City Commuter of KEIHAN

京阪電車の車両は、大きく分けてこの4つに分けることができます。

  • 特急用(8000系・初代3000系)
  • 快速急行用(2代目3000系)
  • 一般型(上記以外の京阪線の全車両)
  • 大津線用(600形・700形・800系)

ここでは、一般型車両を紹介することにします。

2200系


淀屋橋延伸開業に合わせて、輸送力増強のために1964年登場。

オールMとして高加速を実現していた2000系「スーパーカー」とは異なり、M車とT車をバランスよく組み合わせて編成を組んでいます。ただ、そのあおりで加速度は2.5km/h/sに下がってしまいました*1

2400系・2600系にバトンタッチし生産はいったん中断されたのですが、1985年に京阪初の8両編成列車を運行するに当たって再び生産されました。もうすでに6000系は登場していたのですが、当時8両編成を運行することができたのは樟葉以南で、全線での8両編成投入は京都市内の地下線切り替えと同時に行うため、6000系を8両編成にしてしまうと樟葉以北で最新鋭車両を運行できなくなるためもったいないから、ということです。

2400系


関西初の冷房付き通勤電車。登場したのは1969年の冬だったため、本領を発揮するのは翌年の夏からでした。

意外に知られていないのですが京阪初の7両固定編成で、2200系とは異なるヘッドライト・標識灯*2を装備しています。また、2400系のみ小型のクーラーを8台装備しています。初代3000系やのちに改造された形式では少し能力を上げたクーラーを4台(5000系は5台、6000系から9000系までは集中式、10000系・2代目3000系は2台)装備しています。

ちなみに、2200系には2400系と同じ顔の車が1両だけありますが、これは人身事故で貫通扉をつぶしてしまい2400系のものをはめたからです。

2600系


1959年に登場した「スーパーカー」2000系は、オールMによる高加減速性能が売りでしたが、京阪線の1500V昇圧が決定すると、回路が複雑すぎて昇圧工事に対応できないため、車体を再利用して機器を新調し、1978年に登場したのが2600系です。その経緯から、一般的には機器更新車という扱いにすべきでしょうが、書類上は2000系を廃車して2600系を新造したという扱いになっています。

2000系はちょうど100両でしたが、2600系は103両製造されています。数が合わないのは、2200系の3両編成を1本編入しているためです。

昇圧後は7両編成が8両編成に組み直されて7両編成が不足することが予想されたため、7両編成4本を新造投入しました。この車両は下2けたを30番台として区別しています。

車体は製造されてもう50年たつため、すでに廃車が始まっており数を減らしつつあります。

5000系


関東では、ラッシュ対策として扉を増やした電車(サハ208、サハE230東京メトロ03系東武20050系京王6000系など)がありますが、その大先輩ともいえるのがこの5000系。なんとこの電車、7両すべてが5ドアというものすごい電車。そして、単に扉を増やしただけではなく、昼間は2つのドアを締め切って3ドア車として運行し、締め切ったドアのところには座席が降りてくるというものであります。ゴールデン進出1回目の「ナニコレ珍百景」でもネタになりました。

この電車が登場した1970年当時、京阪線京都市内で市電と平面交差していた関係で直流600Vで電化されており、変電所の容量などの関係で7両編成に制限されており輸送力はほぼ限界まで来ていました。また当時は複々線寝屋川信号所まで達していなかった(守口市までだった)ため、朝ラッシュ時には混雑率190%を記録するなどひどい状況でした。1969年には1500V昇圧の基本方針が出され、守口市寝屋川信号所間の複々線化工事も1971年に着工されましたが、複々線化は住宅密集地で工事を行う関係上7年(実際は9年)かかるとされ、昇圧は車両や変電所の改修を伴うため莫大な費用と期間がかかり、昇圧工事は京都市内の連続立体交差事業の時期にあわせて行うことになっていたのが京都市側の都市計画の関係上地下化工事の着工が1979年までずれ込んでしまい、当初1981年完成予定だったのが1987年まで遅れてしまいました。もっとも、京都市内の地下化工事を着工した1979年時点では京都市電は全廃されており、地上に残したまま1983年に昇圧を実施しています。

特にネックとなったのはラッシュアワーの普通列車でした。普通列車が遅れることによって優等列車にも響くためです。そこで、即効性のある対策としてダイヤ乱れの原因になりやすい普通列車の乗降時間を短縮し、かつ7両編成という限られた編成両数の中で更なる輸送力の確保をするべく、「扉を増やす」という発想のもと5000系の設計は進められました。

6000系

さきほど、1500V昇圧の話が出てきましたが、1500V昇圧にあたって大量に投入されたのがこの6000系です。昇圧に対応できない旧型車の置き換えを主目的として投入されました。

5000系までの京阪の通勤車とは異なり、固定編成*3で運用するため前面は非貫通とされ、非常扉は窓を2分割する大きなものが取り付けられており、「もはや、色だけが京阪電車であることをかろうじて物語っている」といわれるほどの大胆なデザインとなりました。このデザインは、6000系以降の通勤車にも手直しを加えたうえで10000系まで受け継がれています。

初期には600Vの架線の下を走っていたことがあり、宇治線で4両編成で走っていたこともありました。初期に4両編成で投入された編成はオールMでしたが、600Vなので2M2T相当で運行されていました。

最終編成の6014FはVVVF試験車として投入され、量産車として7000系にフィードバックされましたが、7004Fを新造する際6014Fの京都方3両を7000系に編入しました。1989年以降の投入分は、足周りは6000系で車体は7000系といった感じの車両ですが、現在の6014Fは、京都方(7000系顔)と大阪方(6000系顔)で顔が違うなんてことになっています。

ちなみに、この列車はこのダイヤ改正で新設された枚方市始発の特急ですが、もとは急行として運行されていました。それ以前に、2003年9月改正で昼間10分ヘッドになった際、8000系・初代3000系だけでは本数が足りないため一般車まで昼間の特急に駆り出されるという現象が起こってしまいました。その時は出町柳行きまで一般車が入るということがありましたが、現行のダイヤでは1時間に6本あった出町柳始発の特急のうち2本は快速急行に置き換えられ、昼間の京阪間通しの特急は再び8000系・初代3000系に統一されました。昼間に一般車の特急を走らせるなんて許さないんだから!

7000系

京阪初のVVVF車。6014Fでの試験結果をもとに量産車として投入されました。

当時の通勤車では異様にモーターの出力が高い(200kW)のが特徴で、それ以降の京阪線VVVF車は2代目3000系に至るまで200kWモーターを装備しています。

これは7004F。先ほど出てきた「7000系顔の6000系」とは逆で、「6000系顔の7000系」。この編成の京都方3両はもと6014Fでした。7004Fを新造する際、編成内での制御方式を統一するため6014Fの京都方3両を界磁位相制御で新造し、もともと入っていた車両は7004Fに組み込んだため、京都方が6000系顔で、大阪方が本来の7000系顔になってしまっています。

7200系

7000系のマイナーチェンジバージョンで、6000系の手直しといった感じのデザインだった7000系とは打って変って丸っこいデザインとなり、正面の窓が異様に大きくなっています。

8両編成で投入された7201Fと7202Fは、中間の3両をはずして5両で運行することもできるような設計になっています。かつて走っていた「宇治快速」は5両編成で運行されたほか、現在でも宇治川花火大会での応援運用では5両編成になって活躍しています。

京阪の車両はすべて、川崎重工兵庫工場にて製造されています。どうやって搬入するのかというと、JR線を走って輸送することはできないので、夜中に寝屋川までトレーラーで運ぶのですが、7201Fの半分が寝屋川に到着した時点で阪神・淡路大震災が発生し陸路での搬入が不可能になったため、残りの12両(7201Fの残りと7202F)は兵庫工場の南側にある兵庫運河*4から泉大津まで海上を輸送し泉大津から寝屋川まで陸送されました。現在、京阪の車両で海上輸送されたのはこの12両だけです。

9000系

7200系をセミクロスシートにしたらこうなった、といえばわかるでしょうか。枚方市に停車する朝ラッシュ時の大阪行き特急の混雑緩和のため、1997年に投入されました。

朝ラッシュ時の特急運用と、昼間の急行以下の各種別の両方に使える汎用車両という位置づけで、在来の通勤車と区別するため、一般車塗装にパステルブルーの帯を巻いています。

シートはノルウェー製で、同時期に登場した京津線の800系も両端の先頭車に同じシートが使われています。

ただ、セミクロスシートでは乗降に支障が出ることが判明したため、9005FのT車はオールロングシートとされています。また、新塗装では他の「3ドア・ロングシート車」と同じ扱いになっています。今後はほかの編成でもロングシート化する予定です。

一般車の特急でも、まだこれはましな方です。

10000系

1900系2600系の置き換えと、支線でのワンマン運行のために2002年登場。

10000系からは、45年ぶりにボディーカラーが一新され、「ターコイズグリーン」一色塗りとされ、先頭車には「KEIHAN」ロゴ*5が記されています。また、VVVF9000系までのGTOから2レベルIGBTに変更され、音がだいぶ静かになりました。ただ、マスコンを入れた時に「ピコー」という音が聞こえてきて、こればかりは気になって仕方がありません。

ただ、それ以降の車両にはこの塗装は採用されず、それどころか10000系も登場して日が浅いのに、ほかの3ドア・ロングシート車と同じ新塗装になるという結果になってしまいました。

現在は交野線宇治線でのみ運行されており、よほどのことがない限り本線に出てくることはないのですが、2006年4月改正までは本線でも定期運用がありました。

*1:7000系で再び2.8km/h/sに引き上げられる。2000系は4.0km/h/s

*2:阪神8000系(いわゆる8011系)、近鉄3200系などと似たようなもの

*3:まれに、中間のT車が抜かれることがある

*4:博多総合車両所に配置される新幹線車両もここから出発する

*5:現在のものとは異なる