ドアは増やすか広げるか?

1990年代前半、関東圏の通勤ラッシュはとてつもなくひどいものでした。編成を伸ばそうとしても、増便しようとしてもどうにもならないため、まったく異なる手段が取られました。

この「異なる手段」とは、「ドアを増やす」「ドアを広げる」というものです。

ドアを増やす

5ドア車
6ドア車

ドアの幅はそのままに、数を増やすというという手法であります。おおむね、20mであれば6ドアに、18m車であれば5ドア車にされています。例外として、京王6000系は20m車でありながら5ドアにされています。

この手法を全国で初めて採用したのは京阪5000系で、JR東日本より実に20年も早く投入していました。1970年当時の京阪電車は電車線電圧が600Vで編成も7両編成に制限されていたほか、複々線守口市までだったため、混雑率が190%を記録する*1などひどい状況で、この時期に電車線の1500V昇圧工事と寝屋川信号所までの複々線化工事も着工されたものの、どちらも完成するまでには10年近くかそれ以上かかります。そこで、即効性のある対策として「ドアを増やす」という手段に出ましたが、それだけでも効果てきめん。現在は8両編成を使うことができるようになりましたが、7両編成までしか入らない駅があるため現在でもラッシュアワーの切り札として活躍しています。

この実績を知ってか知らずか、関東では1990年に山手線の11両編成化にあたって6ドア車「サハ204」が製造され、10号車*2に組み込まれたのが始まりで、同時期に東京メトロ03系東武20050系も両端の2両ずつを5ドア車にして投入されました。

京阪5000系では、昼間に使用することも考えて一部のドアを締め切りその締め切ったドアの前に座席を出して着席定員を増やすという装備がありますが、関東ではそのようなものはありません。それどころか、205系・209系・E231系・東急5000系の6ドア車は、ラッシュアワーになると座席をすべて収納して極限まで押し込むという発想で作られています。ちなみに、サハ204の試作車では2つのドアを締め切って4ドア車として使用できるようになっていましたが、量産車では採用されず試作車からも撤去されました。

東武20050系東京メトロ03系では京阪5000系と同じように一部のドアを締め切ることができるようになっていますが、京阪のようなフレキシブルな運用はされていません。

京王6000系の5ドア車はあまりうまく使いこなせなかったらしく、一部は4ドアに改造され、5ドアのまま残された編成も1本は廃車、もう1本は動物園線専用車となっています。

ドアを広げる

ドアの数はそのままに、開口部の幅を広くとるというものであります。「ドアを増やすと並ぶ位置が変わるため、旅客案内に支障をきたす」という理由があるのでしょうが、あまり効果はなく、座席定員が減るという弊害があったため、ドアを極端に広くしすぎた*3小田急1000形ワイドドア車はのちに開口幅を1600mmにされ、2000形・3000形は最初から1600mmで投入されました。ちなみに、改造後の1000形のドアは外から見ると引き残しがあるように見えますが、乗ると分かりません。

どういうわけか、東京メトロのは1800mmのままにされています。

ワイドドア小田急東京メトロ以外には普及しなかったのに対して、ドアを増やすのは京阪を皮切りにJR東日本東武、東急、京王で採用され、京王以外はうまく使いこなしていること、JR東日本だけでもかなり普及したことなどを考えると、「ドアは広げるより増やした方がラッシュ対策になる」ということでしょうか。

*1:天満橋まで複々線化される前は200%を超えていた。ちなみに、この数字は当時京橋〜七条間がノンストップだった特急も含めた数字であり、急行以下だけに限定すればもっとひどかった

*2:クハ205とモハ205の間

*3:登場当初は開口部が2000mm(運転席の後ろのみ1500mm)だった