地下鉄博物館

関東地方の鉄道にまつわる博物館といえば、JR東日本の「鉄道博物館」、東急電鉄の「電車とバスの博物館」、東武鉄道の「東武博物館」などがありますが、今回は東京メトロの「地下鉄博物館」に行ってきました。

場所は東西線葛西駅の高架下で、東京駅からだと大手町まで歩いてから東西線に乗り*1、各駅停車で17分です。東陽町西船橋の快速運転区間内に入っており、快速は止まらないので注意が必要です。

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入り口の横に、地下鉄の台車と、開館当時(1986年)に営業していた都営地下鉄も含む10路線の色をあしらったレリーフがあります。

南北線都営大江戸線の最初の区間は1991年に、副都心線は2008年に開業

入ってみよう

入館券は、団体客でもない限り券売機で買うのですが、食堂などで見られるものを流用しています。もっとも、他社の博物館でもそのあたりは同じです。PASMOをはじめとする各種ICカードの使用も可能です。

入り口では本物の自動改札機を流用しており、平日はここに入館券を通して入館します。休日には、その昔どの駅でも見られた改札ブースがあり、そこで係員に切符を切ってもらいます。

改札の横には昔の自動券売機があります。上の行燈には「営団線 全線」と書かれているほか、大人用と子供用のボタンが分かれており(昔の券売機ではよく見られた)、さらに連絡切符の選択ボタンも、「国鉄線(北千住経由)*2」、「小田急線(代々木上原経由)」、「東武線(北千住経由)*3」、「都営線連絡」となっています。実際に中野新橋駅で使用され、2013年まで入館券の販売機として使われていたものですが、操作盤は1984年当時の千代田線のどこかの駅でのものをボール紙に印刷して貼り付けて再現しています。

その昔、自動券売機といえば単一の券種しか発行できないものが大多数を占めていました。他社では早いうちに多機能型に置き換えられましたが、営団地下鉄には160円もしくは190円専用の券売機が平成どころか21世紀になっても、東京メトロになってからも2006年まで残っていました。こちらは展示されていませんでした。

お出迎え

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中に入ると、かつての丸ノ内線の主役だった300形(C#301)がお出迎えです。300形は、丸ノ内線の第一期区間(池袋~御茶ノ水)が開業時に30両が揃えられました。

特徴は何と言っても赤い車体に白い帯で、帯には正弦波(サインウェーブ)があしらわれています。長年にわたって活躍したということもあり、「丸ノ内線といえばサインウェーブ」というイメージが出来上がっています。のちに02系のリニューアル工事を行った際、サインウェーブが復活しました。

足回りは、当時電車の技術では最先端を行っていたアメリカで広く使われていた技術を、三菱電機を経由して取り入れ、その後の日本の電車の技術向上に一役買いました。そのうちの一つが、高回転型のモーターと組み合わされたWN駆動装置で、現在の地下鉄の標準的なシステムとなっています。構造上高出力に耐えられるというメリットがあるのですが、継手が大きく場所をとり、その分モーターが小さくなって出力も落ちるため、日本で標準的だった1067mm軌間の路線では普及が遅れ、丸ノ内線をはじめとする標準軌の電車*4で先に普及しています。

1988年から02系を導入して置き換えることになると、置き換えられた車両は日本橋三越で40万円で売り出されていたほか、大多数はアルゼンチンに輸出され現地でも主力車両として活躍していました。しかし、アルゼンチンでも老朽化に伴い故障が多発して引退することになり、4両が東京へ戻ってきました。現在は中野車両基地で動態保存されています。

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銀座線の初代車両、東京地下鉄道1000形です。浅草~上野が開業した1927年に導入されたもので、現在の銀座線の主力車両・1000系のモチーフとなりました。

一般の鉄道でも同じことですが、地下鉄で一番怖いのは車両火災です。当時の電車は木造が当たり前で、ようやく鋼材を併用し始めたという段階でした。木材を排除してすべて鋼材で作るようになったのは、前年に登場した阪急600形がありますが、この電車は関東では初めての全鋼製車両です。全鋼製車両でありながら、木造車と同じムードを演出するため、内装は木目調の塗装をしていました。

色は現在の1000系と同じ黄色ですが、これはトンネルの中でも明るく目立つように、ということで、ベルリンの地下鉄からヒントを得ています。ただし、時が下るにつれて濃くなり、黄色というよりオレンジに近づいていきました。01系では黄色が消えましたが、1000系で復活しました。
のちの名古屋市営地下鉄でも、初期の車両は同じ理由で黄色く塗られていました。

この当時の車両で、すでに車両間の転落防止柵が取り付けられています。ただし、現在の車両とは異なり車体の四隅についているのではなく、点対称になっています。

戦後になって台車を交換しており、その時に外された台車の一部は山陽電車で1980年まで使われていました。その台車は里帰りを果たし、C#1001の復元に役立てられました。当時はまだ地下鉄博物館がなかったため、代わりに神田須田町交通博物館で保存され、地下鉄博物館の開館にあたって移設されました。

なお、この当時の車両番号のフォントは一般的なもので、営団地下鉄独特のものではありませんでした。

1977年に日本での地下鉄開業50周年を記念して発行された切手には、銀座線の1000形と、神戸市営地下鉄の1000形が描かれていました。銀座線の1000形は日本初の地下鉄電車、神戸市営地下鉄の1000形は当時最新鋭の地下鉄電車ということで選ばれました。

自動改札機

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改札の自動化はかなり早くから考えられていたようです。これは、浅草~上野の開業時に使われていたターンスタイル式の自動改札機です。
現在の磁気券やICカードを使う改札機とは異なり、10銭硬貨を入れてバーを押して通るタイプです。これは、当時の銀座線の運賃は10銭均一という、現在でも大都市の路線バスや路面電車でみられる運賃制度を取っていたためです。このため、開通日の乗車券というものはありません。1931年に神田まで延伸した際に運賃が区間制になったため、このタイプの改札機は廃止されました。
現在見られる磁気券を用いる自動改札機は、1974年に恵比寿・中野坂上・池袋(有楽町線)・銀座一丁目で試験導入されましたが、当時は関東地区ではあまり普及が進まず、本格的な普及は1990年代まで待つことになります。

地下鉄博物館に置いてあるレプリカは、5・10・50・100円硬貨を入れて通ることができます。

駅ナカ

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東京地下鉄道は早くから駅ナカビジネスに取り組んでいました。「地下鉄ストア」や「地下鉄食堂」がこれに当たり、現在の「メトロ・エム」や「Echika」に発展します。その目的は、乗客誘致と収益確保のためで、先に開業した梅田の阪急百貨店と目指すところは同じでした。

まず浅草で地下鉄食堂を開業したのを皮切りに、上野や神田須田町にも展開していましたが、営団に改組されたのと前後して消滅しました。しかし、神田須田町の地下鉄ストアは、当時入居していたテナントに営業を継続してもよいと通達していたため、21世紀になっても一部のテナントが営業していました。最後まで残ったテナントとしては「地下鉄歯科診療所」や「地下鉄美容室」があり、中には看板に書いてある電話番号が、市内局番が3ケタのままになっていたということもありました。

6000系の貫通扉

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1971年に登場し、21世紀に入っても千代田線の主力車両であり続けた6000系ですが、老朽化を理由に16000系への置き換えが進められており、残すところあと1編成となりました。

6000系は地下鉄電車のデザインに大変革をもたらした車輛として知られており、固定編成で運用することを前提として正面の貫通扉は非常用と割り切りました。そのため、運転席からの視界を広くすることや、運転席のスペースを広くとるため、貫通扉の位置がずらされています。

扉はどうなっているかというと、近年の電車では横へスライドして開くのですが、6000系では上から下に開くようになっており、扉の背面は非常階段になっています。のちの7000系・8000系にも踏襲されています。

地下鉄電車では通常、トンネル断面が小さいために車両の両側に避難通路となるスペースがなく、非常時には前後から脱出する必要があるため、必ず正面に貫通扉がついています。千代田線に乗り入れる小田急ロマンスカー「MSE」60000形も、流線型の先頭車に溶け込むような形で貫通扉が設けられています。
近鉄特急などで、地下を走るのに貫通扉がないものがありますが、これはトンネルの断面が大きく、非常時でも側面から脱出できるためです。ただし、架線集電の場合に限ります。第三軌条方式の場合、側面から出ると第三軌条を踏んで感電する恐れがあるため、トンネルが広い場合であっても正面から脱出します。

01系

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1984年の正月にデビューを飾った、営団地下鉄「0シリーズ」の始まりとなる車両です。戦前生まれの電車も多かった銀座線の体質改善とイメージアップのために導入されましたが、登場から30年以上経過し、車体が小さくて機器の追加を伴うリニューアル工事ができないということから、1000系に置き換えられて昨年引退しました。

第29編成の1号車(渋谷寄り)の先頭部を切り取ったうえで、地下鉄博物館にやってきました。

最後までワンマン運行などに対応する改造を行わなかったため、運転席は原形をとどめています。どういうわけか、地下鉄車両の運転台は相互乗り入れなどによる制約が特にない場合、JR西日本や関西圏の私鉄ではおなじみの、加速・ブレーキレバーともに前後に操作するタイプが多くみられます。

運転シミュレーター

地下鉄博物館といえば、なんといっても運転シミュレーターです。4つあり、02系・5000系・6000系・8000系を運転できます。ただし、02系といいながら銀座線を、8000系といいながら有楽町線を走るようになっていますが、これはリニューアルの際に映像を変えたためです。

中でも一番人気は、6000系のシミュレーターです。これはほかの鉄道系の博物館にある、映像だけが動くものではありません。実際の車両の動きも再現されており、本当に6000系を運転しているかのような感覚を味わえます。それもそのはず、本来は本職の運転士の研修に使うものをそのまま入れています。それゆえ、小学生以上しか運転できません。

*1:東京駅には「東西線」の乗換案内がある

*2:千代田線と常磐線の境界駅は綾瀬だが、乗車の仕方によっては北千住~綾瀬もJR線扱いで運賃を計算することがある

*3:北千住で、千代田線と日比谷線東武伊勢崎線を改札を出ないで乗り換えることができる

*4:初期のWN駆動の車両としては、銀座線の2000形、阪急1000系(初代)、近鉄1450形、山陽2000系などがあるが、すべて標準軌だった