叡山電車に乗る

出町柳から先、大原・岩倉・八瀬・比叡山・鞍馬方面への足といえば、叡山電車であります。もともとは京福電気鉄道の路線でしたが、市電廃止によりアクセスが不便となり*1、経営危機に陥り1985年に分社化しています。そのため、長らく京福筆頭株主でしたが、京福福井鉄道部エリアで2度も事故を起こしたために京福がまたも経営危機に陥ったため、リストラの一環として京阪に全株式を売却した結果、京阪の100%出資子会社となりました。もっとも、京福も資本的には京阪グループに入っているのですが。

そのような背景もあるため、アルバムに入っている叡山電車の写真は「京阪電車」扱いとします。

デオ900形「きらら」

叡山電車のフラッグシップ。立ち位置としては、京阪電車でいうところの「ELEGANT SALOON」8000系や「COMFORT SALOON」2代目3000系に近いものです。KATOのカタログでは「パノラミック電車」として紹介されています。「キラッ☆」じゃなくて「きらら」。

観光路線として売り出していくための車両で、屋根の近くまである大きな窓と、外を向いたシートが特徴です。そして、色は2種類あり、901+902編成はメープルレッド、903+904編成はメープルオレンジ。903+904編成は阪神9300系のような色です。そういえば、阪神9300系とデオ900(に限らず叡山電車の車両はすべて)は同じメーカーだったりするのです。メープルとはカエデのことで、市原〜二ノ瀬間の「紅葉のトンネル」にちなんだカラーリングであります。紅葉シーズンになると「きらら」のダイヤを調べて出てくる乗客で混雑するようです。

登場当時、観光客や鉄道ファンが出町柳駅に電話をかけて「きらら」の運行ダイヤを問い合わせるという事態が多発したため、現在では運行ダイヤが公開されています。ただし、平日昼間の一部列車は車両点検を行うためほかの車に振り替えて運行されます。

「きらら」というのは、沿線にある「雲母坂(きららざか)」からきています。

明日は「鞍馬の火祭」ですが、デオ900形は大量輸送に向かないため、鞍馬行きはデオ700形の2両連結にまかせて出町柳二軒茶屋間の区間運行に供されます。ただでさえ叡山電車は輸送力が小さい上に出町柳駅が狭いために入場制限が行われるほどなので、これは仕方ないでしょう。

デオ800形

鴨東線が開業し、大阪方面からの観光客が多数利用することを見込んで、叡山電車初の2両固定編成として1990年より投入されました。デオ700形の2両編成に比べると乗車定員が2割増えています。また、乗降をスムーズにするため3ドアにもなっています。

写真の編成は初期に投入された1C8M制御車で、出町柳方がデオ800、鞍馬・八瀬方がデオ850であります。

のちに投入された1C4M制御車は「デオ810」として区分され、京阪大津線の車両と同じような番号の付け方になりました(出町柳方が奇数)。1C4Mになった関係上床下のスペースがほとんどなくなっています。

話は変わりますが、鴨東線開業前に京阪電車叡山電車の直通運転が検討されており、2600系は2両編成でも運行できるように設計されていますが、現在に至るまでその構想は実現していません。大体、京阪は地下で叡電は地上にあることを考えると、どうやって乗り入れるのかが疑問点として浮かんできます。

デオ700形

叡山電車初の冷房・ワンマン対応車。2ドアでドアが両端にあるため、ものすごく長いロングシート*2があります。足周りは廃車になった車両からほじくり出して使っていたため、当初は吊り掛け車でしたが、阪神・京阪で廃車になった車両の足周りを流用してカルダン駆動になりました。

ちなみにど真ん中の窓だけ125系のように1枚ものになっており、もともと3ドアだったのが2ドアに改造されたような風貌になっています。デオ800形は、見かけ上デオ700形を2両固定編成にして真ん中のドアをつけたような感じです。

ふぅ、やっと終わった…。

*1:鴨東線の開業により再び持ち直す

*2:かつて播但線で走っていたキハ58のロングシート改造車みたいなもの