが大流行しだし、女子高生のコミュニケーションツールとして欠かせないものになりました。

末期にはカタカナで文章を送ることができるものも登場し、その際にプッシュホンで文字を入力するためのコード表が出てきました。いわゆる「ポケベル打ち」というもので、現在でもスマホでポケベル打ちができます。

その後、SMS・Eメール対応の携帯電話に顧客が流出し始め、現在個人レベルで持っている人はいないといっていいでしょう。

初期の携帯電話

1987年に登場しました。ようやく、持ち運びができるサイズにまでなりましたが、それでも900gあり、ショルダーフォンと比べて小さくなったことからその分使用時間も短くなっています。また、背中に手を通して使うベルトがついています。

型番は「TZ-802」で、自動車電話「TZ-801」の次世代モデルということになっているようです。さらに小型化した「TZ-803」ものちに登場しました。

超小型携帯電話「mova(ムーバ)」

1989年に登場した、モトローラ「マイクロタック」。これは、当時世界最小の携帯電話でした。日本ではDDIセルラー「HP-501」として発売されました。関西地区で発売したところ、かなり売れたため、一時はNTTよりDDIセルラーのほうが客が多い(関西や沖縄では今でも?)ということもありました。

NTTとしてもこれを黙って見ているわけにもいかず、端末メーカー4社(NECPanasonic富士通三菱電機)とともにマイクロタックより小さい携帯電話を開発し、1991年に「超小型携帯電話・ムーバ」として登場しました。ムーバとは「movable」の最初の4文字です。広告などでは、メーカーを表すアルファベットをつけて「ムーバD(三菱)」「ムーバF(富士通)」「ムーバN(NEC)」「ムーバP(Panasonic)」とし、モデルチェンジするたびに末尾の数字が増やされました。デジタルムーバも当初はアナログムーバと同じ型番でしたが、9600bpsデータ通信に対応した機種には「HYPER」がつき、1996年モデル以降は「メーカーの略号+3ケタの数字+端末のタイプを示すアルファベット」で、2004年以降のFOMA*3にも踏襲され2008年までこのルールで型番が振られていました。

初代モデルの正式な型番はすべて「TZ-804」で、中身もほとんど同じようなものでしたが、形はさまざまで、特に「ムーバN」は現在に至るまでNECの携帯電話ではおなじみの2つ折りタイプでした。

のちに登場したデジタル機は「デジタルムーバ」と言われていましたが、アナログ携帯電話サービスが廃止されると単に「ムーバ」というようになりました。さらに、第3世代携帯電話「FOMA」サービスが始まると、本来は超小型携帯電話の商標名だった「ムーバ」が、第2世代携帯電話サービスの名称として転用され、2012年3月まで使われていました。

なお、「ムーバ」を名乗ることができたのはNTTと共同開発した4社のほかに、内部のソフトウェアにNTT標準のものを使っていた日本無線モトローラ製の機種だけで、他社(ソニー*4・シャープ・東芝など)の機種は2001年までは「ムーバ」ではなく「DoCoMo by ○○」でした。また、メーカーの略号も、「ムーバ」を名乗ることができるメーカーは1文字で、「DoCoMo by ○○」のメーカーは2文字でした。

iモードが始まるまでは、小型化競争が非常に激しく、60g台まで軽量化したものもありました。小さすぎるとかえって使いにくいため、適度なサイズに大型化するということは時折見られます。

また、初期のデジタルムーバまでは、発信・終了ボタンが数字キーの下にありました。

mova」メーカー(いわゆる“電電ファミリー”)

DoCoMo by」の機種を出していたメーカー

PHS

PHSとは、外に持ち出して携帯電話として使えるコードレス電話というべきものです。出力が小さく、大掛かりな設備を必要としないため基地局のコストが小さくすみ、地下の限られたスペースでも基地局を設置しやすいため、地下街や地下鉄では早くから使えるというメリットがあった反面、広いエリアをカバーするには基地局を多数設置する必要があるほか、移動しながら通話が正常に行えないなどというデメリットも抱えていました。なお、現在でも工場などの構内専用のものは広く使われています。

料金が安かったことから、ポケベル同様学生の必須アイテムとみなされていた時期もありましたが、やはり携帯電話に流れたため消滅寸前です。また、かつては携帯電話より速い、最大64kbpsのデータ通信ができることも売りとしていましたが、こちらも携帯電話の通信速度が上がったためアドバンテージを失いました。その当時は、パソコンやPDAに入れて通信することに特化した、電話機型ではないPCカードコンパクトフラッシュ型の端末もありました。

一時期には、デジタルムーバとPHSを掛け合わせてお互いを補完する「ドッチーモ」という電話機も売り出されていました。

腕時計型PHS「WRISTOMO(リストモ)」。のちのスマートウォッチとは異なり、これ1台で電話として使えます。

携帯電話のお供 -iモード普及前夜-

iモードが始まる前は、携帯電話をパソコンやPDA携帯情報端末)につないでインターネットにつないだりメールを送受信することがありました。中にはメール機能に特化したものもありました。

これらを使うことを前提としたサービスとして、1通10円で送れることを売りにした「10円メール」というサービスもやっていました。さらには、「mopera」というプロバイダも運営されています。

iモード全盛期

1999年、携帯電話の歴史が変わりました。話すだけだった携帯電話が、インターネットにつながる。いろいろな使い方ができる。メールも自由にやり取りできる。今までの携帯電話にない使い勝手と目新しさが受けて、他社も追随するほどの大ヒット作となりました。固定電話バージョンとして「Lモード」というのも出てきましたが、こちらはあまりヒットしませんでした。
ただし、人気が出すぎて回線がパンクするということも初期には見られました。

初期の機種は画面が白黒で、ブラウザとメールだけだったのが、カラー画面とカメラ、さらには非接触ICカードを取り入れ、多機能化へまい進していきました。ちなみに、iモードとは関係ありませんが、映っているのは「SO502iWM*6という、今ではすっかり当たり前になった音楽プレーヤー内蔵モデルです。

これは、「iモードFeliCa」を搭載した初期のモデルです。初期には楽天Edyか、ビックカメラのポイントカードぐらいしか対応していなかったのですが、のちにQUICPaySuicananacoWAONなど対応サービスが次々と増えていきました。

これまでの携帯電話は小型化が非常に進んでいましたが、iモードの開始と前後して大型の画面を搭載するようになり、再び大きくなりました。

以前は、iモード対応機はmovaの中でも上位モデルという位置づけがなされており、型番の末尾にiが付いただけではなく、数字は主流だった200番台の上ということで500番台がつけられていました。のちに、200番台の機種もiモードに対応するようになっています。のちにカメラ付きの普及モデルとして250番台が登場しました。
普及しだした時代のFOMAも、movaの500番台と比較してさらに上位という位置づけから900番台がつけられ、普及機として700番台が追加されています。FOMAの900番台と700番台、movaの500番台と200・250番台は同じようなランク付けとなっています。

FOMA

Freedom of Mobile Multimedia Access -マルチメディアへ自由にアクセスできるケータイ-

携帯電話でも、高速大容量で快適なデータ通信を実現させた、それがFOMAです。高速大容量通信を生かして、テレビ電話・動画配信などのサービスが提供されていましたが、movaとは全く互換性がないうえにエリアが狭くてつながりにくく、さらには初期モデルでは電池がすぐ切れるという欠点を抱えていました。これらは、のちのモデルで少しずつ改善されていきました。
初期モデルは型番が数字4ケタ(2000番台)で、movaとは全然違うものというイメージが出来上がりました。2004年以降はmovaからの乗り換えを意識して、型番も数字が3ケタで、末尾にiモードの「i」がつくmovaと同じ方式になり、端末自体もmovaと同じ感覚で使えるようなものになりました。

FOMAカード(現在のドコモUIMカード)に電話番号の情報を書き込み、これを電話機に入れて使います*7。そのため、機種変更する際は新しいやつを買ってきてカードを差し替えれば(サイズが違うなどで交換を伴わない限り)OKです。古いやつを残して故障時などの緊急時に使うというのもあります。

FOMA初期の機種としては、このようなものもありました。

SH2101V」ですが、電話というよりは小さなノートパソコンで、今のスマホみたいなものです。どうやって会話するのかというと、細いワイヤレスの受話器が付いており、これを使います。

スマホの時代へ

以前からスマホらしきものはちょくちょく出てきていましたが、日本での普及前夜のスマホは「HT-01A」や「ビジネスFOMA M1000」などがありました。どちらかというと、ビジネスツールとして売り出されていたようで、docomoの6つのカテゴリー(PRIME・STYLE・SMART・PRO・らくらくホンキッズケータイ)では「PRO」シリーズに属していました。

docomoで初めて本格的に売り出されたスマホは、「Xperia」SO-01Bです。このモデルから、スマホはPROシリーズから独立して「ドコモ スマートフォン」というくくりで出されています。

日本でスマホが本格普及するにあたって、これまでの携帯電話の機能(ワンセグおサイフケータイ・赤外線通信・防水防塵etc.)を盛り込んだものも登場しました。「Xperia acro」SO-02C

*1:後の携帯電話もレンタル品だった。買取制が導入されるのは1994年から

*2:日本移動通信IDO):トヨタ ツーカー:日産 そのため、現在でもトヨタの販売会社でauの携帯電話を取り扱っており、以前はトヨタ限定の携帯電話もあった

*3:初期のFOMAは数字が4ケタだった

*4:もともと、ソニーはDDIセルラーグループ(正確にはその親会社のDDI)の設立母体であり、以前はあまりNTTドコモ向けの機種を出していなかった。同じ理由で京セラもNTTドコモ向けの機種はほとんどなく、DDIセルラーau向けが多い

*5:三菱のMではない。三菱系の企業の商品名によくある「ダイヤモンド」のD

*6:ソニー製のため、型番末尾の「WM」はウォークマンのことかと思われがちだがそうではなく、With Musicの略らしい。その後、「Music Porter」という三菱製の音楽ケータイが出たが、これも末尾に「WM」が付いている

*7:movaまでの携帯電話は、販売店にある専用の装置で電話機に電話番号の情報を書き込んでいた