昨年、14年ぶりに網干総合車両所の一般公開に足を運びましたが、今年も行ってきました。
網干総合車両所とは?
2000年代以降、JR各社で車両工場の再編が進んでいますが、JR西日本では特に顕著で、車庫と工場を合わせた「総合車両所」が在来線だけで5つ(網干・吹田・後藤・下関・金沢)、新幹線(博多・白山)も入れると7つあります。
網干総合車両所の前身は、鷹取工場・網干電車区・明石電車区で、鷹取工場の機能を網干電車区に統合し、明石電車区の車両検修部門は明石支所となっています。なお、明石電車区は運転士の基地として残っています。
なお、「網干」総合車両所と名乗っていますが、網干電車区、さらには明石電車区の網干派出所だった時代から姫路市網干区ではなく揖保郡太子町にあります。
その後、宮原総合運転所(新大阪駅の近くにある。宮原電車区・宮原客車区・宮原機関区・宮原操車場を統合)、加古川鉄道部の車両検修部門を統合して現在に至ります。
統合前の各区所では、それぞれ以下のような業務を担当していました。
- 鷹取工場:関西地区の在来線車輛全般の整備を担当。SLの検査業務でも名をはせた。和田岬線の気動車の基地でもあった。
- 網干電車区:京阪神地区の快速用車両(113系・115系・221系・223系)と、播但線の電車が所属
- 明石電車区:京阪神地区の各駅停車用車両(103系・201系・205系・207系)が所属
(その後統合された区所では…)
- 宮原総合運転所:トワイライトエクスプレス・サロンカーなにわ・福知山線の快速用車両が所属
- 加古川鉄道部:加古川線の電車が所属
現在では以下のように分担しています。
- 本所:
- 明石支所
- 宮原支所
新旧トワイライトエクスプレス
1988年に青函トンネルが開通し、北海道までレールがつながりました。これを機に、JR東日本とJR北海道は上野~札幌で「北斗星」を運行開始しましたが、これが好評だったため翌年にはJR西日本も北海道への夜行列車に参入し、大阪~札幌で「トワイライトエクスプレス」を運行開始しました。
JR西日本が誇る豪華列車として長年君臨し続けてきましたが、車両の老朽化や、北海道新幹線の開業による架線電圧の昇圧に伴い、2015年春のダイヤ改正で運行を終了しました。しかし、運行終了を惜しむ声が乗客や旅行社から相次いだため、検査期限が切れるまで団体列車「特別なトワイライトエクスプレス」として1年間、最後の活躍を見せていました。こちらは北海道ではなく、当初は琵琶湖一周、のちに山陽・山陰エリアを中心として運行されており、以前は乗り入れていなかった九州へも足を延ばしたことがあります。
「特別なトワイライトエクスプレス」の後を受け継ぐ形で、2017年に「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」が運行を開始しました。JR九州が「ななつ星in九州」で先鞭をつけた、富裕層向けのクルーズ列車にJR西日本も参入しました。
北海道へ行っていた客車列車を「初代」、“瑞風”を2代目とする向きがあります。
北海道時代は交流電化区間がほとんどの日本海縦貫線を通っていたため、牽引機は青森までEF81が担当しており、連結器を密着自動連結器に変えた専用機は客車と色が揃えられていました。そして、「特別な - 」では山陽エリアを中心に走ることから、EF65が起用されていましたが、1124号機がトワイライトエクスプレス色に変わりました。
今回は“瑞風”の1・6~10号車と、「特別な - 」の牽引機だったEF65-1124が網干にやってきました。また、専用の制服を着た係員が来ており、車内で使用されている備品も展示されていました。JR西日本エリアの逸品が集められています。
今回は電源を切っていたためランプは全然ついていませんでしたが、テールランプはかつてのスカイラインやGT-Rを思わせる丸型です。また、“瑞風”は客車ではなく気動車ですが、ディーゼルエンジンで発電し、その電気でモーターを駆動するという、どこかで見たような方式です。
スマホ時代の忘れ物
電車内での忘れ物放出セールをやっていました。梅田の阪神百貨店などで時々やっていますが、網干でも毎年やっています。
電車内での忘れ物といえば傘が圧倒的に多いのですが、近年はスマートフォンが幅広い層に普及しており、その関連の忘れ物が多数出ていました。
充電器・充電ケーブル・モバイルバッテリーです。充電器は、たまにフィーチャーフォン向けのものがあった以外はほとんどUSBケーブルを付け替えて使うもので、そのケーブルもmicroUSB、4SまでのiPhone向けのDockコネクタ、Lightningコネクタのものなど多数ありました。
105系 in 網干
網干では岡山電車区の電車も検査を受けており、105系が来ていました。福塩線の電化区間で使用されていますが、岡山電車区に出入りするため岡山~福山の一部列車でも使われています。
山陽地区の103系・105系・113系・115系は2009年からすべて黄色く塗られています。かつての福塩線カラーは、黄色に青い帯という、初期の福知山線の113系やドクターイエローのような色でしたが、2017年までに黄色だけに塗りなおされました。
福塩線の105系は、1981年に旧性能電車を置き換えるために新造投入されたグループで、一部が213系に追われて和歌山へ行った程度です。
初代マリンライナー
国鉄最後の新形式として知られる213系。顔は211系で、インテリアは117系というものです。短い編成で走れるよう、国鉄電車の標準であるMM'ユニット方式ではなく、動力車1両に主要機器をすべて固めた1M方式をとっています。もともと、横須賀線・総武線快速に211系を導入する際、勾配だらけの地下線を走るのに211系では基本編成が4M7Tという編成になってしまい力不足になるのと、だからと言って6M5Tにしてしまうとコストダウンにならないため、1M方式の動力車を入れて5M6Tにしようという発想で設計されていたのですが、211系の横須賀線導入計画がおじゃんになってしまい、これが宙に浮いたのを、岡山地区向けの新型車両に応用したものとも言われています。なお、213系の足回りに211系の車体を組み合わせたものが、JR東海の「クモハ211-6000」です。
瀬戸大橋の開通は1988年4月10日ですが、213系は1987年に導入されています。3両編成が8本投入され、岡山~宇野の快速「備讃ライナー」(当時運航されていた宇高連絡船に接続していた)に9両編成で使われていました。この列車は、今では当たり前となった全席禁煙の快速です。当時は西明石以西では車内での喫煙がOKだったので、全席禁煙の普通・快速列車は画期的でした。
その後、瀬戸大橋線が開通し、「備讃ライナー」が宇野から高松に行先を変えて「マリンライナー」になると、ハイデッカーのパノラマグリーン車・クロ212が3両新造されました。2編成はクハ212と差し替えられ、1編成は3両とも新造されており、グリーン車付きの編成が3本用意されています。余ったクハ212はクモハ213を1両追加で新造したうえで組み合わせ、普通車のみの編成が7本、グリーン車付きの編成が3本用意されています。さらに、クロ212を3両編成にしたような団体用車両として「スーパーサルーンゆめじ」も投入されましたが、こちらは車体が重いことから足回りは211系のものが使われており、この2両(クモロ211・モロ210)がJR西日本で唯一の211系となっていました。
当初は1時間おきに運行されており、「備讃ライナー」時代と同じく9両編成で運行されていましたが、折しも訪れた瀬戸大橋ブームで乗客が激増しており、213系や“ゆめじ”以外の車両(115系・117系・221系など)で臨時便が出されたり、“ゆめじ”編成をばらして通常の9両編成の岡山方につないで11両編成になることもありました。
1989年にグリーン車付きの編成を2編成投入し、基本を6両編成として30分間隔で運行されるようになりました。
しかし、運行開始から15年しか経過していなかったものの、海の上を走ることから塩害に悩まされていたほか、JR西日本の車両を使っていたためにJR四国が車両使用料を支払う必要があり、費用負担で苦しんでいたことから、新型車両を共同開発して置き換えることになり、基本編成はJR四国の5000系、付属編成はJR西日本の223系5000番台に置き換えられました。なお、5000系の自由席車両は223系そのものです。
213系はどうなったかというと、一部のクロ212とサハ213が廃車になったほか、技術試験車「U@tech」になった車両以外はすべて残って岡山地区の普通列車として活躍しており、サハ213は高松寄りに運転台を取り付けて「クハ212-100」に生まれ変わりました。先頭構体(白い部分)がオリジナルのクハ212より長いのと、灯火類が四角いのですぐわかります。
2012年からは体質改善工事が行われており、座席は225系に準じたものに交換され、行先表示器がLED化され、車内のすべてのドア上にLED案内表示機が付いています。
網干に来ていたのは、体質改善以外は手を加えていないC05編成で、C04~C06編成が3両編成のまま残されています。
車輪をきれいに
電車の車輪は、最初は形が整っているのですが、走っているうちに空転したり、きついブレーキをかけてロックして滑って削れる*1などして形が変わってしまいます。これを放置すると、異常振動が起きて乗り心地は悪くなり、さらに騒音の原因ともなるため、定期的に削って形を整えてやる必要があります。
かなり走り込んだ車両の車輪です。これを、台車から外して車輪旋盤にセットします。
車輪旋盤で削っています。かなり深く削り込むようです。
ここまできれいになりました。これでまた走ります。
なお、削れば削るほど直径が小さくなるため、直径が一定値より小さくなると車輪を丸ごと交換します。
なお、JR西日本では輪軸を台車枠から外して旋盤にセットするのですが、一部の私鉄では台車枠から外さずに削ることができるものもあります。
小さくてパワフル
これは、221系のモーター(直流直巻電動機)です。221系の足回りは211系・213系をベースとしており、モーターの出力は120kWです。減速機も211系と同じ16:83のものを使用しています。
これは、223系のモーター(三相交流誘導電動機)です。221系のものと比較して、ブラシがない分小型軽量化されており、出力も220kWと大幅に上がっています。なお、一部の車両には絶縁を強化して出力を230kWに上げたものがついています。
ただ今リニューアル中
1991年に登場した、JR西日本初の通勤電車・207系。もともと、片福連絡線(JR東西線)向けの車両として開発されており、それに先立って片町線・福知山線の101系・103系を置き換えるべく、かなり早い時期から投入されていました。それゆえに、製造から20年以上経過しており、321系と比べても各所で見劣りがしていました。
そのため、2014年からリニューアル工事を行い、現在は3割がた完了しています。
工事にあたっては、車体に補強を施すため内装をすべて取り外しています。そのため、車体の骨格が丸見えです。
車体のみならず、足回りにも手を加えています。インバータ制御の電車では、抵抗制御の車両では考えられなかった、半導体素子の経年劣化という問題に直面しており、インバータを丸ごと交換しています。
このほか、顔にも手が入れられており、321系風の顔になっています。
当初、0番台の量産車のみが対象でしたが、1000番台も施工しています。
イコちゃんがいっぱい
2003年にサービスを開始した「ICOCA」、そのマスコットキャラクターとして「カモノハシのイコちゃん」がいます。あくまでもICOCAのマスコットという位置づけですが、みどりの窓口にぬいぐるみが飾ってあったり、社会人野球の大会にJR西日本の野球部が出た際は応援に駆け付けるなど、実質的にJR西日本全体のマスコットという位置づけもなされています。なお、Suicaのペンギンは古くからの親友とのことです。
JR西日本のイベントでは必ずどこかに出没するのですが、昨年は社会人野球日本選手権の応援で京セラドームに行っていたためいませんでした。しかし、今年は着ぐるみが出てきました。
着ぐるみ以外でも、いたるところにイコちゃんがいました。
また、姫路列車区の顔出し看板(キハ189系「はまかぜ」を運転しているような体で写真が撮れる)でも、子供の気を引くのにイコちゃんのぬいぐるみを使っていました。
イコちゃんの仲間としては、かつての「こどもICOCA」*2と同じ色で帽子をかぶった「カモノハシのイコ太」と、リボンをつけた「カモノハシのイコ美」、体がシルバーでがま口をぶら下げた「スマートイコちゃん」がいます。