連絡線をフル活用

http://www.kintetsu.jp/news/files/toshiryokukafea20100823.pdf

近鉄田原本線*1は、近鉄のほかの路線とは接続していない独立路線ということになっており、近鉄のほかの路線から乗り換える際は田原本駅から西田原本駅まで、もしくは王寺駅から新王寺駅まで歩くしかありません。

ただ、独立路線とはいえ駅が独立しているというだけで、線路自体は繋がっています。西大寺から南向きに走り、田原本駅の手前から分岐し、西田原本駅の手前で合流します。車両の送りこみはその線を使って行われます。

この線は、基本的に車両の入出庫にしか使わないのですが、沿線で「全国都市緑化ならフェア」が開催されることに伴い、西大寺から直通急行が運行されます。

似たようなことは東京メトロでもやっており、市ヶ谷の短絡線(有楽町線南北線)や霞が関桜田門の短絡線(有楽町線⇔千代田線)を使ってイベント列車を運行します。

独立線区

何をもって「独立線区」とするかははっきりとした基準がないのですが、「同じ会社のほかの路線と接続する駅がない」路線には以下のような例があります。

そのうち、西武多摩川線東武東上線名鉄瀬戸線西鉄貝塚線は線路もつながっていません(他社線経由でつながっていることはある)。

このような路線を持つ会社の共通点として、「周辺の中小私鉄を次々と吸収合併していった」というのがあります。

東武東上線

東上鉄道は1920年東武鉄道対等合併しました。

これは東武の歴史上唯一の対等合併で、合併に当たって相当もめたこともあり、「東上業務部」を別に設置し本社は全く関知しない体制となっています。

西武多摩川線

もともとは多摩川の砂利を輸送する多摩鉄道でしたが、1927年に(旧)西武鉄道(→西武新宿線)に吸収合併され、今度は武蔵野鉄道(→西武池袋線)と合併して「西武農業鉄道」、のちに(現)西武鉄道となって現在に至ります。

名鉄瀬戸線

瀬戸自動鉄道として開業し、当初は蒸気動車で運行していましたが、あまりに故障が多いため電化して瀬戸電気鉄道に改称し、1939年に名鉄に吸収合併されました。

都心乗り入れにあたって、名古屋市との調整が難航した(大曽根〜栄町はすでに地下鉄が通っており、競合してしまう)のですが、鶴舞線の一部区間(八事〜赤池)の免許と引き換えに名古屋市内の地下新線の免許が下りました。それ以前は大曽根から名城線に乗り入れるという話も出ていたのですが、名古屋市名鉄がもめたためその話自体がなくなってしまいました。

近鉄田原本線

大和鉄道が開通させ、一時は桜井まで延びていたことがありましたが、田原本〜桜井は1958年に廃止されたのち1961年に信貴生駒電鉄(→近鉄生駒線*2に合併されましたが、その信貴生駒電鉄も1964年に近鉄に吸収合併されました。

現在の西田原本駅は、大和鉄道・信貴生駒電鉄時代は「田原本駅」であり、違うところに「田原本駅」が2つもあったのでした。*3

西鉄貝塚線

博多湾鉄道汽船が開通させ、戦時中に福岡県内の5社を統合して西日本鉄道になりました。

博多(現在のJR博多駅とは別の場所)まで乗り入れていたことがありましたが、貝塚以西は改修して福岡市内線に編入され、1979年にこの区間が廃止されたのちは西鉄の路線とは全く接続しなくなってしまいました。

*1:「たわらもとせん」であって、間違えても「たはらほんせん」「たわらほんせん」ではない!

*2:現在の京阪交野線も運行していたが、経営難により京阪に身売りした。先に枚方市〜私市・生駒〜王寺を建設し、後から私市と生駒をつなぐ予定だった

*3:もっとも、近鉄田原本駅は当時は「近畿日本田原本駅」で、大和鉄道→信貴生駒電鉄の田原本駅は何も付かない「田原本駅」だった。ちなみに、1970年2月までは近隣の離れた場所に他社の同名駅がある場合、それと区別するため駅名に「近畿日本」を付けており、これらの駅は現在でも「近鉄」を付けている(四日市はルート変更で国鉄四日市駅から離れた際に、丹波橋は輸送力増強で駅を京阪と分離した際に命名)。大阪難波駅近鉄日本橋駅は1970年3月15日に、近鉄宮津駅は1993年に開業したため「近畿日本難波駅」「近畿日本日本橋駅」「近畿日本宮津駅」だったことはない