http://www.tokyometro.jp/news/2011/pdf/metroNews20110217_02.pdf
かつて、「銀座線には古い車ばかり走っている」と乗客に文句を言われていた銀座線ですが、1983年に01系の試作車が投入され、この年の大みそかの終夜運転でデビューを飾りました。その後10年かけて全37編成を01系に統一しましたが、溜池山王駅が開業するのに合わせてさらに1編成が投入され38編成が運用されています。
その01系も、初期車は30年近くたっているため、置き換え用に「1000系」を投入することになりました。東西線に「15000系」、千代田線に「16000系」ときたら、銀座線には「11000系」…となるはずでしょうが、「11000系」ではなく「1000系」です。
上野〜浅草の開業時に投入された1000形をモチーフとしており、色も当時の黄色になります。東京メトロには懐古趣味があるようで、02系のリニューアル車では300形でおなじみだったサインウェーブを復活させたほか、1000系では1000形の現代版として設計しています。
銀座線にはカーブが多く、普通の台車は車軸が動かないためきしり音がし、スムーズに曲がれません。そこで、進行方向を向いて後ろの車軸を操舵する台車が投入されます。
2012年にまず試作車として1編成が投入され、最終的には2015年に全車が置き換えられます。
銀座線の小ネタ集
だんだん濃くなった
01系が投入されるまでの車両は、ベルリン地下鉄の色を参考にした黄色だったのですが、戦時中に色見本がなくなってしまい、戦後になって色見本を作り直した際に少し濃くなってしまい、その後も塗り直すたびに濃くなってしまいました。
車体が小さいと…?
銀座線は、日本初の地下鉄であってどれだけの旅客需要があるかわからなかったのと、建設費を節約するため、トンネルの断面を小さく作ってあります。そのため、車体が小さく、現在では輸送力不足の原因となっており、地下でホームを伸ばして編成を伸ばすというわけにもいかないため昼間でも3分間隔で電車が来るようなダイヤが組まれています。
遅れた冷房化
1990年代初頭まで、営団地下鉄・都営地下鉄では車両の冷房化がされませんでしたが、これは「トンネルに熱がこもる」という問題を抱えていたためでした。冷房をすると、熱が外に出されますが、地上では心配する必要がないのに対して地下だとその熱をどこに放出するのか、という問題があります。さらに、かつては抵抗制御車が主流だったため、ただでさえ発熱量が多いのにこれ以上増えるとどうなるのか、ということにもなりました。
そこで、まずは駅とトンネルで冷房をかけるという策に出ました。ここで使う冷房装置は、放熱に関してはきちんと考えぬかれています。で、車内ではどうするかというと、窓を開けて冷気を入れるというものでした。
それでも問題なのは、相互乗り入れがある路線。地下鉄の車両に冷房がなくても、乗り入れてくる他社の車両には冷房が付いているのですが、地下鉄に乗り入れるにあたって冷房のスイッチを切らせていたのです。また、乗り入れ先では冷房がない車両を堂々と走らせているため、評判が悪いのは当たり前で、夏になると冷房車が来るまで待つ、なんてこともありました。
さらに、銀座線・丸ノ内線の場合はトンネルが小さいためクーラーを屋根に載せられないという問題がありました。
その後、チョッパ制御が普及し床下からの発熱が大幅に減ったのと、薄型のクーラーが開発されたためこれらの問題が一気に解決し、都営地下鉄は1995年に、営団地下鉄では1996年に100%冷房化を達成しました。
ちなみに、大阪市営地下鉄では1979年(10系量産車を投入)から冷房化が始まりましたが、大阪の場合は早くから「チョッパ車なら大丈夫」と気付いていたのと、戦前の計画段階で郊外区間ではパンタグラフ、都心では第3軌条を使い分けるというプランが練られており、そのパンタグラフの分だけトンネルが大きく作られており、クーラーを取り付ける余裕があった*1からでした。