さらば営団6000系

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6120F(代々木上原にて)

1971年に登場し、デザインや技術の面で日本の地下鉄車両に大きな影響を与えた営団6000系。登場時のキャッチコピー「21世紀の電車」のとおり、21世紀に入っても千代田線の主力車両として長らく活躍し続けましたが、登場から40年以上が経過しており、更新工事を施工したとはいえ老朽化は隠せません。

2000年代に入って、老朽化や小田急でのATSの更新などもあり、6000系の置き換えが具体化しました。その前に06系が投入されていたのですが、増発用に1編成が投入されただけでこれ以上増えませんでした。さすがに設計の古い車両を入れるのは得策ではないので、16000系を投入して置き換えることになりました。チョッパ制御車は2012年までにすべて置き換えられ、しばらく導入されませんでしたが、今度はVVVF制御に改造した編成も置き換えることになり、2015年から導入を再開し、昨年までに37編成が揃えられました。

これに伴って6000系の置き換えが進み、最後は2編成が残るのみとなりましたが、10月5日の夜(綾瀬駅に19:37着)に定期運用を終え、13日から11月11日までは綾瀬~霞ヶ関を毎日1往復するという特別運行で、47年の活躍に幕を下ろすことになりました。

6000系のあゆみ

1次試作車

1968年に登場しました。世界初の電機子チョッパ制御の電車であり、全く例がないことからしっかり作り込むということで、まずは3両編成を作って試験走行をすることになりました。

この当時はまだ千代田線は建設中だったため、東西線で試験走行をしていました。東陽町西船橋から6001-6002-6003という編成になっています。試験中に千代田線の第1期区間(北千住~大手町)が開通しましたが、まだ試験中ということで東西線と同じ5000系が投入されました。

6001に三菱のチョッパ制御器、6003に日立のチョッパ制御器、6002に抵抗制御器を搭載し、メーカーごとの比較試験や、チョッパ制御と抵抗制御の比較試験を行っていました。

足回り以外でも新機軸が盛り込まれており、6003にワンハンドルマスコン(のちに東急や阪急で採用されるものとは異なり、縦軸式)が採用されたほか、電照式広告、リクライニング付きロングシートなども採用されていました。

試験終了後は抵抗制御に改造されましたが、7000系・8000系に採用されたAVF(自動可変界磁)チョッパ制御や、VVVF制御の試験も行われていました。

1979年に北綾瀬支線が開通すると、そこで使用する車両としてワンマン化改造され、足回りも5000系相当のものに取り換えられ、2014年まで走っていました。

1970年に千代田線に移籍した際、量産車が出たときに番号が被らないよう、綾瀬・代々木上原から6000-1・6000-2・6000-3という風に番号を変えられました。そのため、1次試作車は「ハイフン車」ということもあります。

ごく初期には騒音対策として床下をすべて包むスカートが付いていましたが、整備の際に取り外す手間がかかることから側面のものは撤去され、のちに正面も撤去されています。また、正面の帯も左右でつながっておらず、両側のヘッドランプのところで途切れていました。

  • 6000-1F:汽車製造

2次試作車

1次試作車での試験結果を踏まえて、オール動力車の6両編成で登場しました。今度は、動力車のユニットを複数組み合わせたときの誘導障害対策や、回生ブレーキをかけたときの問題点などの洗い出しが目的です。こちらも、投入当初は東西線に配置され、西船橋から6011-6012-6013-6014-6015-6016という、京急や昔の阪神電車のような番号のつけ方でした。

1次試作車とは異なり、スカートは最初からついていませんでした。また、車体裾が量産車より長く、小田急の車両限界からはみ出ていることから、小田急線に乗り入れられませんでした。正面の帯は1次試作車と同じく途切れていましたが、後になってつながりました。

量産車が登場後、汽車製造で仕様を統一する改造を施し、付随車4両を組み込んで10両編成化して本線で活躍しています。このときに6101Fに番号が変わりました。当初はオール動力車の6両編成で、後から付随車を組み込んだことから、量産車とは編成の構成が異なります。6101(旧6011、西船橋代々木上原方の先頭)はCM*1です。

1994年に冷房を取り付けるまでは、千代田線最後の非冷房車でした。1999年にVVVF化し、2016年まで走り続けました。

  • 6011F→6101F:川崎重工(10両編成化用の付随車も含む)

1次量産車

2回にわたって試作車を製作し、その結果を踏まえて、大手町~霞ヶ関の延伸開業時に量産車を投入しました。ようやく真打登場といったところです。

この量産車から、6000系の特徴として語られることの多い「キノコ型貫通路」が採用されました。貫通路を大きくして車内を広く感じさせるのが目的で、5・6号車*2の間を除き採用されています。

6113Fは営団地下鉄では最後となる、汽車製造で製造された車両でした。1972年に川崎重工に吸収合併されています。

2次量産車

1972年の霞ヶ関~代々木公園延伸開業に合わせて投入された車両で、1次量産車と大きな変更点はありません。

3次量産車

1978年の代々木上原延伸開業と、小田急線への乗り入れに合わせて投入されました。当初から小田急線への乗り入れ装備(OM-ATS・小田急の無線機・急行灯etc.)をしており、これ以前の車両にも追設されています。

チョッパ制御の半導体が、1300Vまで対応しているものから2500Vまで対応したものに変更されました。このほか、冬の寒さ対策として3・4号車の間と7・8号車の間に貫通扉が装備されています。

4次量産車

これ以降は輸送力増強のために投入されています。ただし、4次量産車のみ、千代田線の開業当初に走っていた5000系を東西線に移籍させるための穴埋めとして投入されています。

先に半蔵門線に登場した8000系の設計が一部取り入れられ、冷房を取り付けることを想定して車体の設計をやり直しているほか、側面窓の天地寸法が大きくなっています。

チョッパ制御器は、3次量産車までの強制風冷式から、フロン沸騰冷却式に変わり、低騒音化がなされています。のちのVVVF車でも、低騒音化や小型化のために水冷を採用しているものがあります。

5次量産車

このグループでは、天井が高くなるなど主に室内に変化が見られますが、足回りでは台車が両抱き式ブレーキから片押し式ブレーキに変わっています。このほか、コンプレッサーが01系と同じものに変わっています。

6次量産車

6000系では初めて、新造時から冷房が取り付けられました。ほかに目立つところでは、6100についていたパンタグラフが最初から付いておらず、他の車両ものちに撤去されました。

7次量産車

最終編成は、チョッパ制御の半導体VVVFインバータで採用されるGTOサイリスタに変更されました。それ以前に、制御器の更新工事を施工した編成では先に採用されていました。

このほか、運転席に車両の状態を表示するディスプレイを設けたほか、0シリーズでも採用されたドアチャイム・車内案内表示装置・自動放送装置が付きました。

*1:他社では先頭車はMc・Tcだが、営団東京メトロではCM・CT

*2:伝統的に、千代田線の電車は車庫内で5両ずつに分かれるようになっている