ならしかトレイン

近鉄では、12月5日より奈良線を中心に「ならしかトレイン」なるラッピング電車を運行します。運行開始を前に無料試乗会が行われ、先日参加してきました。

上本町の地上ホームに入ってきた「ならしかトレイン」

スタート地点は大阪上本町駅の地上ホームです。大阪線の列車が発着するホームなので、ここに奈良線の車両が出入りすることは異例です。
しかも、9番線からスタートです。9番線は上本町始発の特急が使うホームですが、特急の始発駅が難波にシフトしていることや*1、昼間の上本町発着の特急がなくなったため、昼間は空いています。

9番線から乗り込み、奈良へ向かいます。上本町の地上ホームからは、線路は鶴橋駅の2番線にしかつながっていません。このまま道なりに行くと大阪線に入ってしまいますが、奈良方に奈良線への渡り線があります。奈良線から大阪線に入る渡り線は、難波発の名阪・阪伊特急が使うためよく知られていますが、逆方向の渡り線はあまり使うことがありません。もちろん、3番線(難波・尼崎・神戸方面)・4番線(上本町駅地上ホーム行き)の場合はその逆で、大阪線から奈良線に入る渡り線は難波行きの名阪・阪伊特急が使いますが、逆に奈良線から大阪線に入る渡り線はめったに使うことがありません。今回は3部制で行われたので、奈良に着いてから折り返してきた列車が、上本町の地上ホームに入る際にこの渡り線を通ってきました。

鶴橋駅では2番線に到着しますが、招待された客だけが乗る列車なので、ドアは開けないでしばらく停車してから出発します。この他、布施と大和西大寺でもしばらく停車しました。

今回は上本町から奈良まで1時間かけて走りました。この区間快速急行で40分弱なのになぜこんなに時間がかかるのかと言うと、途中で3回も通過待ちをしたためです。八戸ノ里・瓢箪山東生駒で通過待ちをしました。一方で、全列車が停車する生駒・学園前を、客を乗せた列車が通過するという貴重な経験もしてきました。

←大阪・神戸 6 Mc 5 T 4 M 3 T 2 M 1 Tc
VH27 モ1027 サ1177 モ1077 サ1197 モ1097 ク1127

招待状には「4号車」と書かれていました。ただ、近鉄では一般車両の号車表示がないため、最初はどこかわからなかったのですが、実際は特急と同じく奈良方から1,2,3…という順番でした。

車内

「ならしかトレイン」車内

車内に入ってまず目に入るのは、奈良公園若草山を思わせる緑の床と、鹿柄のロングシートです。

優先座席の色が違う

ここ最近、近鉄電車の優先座席はオレンジで区別されていますが、この編成に限っては一般座席が茶色いため、区別が付きにくくなることから、優先座席は緑となっています。背中こそ他の優先座席と同じ柄ですが、座布団に鹿が描かれています。1匹だけ白いのがいます。

鹿がぶら下がる吊り革

座席前の長い吊り革にも鹿があしらわれており、「鹿せんべいに寄ってくる鹿」がモチーフとなっています。

網棚で寝ているように見える

各車両の1カ所だけ、網棚で鹿が寝ているように見えるところがあります。

弱冷車ステッカーも特別仕様
戸袋に角や手足を引き込まれないようご注意ください
貫通路を通行する際の注意

この他、車内の各所に鹿があしらわれています。弱冷車(奈良方から2両目)のステッカーも、この編成だけの特別仕様です。

大和西大寺駅にさしかかる、「ならしかトレイン」試乗会列車(第3便)

この車両のイラストを担当したのは、兵庫県三田市出身のイラストレーター「げみ」さん(http://gemi333.com/)です。教科書や小説のイラストで知られる他、最近ではポケモンカードゲームのイラストも担当しています。

この車両は阪神線直通対応ですが、通常貼られているステッカー(下の写真で運転席の下にあるステッカー)が貼られていません。

通常は、阪神線直通対応車両は運転席の下に蝶々マークのシールが貼られる

あをによし(19200系)

大和西大寺駅に入る京都行き「あをによし」

近鉄の観光特急シリーズ第3弾で、ターゲットは奈良です。伊勢志摩に「しまかぜ」、吉野に「青の交響曲(シンフォニー)」ときたら、奈良には「あをによし」です。
「あをによし(青丹よし)」とは、奈良にかかる枕詞です。

先日引退した12200系「スナックカー」を仕立て直したもので、生い立ちは16200系(青の交響曲)と似ています。形式も12200系から、千の位を9*2に変えて「19200系」となりました。

←大阪・京都 4 Mc 3 T 2 M 1 Tc
SA01 モ19201 サ19351 モ19251 ク19301
旧番号 モ12256 サ12156 モ12056 ク12356

この編成は12200系の最終編成で、デビューして間もない時期にエリザベス女王昭和天皇が乗車されたことでも知られています。

車体には大幅に手が入れられ、貫通扉を埋めて3連窓にしているほか、色は平安時代に高貴な色とされていた紫を基調にまとめられ、「ひのとり」と同じようなメタリック塗装がされています。
その一方で、側面の方向幕は12200系時代から変わっていません。そのため、表示は「大阪難波ゆき」、「京都ゆき」、「奈良ゆき」となっています。方向幕には全く手を入れていないため、今でも「名古屋」や「宇治山田」などの表示が残っているほか、動き方も1コマずつの間欠動作です。

奈良への観光特急ですが、運行区間は大阪・京都の両方からです。ただし、「しまかぜ」のようにそれぞれで独立した系統を設定するのではなく、午前中に大阪から奈良を通って京都まで行き、昼間は京都~奈良を2往復し、夕方に京都から奈良を通って大阪へ戻るというものです。近鉄特急で大阪~京都の系統(阪京特急)が設定されるのは30年ぶりです。

京都~奈良のみの場合、停車駅は丹波橋西大寺だけで、他の特急と変わりはありません。
大きく違うのは朝と夕方に大阪~京都を直通する場合で、30年前の阪京特急は奈良駅まで行かず西大寺で方向転換していたため*3、途中の停車駅は上本町・鶴橋・生駒・学園前・西大寺(当時の特急は丹波橋には停車せず)だけでした。
ところが、「あをによし」は奈良への観光特急という性格上、奈良駅まで行く必要が出てきました。そのため、奈良駅まで行って折り返すことになり、西大寺~奈良を2回通るようになりました。運賃・料金に関しては、奈良駅で下車せず大阪方面と京都方面を行き来する場合に限り、西大寺~奈良の分は含めずに運賃・料金を計算します。

停車駅が独特で、西大寺を2回通るのですが、京都線に出入りする際にはドアを開けて乗降できるようにしているのに対して、奈良線に出入りする際は通過扱い(運転停車)となっています。案内上は「通過」ですが、実際は他の列車との兼ね合いもあり、一旦停車してから出発していました。実際、夕方の難波行きは京都行き急行を先に行かせてから出発していました。

難波から京都まで、停車して客扱いをする駅を並べると、上本町・鶴橋・生駒・学園前・奈良・西大寺丹波橋の順番になります。奈良駅を出ると、京都行きは「次は西大寺」、難波行きは「次は学園前」と案内されます。

副駅名「奈良公園前」

副駅名「奈良公園前」が入った近鉄奈良駅駅名標

奈良駅はJRと近鉄にありますが、主要な観光地に近いのは近鉄奈良駅です。中心市街地に近い故、乗降客数は奈良県内No.1で、奈良県内の駅で唯一3万人を超えています。

その近鉄奈良駅から奈良公園へは、駅を出て東側へ歩いて5分程度の場所にあります。この度、奈良公園など奈良の主要な観光地の最寄り駅であることがわかりやすいよう、近鉄奈良駅に「奈良公園前」という副駅名が付けられました。

これに合わせて駅名標も取り替えられ、鹿のイラストが入ったものとなっています。また、英文でも副駅名が付けられ、Nara Parkと記されています。近鉄で他に副駅名がある駅は、副駅名は日本語表記のみとなっています。

駅名を変更する場合は国土交通省に届け出る必要がありますが、副駅名は自由に付けられるため、著名な観光地などの最寄り駅をアピールする手段としてよく使われています。

*1:一時期、名阪特急は難波発着、阪伊特急は上本町発着と分けられていたが、2003年のダイヤ変更以降は棲み分けが崩れて難波発着の阪伊特急が増加し、「しまかぜ」も当初から難波発着で設定されている。逆に、2016年のダイヤ変更までは上本町発の名阪特急が平日に1本だけあったが、現在でも上本町終着の名阪特急が平日に1本ある

*2:かつての奈良・京都線車両は千の位が8・9と決まっていた。そのため、1960年代に走っていた京都・橿原線向けの小型特急車は千の位を8にして、18000系・18200系・18400系だった

*3:京都~大阪の直通を主目的としていたため。京阪間の鉄道は国鉄・阪急・京阪の3社があり、この3社は大阪側のターミナルが梅田や淀屋橋、いわゆる「キタ」に集中しているが、これが難波など「ミナミ」となると、京都からはどの社も直通列車の設定がなく乗り換えを必要としていた。近鉄はそこに目を付け、1973年3月のダイヤ変更で西大寺で折り返してまで特急を設定し、京都と大阪ミナミを直通する潜在需要を掘り起こそうとしていたが、京都・大阪~生駒・西大寺区間利用が多く、京都~大阪の直通客は少なかった。そのため、1992年のダイヤ変更で京奈特急と阪奈特急に分割されて消滅した。なお、この阪京特急が奈良線では初の有料特急で、その半年後に阪奈特急も設定された

*4:東大阪市は3つの市(布施・河内・枚岡)が合併してできたため、その名残で「東大阪」という駅はない。2003年に荒本駅の近くへ市役所が移転した後、東大阪線学研奈良登美ヶ丘まで延伸する際に路線名が変わってしまうため、せめて駅名に「東大阪」を残そうと荒本駅を「東大阪駅」に改称しようという機運が一時的に盛り上がったことがある

きんてつ鉄道まつり2022

新たなる紅き近鉄特急

しばらく開催されていない間に、近鉄の看板列車として知られる名阪特急に新型車両80000系「ひのとり」が導入され、2021年には停車駅が少ない名阪特急が全て「ひのとり」にそろえられました。
今年に入ってから、急がないときは鶴橋や難波から「ひのとり」で名古屋へ足を運んでいます。

五位堂会場では、付近を「ひのとり」が通過する際にアナウンスがありました。名古屋行きは毎時22分頃、難波行きは毎時41分頃に通過していました。

五位堂検修車庫の横を通過する名古屋行き「ひのとり」
五位堂検修車庫の横を通過する大阪行き「ひのとり」

帰り道にも撮れました。このうちの1枚はよく撮れたので、2L判でプリントしています。

五位堂駅を通過する「ひのとり」第15列車
近鉄四日市駅を通過する「ひのとり」第65列車

車両数は21000系と同じ72両で、6両編成が8本、8両編成が3本あります。ただし、21000系は6両編成に増結用の2両ユニットを挿入して8両編成にするのに対して、80000系は別に8両固定編成が用意されています。8両編成は下2桁を50番台として区別しています。

また、80000系は標準軌の特急車両としては初めて、日立製の主要機器が一部の編成で採用されています。50000系までの標準軌の特急車両は、足回りは全て三菱電機製でした。足回りが日立製の編成は、下2桁を10番台として区別しています。

  • 6両編成・足回りが三菱:01-04
  • 6両編成・足回りが日立:11-14
  • 8両編成(足回りは三菱のみ):51-53

ノンストップの距離がえげつない

鶴橋で環状線から乗り換えて五位堂へ向かう際、たまたま快速急行に乗ることができました。この快速急行はなんと、鶴橋を出ると五位堂までノンストップです。実に26kmも走り続けることになります。

なぜここまでノンストップ区間が長いのかというと、近鉄各線の急行・快速急行は主に奈良県内(奈良線生駒市奈良市大阪線は中和・東和地区)や伊賀地方から大阪市内への速達種別として位置づけられており、客層を分けるためにあえてノンストップ区間を長くしています。その中間の地区(東大阪市・八尾市・柏原市)の速達需要は準急・区間準急が受け持つようになっています。近鉄線は朝は大阪方面、夜は奈良方面に需要が偏っている上に*1大阪線だと伊賀地方から大阪へ通勤する人もいるため、このような停車駅の設定になっています。

1960年代の「快速急行」ではなく「急行」*2だった時代は五位堂どころか大和高田も通過しており、さらにかつての急行は布施も通過していたため*3、鶴橋から大和八木まで33.7kmに渡ってノンストップで運行していたこともありました。
また、五位堂駅には1987年のダイヤ変更まで準急以下の列車しか停車しなかったため、急行は布施から大和高田まで、快速急行(2001年のダイヤ変更まで五位堂は通過)と区間快速急行(2012年のダイヤ変更で廃止)は鶴橋から大和高田までノンストップでした。

奈良線でも同様に、快速急行は鶴橋を出ると生駒までノンストップとなっています。ただし、1976年のダイヤ変更までは旧・特急(1972年のダイヤ変更で快速急行に改称)の名残で、朝の上り列車に大和西大寺から鶴橋までノンストップの列車がありました。

逆向きのアーバンライナー

逆向きで五位堂検修車庫に入ってきたアーバンライナー

通常、アーバンライナーのデラックスカーは名古屋方面の先頭に立ちますが、この時に限って大阪方面の先頭にありました。

というのも、この編成は開催数日前に名古屋線で踏切事故に遭遇し、修繕のために五位堂まで来たのですが、その際に伊勢中川の短絡線を通らず、一旦伊勢中川駅に入ってから五位堂まで回送されたためです。近鉄特急の車両の向きは、伊勢中川の短絡線を通る名阪特急が基準となっており(伊勢志摩ライナー*4・しまかぜを除く)*5伊勢中川駅に入って折り返すと大阪線では向きが逆になります。*6

おそらく、何らかの理由(一般車*7を救援車に用いた?)で伊勢中川の短絡線を通ることができず、伊勢中川駅経由で回送ということになったと見られます。

ひのとりタクシー

柏原市内を中心に走る「ひのとりタクシー」

近鉄特急のフラッグシップ「ひのとり」をPRするため、近鉄タクシーグループではトヨタ・ジャパンタクシーを「ひのとり」カラーに塗った「ひのとりタクシー」を大阪市内や名古屋市内、伊勢志摩エリアで走らせています。塗装は自社の整備工場で行っています。

以前、名古屋駅前(桜通口)で営業しているところを見たことがありましたが、今回は近鉄タクシーが出展しており、じっくり見ることができました。

なお、塗装こそ「ひのとり」と同じですが中身は普通のタクシーです。

7000系 in 五位堂

五位堂で検査中の7000系

五位堂検修車庫では近鉄のほとんどの車両の検査を行っていますが、近鉄の路線の中には軌間の異なる路線(南大阪線御所線・長野線・吉野線)や、集電方式・電圧の異なる路線(けいはんな線)があります。実際は、これらの路線の車両も五位堂へ持って行って検査をしています。

今回は、けいはんな線7000系が五位堂に入庫していました。けいはんな線は、軌間こそ奈良線橿原線大阪線と同じ1435mmですが、集電方式と電圧が異なり750Vの第三軌条方式です(他の近鉄線は1500V・架空電車線方式)。したがって、五位堂まで自力で走って行くことはできません。

そこでどのようにして五位堂まで運ぶのかというと、けいはんな線の車庫(東花園検車区東生駒車庫)は東生駒にあり、そこで線路が繋がっています。ここで3両ずつに分割し、集電装置と出入り口のステップを外して前後に電動貨車(モト77・78)を連結して回送します。
その際、電動貨車に何も積んでいないと牽引力を稼げずスリップしてしまいます。南大阪線系統の車両は台車を回送用のものに交換し、いつも使用する台車を電動貨車に積んで錘にして牽引力を稼ぎますが、7000系・7020系の場合は台車交換が不要なことから錘になるものがありません。そのため、わざわざコンクリートのブロックを積んでいます。

また、けいはんな線の場合は集電方式だけではなく車両そのものの寸法も異なります。一般的な近鉄の車両は全長が21m、幅は2.8mありますが、けいはんな線は大阪メトロに合わせて全長が18m、幅が2.9mとなっています。これは、けいはんな線より前の東大阪線の原型が、1971年に出された大阪市営地下鉄中央線の生駒への延伸計画奈良線のバイパス路線として考えられていた)だったためで、荒本(後に長田)を境に西側を市営で、東側を近鉄が建設して相互直通運転を行うように考えられていました。このため、必然的に大阪市営地下鉄の規格に合わせられることになり、他の近鉄の車両とは全く異なる車両が必要となりました。
しかし、設計段階で重要部検査は五位堂で行うことを念頭に置いており、近鉄線の車両限界に引っかからないよう、奈良線の車両と比べると大きく裾を絞っています。そのため、ホームと車体の間に隙間ができてしまうので、ドアの下にステップを付けています。

この他の相違点としては、連結器の形状があります。実は、大阪メトロの連結器は一見近鉄と同じような柴田式密着連結器のように見えますが、微妙に形状が異なります。そのため、7000系・7020系の先頭部と3・4両目の間の連結器は大阪メトロタイプとなっており、モト77・78は前後で連結器の形状が異なります。

近鉄最後の電気機関車

塩浜で入換車両として使われるデ32

かつては近鉄でも電気機関車がいくつか所属していました。これらの車両は、合併する前の各社が国鉄と連携して貨物列車を走らせていましたが、その列車に使用するための電気機関車近鉄が引き継いだものでした。
近鉄から貨物列車が姿を消してからも、一部は工事列車の牽引用に残され、名古屋線標準軌化に当たってはその対応工事を施工したものもありました。

しかし、工事列車は電動貨車が担当するようになって電気機関車も少なくなり、塩浜で構内入換車両として使われているデ32が、近鉄では最後の電気機関車です。

阪神電車(5500系・5550系)のような色ですが、れっきとした近鉄の車両です。

ミジュマルトレイン

ミジュマルトレイン(モ1266-ク1366)

2021年12月にミジュマルが「みえ応援ポケモン」に任命されました。
「三重」がミジュウとも読め、「ミジュマル」の名前と親和性があります。
また、ミジュマルはおなかに貝のような見た目の「ホタチ」を持つ特徴があり、真珠貝(アコヤガイ)や牡蠣など貝類をはじめとした海の幸にも恵まれている三重県をPR・応援するには、ぴったりのポケモンです。
三重県ミジュマルのさまざまな取り組みを通じて、ミジュマルといっしょに三重県の魅力を発見してほしいという思いから、選ばれました。

展示だけで車内は見られませんでしたが、車内も大幅に手が入れられています。

ワンマン運行に対応しており、主に山田線・鳥羽線志摩線の各駅停車で使用されています。

30年目の再出発

リニューアル「楽」
真正面から

近鉄には、他の私鉄では見られない貸切専用車両があります。そのうちのひとつが、1990年に登場した20000系「楽」で、貸切料金はこれが最高額となっています。
その「楽」ですが、2020年に登場30年目にしてリニューアルを行いました。近鉄の他の車両は概ね20年程度でリニューアルを行いますが、貸切専用車両ということで走行距離が少ないため、30年目でのリニューアルとなりました。

まず、塗装が大幅に変わり、阪急電車を思わせる「漆メタリック」となりました。
内装にも大幅に手が入れられ、座席が広くなった代わりに定員が164名(改造前は260名)まで減らされ、そのために特別料金がかかるようになりました。

時折、この車両を用いたツアーをやっているので、参加して中身を確かめることにします。

左:15200系「新あおぞらII」 右:15400系「かぎろひ」

近鉄の他の団体専用車両としては、12200系「スナックカー」を改造した15200系「新あおぞらII」と、15400系「かぎろひ」があります。
「新あおぞらII」は18200系「あおぞらII」の後継として位置づけられており、初代あおぞら号(20100系)を受け継いで主に修学旅行列車として使用されています。なお、ネーミングは「新あおぞらII」であり、「あおぞらIII」ではありません。
「かぎろひ」はクラブツーリズムのツアー専用車両として位置づけられています。

Hearty Trip 三重交通

三重交通四日市営業所・1509号車(いすゞ・エルガ)

三重県唯一のバス会社、三重交通。その前身は伊勢電気鉄道(近鉄名古屋線の桑名以南と、養老線鈴鹿線を建設した)のバス部門で、戦時中に三重県内の中小私鉄・バス会社を全て統合して「三重交通」となりました。発足当初は鉄道路線(ローカル線)もありましたが、1965年に分社化し、近鉄に合併されたことでバス専業の会社になりました。
三重県内のバス会社は、伊勢市内の分社拠点(一時期、東紀州の営業所も分社化していた)や、松阪駅多気のシャープの工場(携帯電話などに使う小さいLCDの生産拠点)を結ぶ路線を運行する「三重急行自動車」、員弁川の南岸と桑名駅を結ぶ「八風バス」もありますが、これらは全て三重交通グループなので、実質的に三重県内のバス会社は三重交通のみ、と言っても良いでしょう。

新型エルガの運転席

この車両は三重交通で最新のもので、2019年式のいすゞ・エルガです。系列にいすゞの販売会社があるため、三重交通いすゞ車ばかり走らせています。

最近のバスはMT車がなく、乗用車と同じようなトルクコンバーター式AT、または機械式AT*8のどちらかで、ペダルはアクセルとブレーキの2つだけです。
この車両は機械式ATですが、シフトレバーは乗用車のATに近いものとなっています。R・N・Dの3ポジションと、マニュアルモードが備わっています。
トルコンATの場合はレバーではなくボタンでポジションを選択するようになっています。ただし、メーカーによって操作系が異なり、R・N・DとUP・DOWNのボタンがあるもの、もしくはR・N・D・3・2・1の6ポジションをボタンで選択するものがあります。
いずれにせよ、駐車する際はNに入れておきます。P(パーキング)がないのは、バスなど大型車は重すぎ、内部構造の強度の関係により変速機でブレーキをかけることができないためです。

三重交通の車両の特徴といえば…

三重交通のバスといえば、窓の上に2つある広告枠です。最近入った新車でも受け継がれています。
ただし、数は少ないのですが他社から移籍してきた車両があります。移籍車両には付いていません。

他に、三重交通名古屋市バスの一部の営業所の業務を受託していますが、車両はあくまでも名古屋市バスのものなので、後部窓上の広告枠は付いていません。

*1:南海電車も同様で、朝は大阪方面、夜は泉州・和歌山方面に需要が偏っている。阪急・阪神・京阪だと、阪急宝塚本線こそ急行を宝塚・川西周辺から梅田への速達需要に特化させているが、他の路線は神戸・京都方面の需要も大きいため、遠近分離のダイヤが組みにくいという事情がある

*2:現在の急行は、布施駅の立体化が完成した1978年のダイヤ変更で布施駅に停車する列車として改めて設定されたもので、旧来の布施駅を通過する急行は朝夕に残され、区別するため「快速急行」と改称された

*3:立体化までは奈良線大阪線共に急行は布施を通過していたが、それぞれの急行は性格が対照的で、大阪線の急行が停車駅を絞って名古屋・伊勢志摩方面への長距離輸送にも対応していたのに対して、奈良線の急行は鶴橋を出ると石切までノンストップで残りの区間は各駅停車と、準急と大して変わりがなかった(なお、奈良線の急行は1976年のダイヤ変更で一旦なくなったが、1978年のダイヤ変更で復活した)

*4:2001年のダイヤ変更からしばらくの間、名阪特急の運用があり伊勢中川の短絡線を通っていたため、その時期は車両の向きが名阪特急を基準とされており、伊勢中川以南で向きが変わっていた

*5:大阪線名古屋線では向きがそろえられているために、伊勢中川以南では名古屋行きと大阪・京都行きで向きが異なる。そのせいで号車も異なっており、大阪・京都行きは最後尾が1号車(A号車)なのに対して、名古屋行きは先頭が1号車になっている。「しまかぜ」と「伊勢志摩ライナー」は発着地に関係なく向きは同じだが、他の特急と案内をそろえるため、号車の数字を大阪・京都行きと名古屋行きでわざわざ変えている

*6:大阪線名古屋線で向きの異なる編成が混在しないよう、宇治山田・五十鈴川・鳥羽・賢島で折り返す際は大阪・京都から名古屋へ行くことがないように運用が決まっている。ただし、1980年代の一時期には京都から来た編成が賢島で折り返して名古屋へ行くことがあり、その編成だけ名古屋線で向きが逆になっていたが、翌日に同じルートをたどって向きを戻していた

*7:一般車は伊勢中川の短絡線を通らず、大阪線名古屋線ではMc車が伊勢志摩方の先頭に立つようになっている。そのため、伊勢中川の短絡線を通してしまうと向きが逆になって、通常運用に戻る際に向きを戻す手間がかかってしまう。ただし、過去に奈良線から大阪線名古屋線に車両を転属させたときは、一時的な場合は向きを変えずに使っていたこともあったが、恒久的に使用する場合は伊勢中川の短絡線を使って向きを変えた

*8:構造こそMTと同じだが自動で変速する。メーカーによってはAMT(Automated Mechanical Transmission)やAGS(Auto Gear Shift)ということもある。かつて、いすゞはNAVi5やNAVi6という機械式ATを開発し、ジェミニ・アスカといったセダンや、エルフ・キュービックといった大型車に搭載していたことがあり、後にトラック向けの「スムーサー」へ発展する

大阪を回り続けて60年

www.jr-odekake.net

大阪市内のみを走るJR西日本の路線と言えば大阪環状線ですが、その大阪環状線は開業60周年を迎えます。

それを記念して、京都鉄道博物館では関連イベントを開催します。今週末には、103系大阪環状線から撤退して以来4年ぶりにやってきます。

大阪環状線のあゆみ

大阪環状線が開通したのは1961年4月25日ですが、その前身となる路線はすでに明治時代に開通しており、足りない線路を補って環状にしたという形で大阪環状線が成立しています。
前身となる路線は以下の通りです。

  • 城東線(大阪~京橋~天王寺)…東半分
  • 西成線(大阪~西九条~桜島)…西半分の一部・桜島線
  • 大阪臨港線(関西本線貨物支線)…西半分の一部

ここに、西九条から西区・大正区内を通って大阪臨港線と合流する新線を組み合わせたのが大阪環状線です。その大阪臨港線も、合流地点から今宮駅までが大阪環状線編入され、合流地点に境川信号場が新設されています。弁天町駅・大正駅はその新線上に、芦原橋駅は大阪臨港線から大阪環状線編入された区間に開設された新駅です。
当時は新今宮駅芦原橋駅はまだなく、今宮駅には関西本線の列車しか停車しませんでした。

城東線は1895年に大阪鉄道(初代、後の関西鉄道)が開通させた路線で、文字通り大阪城の東側を走る路線でした。大阪城公園駅以外はすべて城東線時代に開業した駅です。
本来の目的は、官設鉄道(東海道本線)と関西鉄道線を連絡することで、当初は湊町(JR難波)からまっすぐ梅田を目指すルートも考えられていたようですが、市街地を貫通することになるため、町外れとなる現在のルートで落ち着きました。西側は西側で、木津川・安治川への架橋が船舶の出入りが非常に多いために難しく、東側を通すしかない状態でした。

西成線は、安治川の河口付近で築港工事(大阪港第1次修築工事)をすることになり、資材を運搬するための路線として西成鉄道の手により建設されました。こちらも、ユニバーサルシティ駅以外は西成線時代に開業した駅です。
西成というと現在では西成区が連想されますが、路線名と会社名は西成区ではなく、開通当時の「西成郡」にちなんでいます。当時の西成郡は西成区よりかなり広範囲であり、福島区此花区・港区・大正区西淀川区東淀川区淀川区の全域や北区の一部も含んでいました。

このような事情から、関西本線・城東線・西成線ともに町外れを走っており、郊外へ延びる私鉄のターミナルが市街地に入り込むという状態でした。そのため、主要な私鉄のターミナル(梅田・淀屋橋天満橋・難波・上本町)は今でも環状線の内側にあります。

開通後、城東線・西成線の内側も市街地となり、大阪市内のみを通る路線となりました。戦前から環状線にするという計画自体はありましたが、安治川への架橋が難しいことや、西側の人口がさほど多くなく利用客が見込めないという理由で放置されていました。

戦後になって、復興計画の一環として環状線の計画が再び動き出しました。このときは当時の大阪市長も協力し、新線の建設と、当時鉄道駅がなかった港区・大正区への新駅開設を働きかけていました。1956年に着工しましたが、これも安治川への架橋が反対運動で難航したため、1960年に開通予定だったのが1年遅れてしまいました。

1961年4月25日に西九条から大阪臨港線へつながる新線が開通しましたが、このときは旧西成線区間が地上にあり、完全な環状線にはなっていませんでした。そのため、桜島線(新線の開通を機に、西九条以西を分離)と直通して、桜島~西九条~大阪~京橋~鶴橋~天王寺~大正~西九条というルートで逆「の」の字運転を行っていました。

その後、1964年には旧西成線区間が高架化されて西九条で線路がつながり、完全な環状線となりました。それまでは大阪~福島が単線でしたが、高架化を機に複線化されています。
新今宮駅はこれと同時に開業しましたが、当時は環状線関西本線で線路を共用しており、ホームも2本しかなく、さらに当時の関西本線は非電化で、気動車と電車では著しく性能差があったため、環状線の電車のみ停車していました。1966年には南海電車新今宮駅も開業して乗換駅となりましたが、その際に芦原橋駅(1966年に開業)と新今宮駅に機能を受け継がせる形で今宮駅を廃止するという計画が持ち上がりました。ただし、地元の猛反対にあい、今宮駅も存続して現在に至ります。

1968年には、天王寺新今宮複々線化が完成して環状線関西本線の線路が分離されました。ただし、新今宮駅関西本線の列車が停車するのは1972年のダイヤ改正からです。

1973年には関西本線奈良駅まで電化され、これに合わせて日曜・休日のみ関西本線の快速電車が環状線に乗り入れて大阪駅まで直通するようになりました。翌年には平日も乗り入れるようになり、平成になって221系を導入すると同時に「大和路快速」へ発展します。

1983年には、大阪築城400年まつり・大阪城博覧会に合わせて大阪城公園駅が開業しました。現時点で、大阪環状線では最新の駅です。
1997年、今宮駅環状線のホームが設置されて環状線の電車も停車するようになりましたが、既存の駅にホームを追加しただけなので、純粋な新駅としては大阪城公園駅が最新です。

車両のあゆみ

城東線・西成線時代は72系などの旧性能電車が主力でしたが、大阪環状線の開通前後に101系が投入されました。中央線に次いで、2番目に101系が投入された路線だということはあまり知られていないようです。色も中央線と同じくオレンジで、現在の323系にも受け継がれています。

投入当初は6両編成でしたが、1970年からラッシュ時の混雑対策として一部が8両編成になりました。この際、すでに103系は投入されていましたが(1969年~)、101系も8両編成にしたために101系と103系が並行して投入されるという状態でした。1976年までに8両編成化は完了しています。

101系は当初から駅間距離の短い路線には向かないとされており、103系を追加投入して101系を置き換え、1979年に環状線の8両編成は運用は終了しましたが、桜島線用の6両編成が残されており、1985年まで直通電車として環状線を走ることがありました。また、101系は一部の車両が103系編入されており、これらの車両が2002年まで走っていました。
JRになってから、片町線から桜島線に101系が転属して一時的に復活したことはありましたが、1991年の大阪環状線開通30周年イベントをもって引退し、JR西日本から101系は姿を消しました。

長らく103系が主力でしたが、2005年になって京阪神地区に321系が投入され、201系が置き換えられました。その201系を103系の置き換えに充てることにしましたが、当初は4・6・8両編成に組み直すという計画がありました。ただし、大和路線奈良線への投入を想定した4両編成の場合、ラッシュ時の大和路線環状線直通電車として2本連結する運用があり、103系と201系は連結できないため、共通運用ができず不都合をきたすことから、6両編成と8両編成のみになりました。
8両編成は16本すべてを環状線に集約しましたが、6両編成は14本を大和路線に、2本を桜島線に配置する予定でした。実際は、おおさか東線向けに車両が必要となったため、6両編成はすべて奈良電車区に集約されました。

21世紀に入ってホームドアを整備することになり、その下準備としてドアの数をそろえることになりました。このときになると、103系も201系も老朽化が著しくなってきており、新型車両を導入して全面置き換えとなりました。
2016年から導入された323系は、歴代の環状線用車両として初めて専用設計された車両です。
開発に当たっては、ドアの数をどちらにするか、実際に丸一日3ドア車(221系・223系・225系)のみで運行して検証をしていましたが、最終的に3ドアでよいということになり、103系と201系をすべて置き換えて3ドアに統一されました。
置き換え完了後、ホームドアの運用が大阪駅京橋駅で始まりました。

京都鉄道博物館における103系

京都鉄道博物館では、入場門をくぐって最初に通るプロムナードにクハ103-1が展示されています。これは、1976年から2007年まで大阪環状線で運行され、その後は阪和線で2011年まで走っていました。
番号が示すとおり、山手線向けに投入された第一陣で、1971年に京浜東北線へ移籍しましたが、5年ほどで大阪環状線に移籍しています。では、反対側の先頭車「クハ103-2」はどうなったかというと、これも山手線に投入されたあと、京浜東北線に転属するまでは同じでしたが、こちらは阪和線片町線福知山線を転々とした後に2005年に再び阪和線へ戻り、2007年になって31年ぶりに同じ編成に組み込まれました。

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京都鉄道博物館で展示されるクハ103-1

2017年に103系が引退した際は、最後まで環状線を走っていたクハ103-802・843が展示され、これを最後に廃車されました。

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クハ103-843
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クハ103-802

JR西日本103系は長期にわたって運行されたため、腐食対策として戸袋や妻面の窓が埋められ、正面窓の周りを鉄板でカバーしており、原型をとどめた車両はありません。

そして、関西で残っている103系は、奈良線加古川線播但線和田岬線のものだけになりました。よって、大阪府では103系は既に走っていません。
なお、奈良線103系阪和線から転属してきた205系に置き換えられ、4両編成が2本残るのみとなりました。

今回、奈良線で走っている103系京都鉄道博物館にやってきました。

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クハ103-215
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今回は編成丸ごと登場!

今は奈良線での運用だけですが、方向幕は大和路線・桜井線・和歌山線のものも入っています。また、通常ではほとんど使うことがない「大和路快速」の表示も入っています。

国鉄~JR初期の券売機

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JR初期の券売機

今でこそ、券売機はタッチパネル式で、100kmまでの乗車券が買えるようになっていますが、国鉄時代からJRの初期には120円・150円・160円の切符しか買えない機種も存在しました。
営団地下鉄には初乗り運賃専用の券売機がありましたが、当時の券売機はどの会社でも同じように機能が絞られていました。券売機が多機能化したのは1990年代に入ってからです。

これは実際に鶴橋駅で使われていたもので、最長で内回りは福島、外回りは弁天町まで、阪和線は杉本町まで、片町線は片町と徳庵まで、大和路線は湊町(JR難波)と加美まで買えました。
野田・西九条、大和路線の加美以遠、阪和線の杉本町以遠、片町線徳庵以遠、大阪駅で乗り換えて東海道線福知山線の駅まで利用する場合や、南海電車新今宮乗り換え)・京阪電車(京橋乗り換え)との連絡切符を買う場合は、別の券売機を使用するように案内されています。

この券売機が稼動していた時代は、今宮駅には環状線の電車が停車しなかったため、路線図上では今宮駅大和路線のみの駅として、環状線から分岐した先にあるように書かれています。

券売機はここまで進化した

国鉄時代からJR初期の券売機は、1種類の切符しか発売できないものが多く、運賃ごとに券売機がいくつも並んでいるという光景が見られました。後になって複数種類の切符を発売できる機種も出てきましたが、環状線などにあったような2~3種類程度しか発売できないものでした。また、使用できる現金も10・50・100円硬貨のみでした。
100kmまでの切符を買えるようになったのは国鉄末期になってからで、オレンジカードが登場してからその対応も兼ねたものでした。また、500円硬貨や1000円札が使用できるようになったのもこの時期からです。

JRになってからもしばらくは国鉄時代の機種を引き続き使用しており、上にある表示板を差し替えただけのものでしたが、1990年代に入ってから現在の券売機に近い傾斜型の機種が導入されています。この当時は、ボタン式とタッチパネル式の2種類があり、5000・10000円札が使用できるようになりました。
国鉄時代の券売機で子供用の切符を購入する際は、小児運賃のボタンがまた別に備わっており、カバーをめくって押すという感じでしたが、JR移行後の券売機では「小児」ボタンを押して運賃表示が変わってから運賃ボタンを押して購入するようになりました。そのため、ボタンにデジタル表示が内蔵されているか、ボタンの上にデジタル表示があります。
ただ、ローカル線で見られる、食券の販売機を流用した機種では現在でも大人用と子供用が分かれています。

かつての券売機は1枚ずつ購入しないといけなかったのですが、こちらも枚数のボタンが追加されて複数枚購入できるようになり、現在の機種では大人・子供両方の切符をまとめ買いできるようになりました。

現在では、ICカードのチャージにも対応しているほか、定期券の継続手続きができる機種も出てきています。定期券の継続手続きができる機種は、金額が万単位になるため、クレジットカードにも対応しています。

さらに、指定席券や企画乗車券を購入したり、オンラインで予約した切符の受け取りができるものもありますが、これは券売機というよりはマルス端末の一種です。実際に「MV端末」と呼ばれています。

鶴・天経由

これはJRではなく近鉄のことですが、環状線に関係する事柄なのでここで記すことにします。

「通過連絡運輸」という制度がJRにはあります。これは、乗車する区間の途中にJR以外の他社線を挟む場合に、前後のJR線の営業キロを通算して運賃を計算する制度のことで、それぞれの区間で運賃を計算するより安くなります。

JR以外ではほとんどありませんが、近鉄では定期券に限り、鶴橋駅天王寺駅大阪阿部野橋駅)を環状線で連絡する定期券として購入した場合にこの特例が適用されます。

なお、通常の乗車券では、鶴橋~松阪が近鉄線経由の連絡乗車券を購入することができます。

ついに全国制覇

 声優で歌手の水樹奈々(41)が4日、さいたまスーパーアリーナで、2019年9月15日の全国ツアー以来、約2年4カ月ぶりとなる有観客ライブ「NANA MIZUKI LIVE RUNNER 2020→2022」を開催した。

 20年7月に音楽関係の男性と結婚し、昨年3月に第1子出産を報告。新型コロナウイルスの感染拡大で一度は中止となった歌手デビュー20周年記念ツアーを再構成したステージに出産後初めて、母として立った水樹は、「みんな、会いたかったよー!!」とまず絶叫。万雷の拍手を浴び、「あふれる思いがはじけて、はじけて止まらなくて。もう感極まっちゃって」と口にし、2年4カ月分の思いを全力パフォーマンスに込めた。

 レトロチックでキュートなものから、スポーツウエアをロック風にアレンジしたものなど、衣装“五変化”でファンを魅了。ライブ史上過去最大の火薬量によって四色の炎が吹き上がる圧巻の演出や、スニーカー型のトロッコに乗り会場を駆け巡るなど、度肝を抜くパフォーマンスで新曲「Red Breeze」「Get up! Shout!」や代表曲「ETERNAL BLAZE」など全25曲をエネルギッシュに歌い上げた。

 真っ青なペンライトが波のように揺れる光景に水樹は、「こんなに長くライブができなかったことはなかったので、幸せです」としみじみ。「この瞬間がずーっと続けばいいのに。この瞬間は忘れられないものになります」と有観客のありがたみをかみしめ、ファンとの再会を約束した。

 ライブでは14枚目となるアルバム制作を発表。さらに、今夏の7月16日の神戸ワールド記念ホールを皮切りに、初の茨城公演を含む、全10公演のライブツアーを開催することを発表した。

(『デイリースポーツ』2022年1月5日)

841日ぶりに、奈々さんのライブが実際の会場で、観客を入れて開催されました。その間、奈々さんに子供が生まれたり、阪神の新人トリオが躍動したりと、いろいろありました。

本来、2020年に歌手活動20周年を記念した全国ツアーとして開催予定で、千秋楽はナゴヤドームでやるはずだったのですが、中止になってしまい、そのまま2年以上ライブがないという状態でした。結局、さいたまスーパーアリーナのみで規模を大幅に縮小して行いました。

その中で、最後に3年ぶりのツアーが発表されました。

日時 開場
7月16・17日 ワールド記念ホール(神戸)
7月30・31日 日立市池の川さくらアリーナ
8月6・7日 さいたまスーパーアリーナ
8月13・14日 仙台サンプラザホール
8月20・21日 日本ガイシホール(名古屋)

最後まで開催されなかった茨城県で、ついに開催されます。これで、47都道府県を完全制覇することになりました。

茨城県とは言っても、水戸や土浦ではなく日立でやります。なので、「この木なんの木」を歌ってほしいという声が聞こえてきます。

3年前と同じく、開幕戦は神戸でやります。

ミドルレンジもいいんじゃない?

(実際に購入したのはau版の「SOV43」ですが、AmazonにあるのはSIMフリー版です)

スマートフォンといってもいろいろあります。
機能や性能でグレードが異なり、今ではほとんどスマートフォンしかない状態なので、スマートフォンだけでエントリークラスからハイエンドまで揃っています。*1

これまで使っていた機種は、考えうる限りの機能を詰め込んだハイエンドモデル(Xperia UL SOL22→Xperia Z5 SOV32)でしたが、ここ最近はハイエンド機の価格が高騰して10万円越えは珍しくなくなりました。
また、ハイエンド機を手にしたところで、機能を全部使うのか、と言われると、買い替えるまで使わずじまいの機能もあります。

同じ機種を2年半も使っていると、機器自体が劣化して動きが鈍くなったり、電池がすぐに減ったりします。また、修理の受付期間が終了するという問題もあります。この先、故障して修理が出来ず買い替えざるを得なくなることを考えると、壊れる前にに買い替えた方がよいという考えから、買い替えることにしました。

今回購入した「Xperia 10 II」は、最近出てきたXperiaのミドルレンジモデルで、auでは以前にあった「Xperia 8(SOV42)」の後継モデルという位置付けになっています。Xperiaのハイエンド機はすべて5G対応となっていますが、まだ5Gのエリアは整備されていないため、5Gの機種を手に入れたところで4Gでしかつながらず意味がありません。

また、使わずじまいだった機能はなくてもよく、外に出るとテレビを見ることがないため、テレビチューナーも不要*2、ということになりました。唯一、FeliCaおサイフケータイ)は外せない*3、という条件はありました。

以上のことを考えると、使い慣れたSONY Xperiaシリーズということも加味して、ミドルレンジのXperia 10 II SOV43が最後まで選択肢に残り、先日購入しました。

更に、以下のものが必要なので購入しました。

ケースとフィルムは、汎用品を使うのはあまり好きではありません。装着しにくいためで、機種ごとに設計された専用品しか使ったことがありません。

そして、USBのコネクタはmicro BだったのがType-Cに変わり、そのケーブルも必要なので購入しました。他に、micro BからType-Cへのアダプターも購入しています。

日本語入力について

Xperiaや、それ以前のソニーの携帯電話には「POBox」という日本語入力システムが入っていましたが、2019年の秋冬モデル(auではXperia 5 SOV41 / Xperia 8 SOV42)以降では廃止され、Google日本語入力が標準の日本語入力システムとして搭載されています。

ただ、これは全く使ったことがないため、入力しづらく困ります。
また、新型のXperiaにはPOBoxがないという情報を耳にしていましたが、その代わりは何だったかまでは知らなかったため、次もXperiaにするならATOKを入れてやろうと単純に考えていました。

auスマートパスでATOKが使えるため、それを入れたうえで、ジャストシステムの会員登録もしてインターネットを介した「キーワードExpress」も使えるようにしました。
このほか、Google Playで拡張辞書を手に入れていろいろな言葉(芸能人の名前、首都圏・関西のランドマークなど)を変換できるようにしています。

*1:以前は、スマートフォンがハイエンド、従来の携帯電話がミドル~エントリークラスという位置付けをしていたことがあった

*2:外付けの地上波テレビチューナーがあるので、必要ならばこれを購入して接続すればよい

*3:ヨドバシカメラのポイントカードなど、画面にバーコードを出して使用するものはよいが、nanacoなどはFeliCaに対応していないと使えない