大阪を回り続けて60年

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大阪市内のみを走るJR西日本の路線と言えば大阪環状線ですが、その大阪環状線は開業60周年を迎えます。

それを記念して、京都鉄道博物館では関連イベントを開催します。今週末には、103系大阪環状線から撤退して以来4年ぶりにやってきます。

大阪環状線のあゆみ

大阪環状線が開通したのは1961年4月25日ですが、その前身となる路線はすでに明治時代に開通しており、足りない線路を補って環状にしたという形で大阪環状線が成立しています。
前身となる路線は以下の通りです。

  • 城東線(大阪~京橋~天王寺)…東半分
  • 西成線(大阪~西九条~桜島)…西半分の一部・桜島線
  • 大阪臨港線(関西本線貨物支線)…西半分の一部

ここに、西九条から西区・大正区内を通って大阪臨港線と合流する新線を組み合わせたのが大阪環状線です。その大阪臨港線も、合流地点から今宮駅までが大阪環状線編入され、合流地点に境川信号場が新設されています。弁天町駅・大正駅はその新線上に、芦原橋駅は大阪臨港線から大阪環状線編入された区間に開設された新駅です。
当時は新今宮駅芦原橋駅はまだなく、今宮駅には関西本線の列車しか停車しませんでした。

城東線は1895年に大阪鉄道(初代、後の関西鉄道)が開通させた路線で、文字通り大阪城の東側を走る路線でした。大阪城公園駅以外はすべて城東線時代に開業した駅です。
本来の目的は、官設鉄道(東海道本線)と関西鉄道線を連絡することで、当初は湊町(JR難波)からまっすぐ梅田を目指すルートも考えられていたようですが、市街地を貫通することになるため、町外れとなる現在のルートで落ち着きました。西側は西側で、木津川・安治川への架橋が船舶の出入りが非常に多いために難しく、東側を通すしかない状態でした。

西成線は、安治川の河口付近で築港工事(大阪港第1次修築工事)をすることになり、資材を運搬するための路線として西成鉄道の手により建設されました。こちらも、ユニバーサルシティ駅以外は西成線時代に開業した駅です。
西成というと現在では西成区が連想されますが、路線名と会社名は西成区ではなく、開通当時の「西成郡」にちなんでいます。当時の西成郡は西成区よりかなり広範囲であり、福島区此花区・港区・大正区西淀川区東淀川区淀川区の全域や北区の一部も含んでいました。

このような事情から、関西本線・城東線・西成線ともに町外れを走っており、郊外へ延びる私鉄のターミナルが市街地に入り込むという状態でした。そのため、主要な私鉄のターミナル(梅田・淀屋橋天満橋・難波・上本町)は今でも環状線の内側にあります。

開通後、城東線・西成線の内側も市街地となり、大阪市内のみを通る路線となりました。戦前から環状線にするという計画自体はありましたが、安治川への架橋が難しいことや、西側の人口がさほど多くなく利用客が見込めないという理由で放置されていました。

戦後になって、復興計画の一環として環状線の計画が再び動き出しました。このときは当時の大阪市長も協力し、新線の建設と、当時鉄道駅がなかった港区・大正区への新駅開設を働きかけていました。1956年に着工しましたが、これも安治川への架橋が反対運動で難航したため、1960年に開通予定だったのが1年遅れてしまいました。

1961年4月25日に西九条から大阪臨港線へつながる新線が開通しましたが、このときは旧西成線区間が地上にあり、完全な環状線にはなっていませんでした。そのため、桜島線(新線の開通を機に、西九条以西を分離)と直通して、桜島~西九条~大阪~京橋~鶴橋~天王寺~大正~西九条というルートで逆「の」の字運転を行っていました。

その後、1964年には旧西成線区間が高架化されて西九条で線路がつながり、完全な環状線となりました。それまでは大阪~福島が単線でしたが、高架化を機に複線化されています。
新今宮駅はこれと同時に開業しましたが、当時は環状線関西本線で線路を共用しており、ホームも2本しかなく、さらに当時の関西本線は非電化で、気動車と電車では著しく性能差があったため、環状線の電車のみ停車していました。1966年には南海電車新今宮駅も開業して乗換駅となりましたが、その際に芦原橋駅(1966年に開業)と新今宮駅に機能を受け継がせる形で今宮駅を廃止するという計画が持ち上がりました。ただし、地元の猛反対にあい、今宮駅も存続して現在に至ります。

1968年には、天王寺新今宮複々線化が完成して環状線関西本線の線路が分離されました。ただし、新今宮駅関西本線の列車が停車するのは1972年のダイヤ改正からです。

1973年には関西本線奈良駅まで電化され、これに合わせて日曜・休日のみ関西本線の快速電車が環状線に乗り入れて大阪駅まで直通するようになりました。翌年には平日も乗り入れるようになり、平成になって221系を導入すると同時に「大和路快速」へ発展します。

1983年には、大阪築城400年まつり・大阪城博覧会に合わせて大阪城公園駅が開業しました。現時点で、大阪環状線では最新の駅です。
1997年、今宮駅環状線のホームが設置されて環状線の電車も停車するようになりましたが、既存の駅にホームを追加しただけなので、純粋な新駅としては大阪城公園駅が最新です。

車両のあゆみ

城東線・西成線時代は72系などの旧性能電車が主力でしたが、大阪環状線の開通前後に101系が投入されました。中央線に次いで、2番目に101系が投入された路線だということはあまり知られていないようです。色も中央線と同じくオレンジで、現在の323系にも受け継がれています。

投入当初は6両編成でしたが、1970年からラッシュ時の混雑対策として一部が8両編成になりました。この際、すでに103系は投入されていましたが(1969年~)、101系も8両編成にしたために101系と103系が並行して投入されるという状態でした。1976年までに8両編成化は完了しています。

101系は当初から駅間距離の短い路線には向かないとされており、103系を追加投入して101系を置き換え、1979年に環状線の8両編成は運用は終了しましたが、桜島線用の6両編成が残されており、1985年まで直通電車として環状線を走ることがありました。また、101系は一部の車両が103系編入されており、これらの車両が2002年まで走っていました。
JRになってから、片町線から桜島線に101系が転属して一時的に復活したことはありましたが、1991年の大阪環状線開通30周年イベントをもって引退し、JR西日本から101系は姿を消しました。

長らく103系が主力でしたが、2005年になって京阪神地区に321系が投入され、201系が置き換えられました。その201系を103系の置き換えに充てることにしましたが、当初は4・6・8両編成に組み直すという計画がありました。ただし、大和路線奈良線への投入を想定した4両編成の場合、ラッシュ時の大和路線環状線直通電車として2本連結する運用があり、103系と201系は連結できないため、共通運用ができず不都合をきたすことから、6両編成と8両編成のみになりました。
8両編成は16本すべてを環状線に集約しましたが、6両編成は14本を大和路線に、2本を桜島線に配置する予定でした。実際は、おおさか東線向けに車両が必要となったため、6両編成はすべて奈良電車区に集約されました。

21世紀に入ってホームドアを整備することになり、その下準備としてドアの数をそろえることになりました。このときになると、103系も201系も老朽化が著しくなってきており、新型車両を導入して全面置き換えとなりました。
2016年から導入された323系は、歴代の環状線用車両として初めて専用設計された車両です。
開発に当たっては、ドアの数をどちらにするか、実際に丸一日3ドア車(221系・223系・225系)のみで運行して検証をしていましたが、最終的に3ドアでよいということになり、103系と201系をすべて置き換えて3ドアに統一されました。
置き換え完了後、ホームドアの運用が大阪駅京橋駅で始まりました。

京都鉄道博物館における103系

京都鉄道博物館では、入場門をくぐって最初に通るプロムナードにクハ103-1が展示されています。これは、1976年から2007年まで大阪環状線で運行され、その後は阪和線で2011年まで走っていました。
番号が示すとおり、山手線向けに投入された第一陣で、1971年に京浜東北線へ移籍しましたが、5年ほどで大阪環状線に移籍しています。では、反対側の先頭車「クハ103-2」はどうなったかというと、これも山手線に投入されたあと、京浜東北線に転属するまでは同じでしたが、こちらは阪和線片町線福知山線を転々とした後に2005年に再び阪和線へ戻り、2007年になって31年ぶりに同じ編成に組み込まれました。

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京都鉄道博物館で展示されるクハ103-1

2017年に103系が引退した際は、最後まで環状線を走っていたクハ103-802・843が展示され、これを最後に廃車されました。

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クハ103-843
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クハ103-802

JR西日本103系は長期にわたって運行されたため、腐食対策として戸袋や妻面の窓が埋められ、正面窓の周りを鉄板でカバーしており、原型をとどめた車両はありません。

そして、関西で残っている103系は、奈良線加古川線播但線和田岬線のものだけになりました。よって、大阪府では103系は既に走っていません。
なお、奈良線103系阪和線から転属してきた205系に置き換えられ、4両編成が2本残るのみとなりました。

今回、奈良線で走っている103系京都鉄道博物館にやってきました。

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クハ103-215
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今回は編成丸ごと登場!

今は奈良線での運用だけですが、方向幕は大和路線・桜井線・和歌山線のものも入っています。また、通常ではほとんど使うことがない「大和路快速」の表示も入っています。

国鉄~JR初期の券売機

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JR初期の券売機

今でこそ、券売機はタッチパネル式で、100kmまでの乗車券が買えるようになっていますが、国鉄時代からJRの初期には120円・150円・160円の切符しか買えない機種も存在しました。
営団地下鉄には初乗り運賃専用の券売機がありましたが、当時の券売機はどの会社でも同じように機能が絞られていました。券売機が多機能化したのは1990年代に入ってからです。

これは実際に鶴橋駅で使われていたもので、最長で内回りは福島、外回りは弁天町まで、阪和線は杉本町まで、片町線は片町と徳庵まで、大和路線は湊町(JR難波)と加美まで買えました。
野田・西九条、大和路線の加美以遠、阪和線の杉本町以遠、片町線徳庵以遠、大阪駅で乗り換えて東海道線福知山線の駅まで利用する場合や、南海電車新今宮乗り換え)・京阪電車(京橋乗り換え)との連絡切符を買う場合は、別の券売機を使用するように案内されています。

この券売機が稼動していた時代は、今宮駅には環状線の電車が停車しなかったため、路線図上では今宮駅大和路線のみの駅として、環状線から分岐した先にあるように書かれています。

券売機はここまで進化した

国鉄時代からJR初期の券売機は、1種類の切符しか発売できないものが多く、運賃ごとに券売機がいくつも並んでいるという光景が見られました。後になって複数種類の切符を発売できる機種も出てきましたが、環状線などにあったような2~3種類程度しか発売できないものでした。また、使用できる現金も10・50・100円硬貨のみでした。
100kmまでの切符を買えるようになったのは国鉄末期になってからで、オレンジカードが登場してからその対応も兼ねたものでした。また、500円硬貨や1000円札が使用できるようになったのもこの時期からです。

JRになってからもしばらくは国鉄時代の機種を引き続き使用しており、上にある表示板を差し替えただけのものでしたが、1990年代に入ってから現在の券売機に近い傾斜型の機種が導入されています。この当時は、ボタン式とタッチパネル式の2種類があり、5000・10000円札が使用できるようになりました。
国鉄時代の券売機で子供用の切符を購入する際は、小児運賃のボタンがまた別に備わっており、カバーをめくって押すという感じでしたが、JR移行後の券売機では「小児」ボタンを押して運賃表示が変わってから運賃ボタンを押して購入するようになりました。そのため、ボタンにデジタル表示が内蔵されているか、ボタンの上にデジタル表示があります。
ただ、ローカル線で見られる、食券の販売機を流用した機種では現在でも大人用と子供用が分かれています。

かつての券売機は1枚ずつ購入しないといけなかったのですが、こちらも枚数のボタンが追加されて複数枚購入できるようになり、現在の機種では大人・子供両方の切符をまとめ買いできるようになりました。

現在では、ICカードのチャージにも対応しているほか、定期券の継続手続きができる機種も出てきています。定期券の継続手続きができる機種は、金額が万単位になるため、クレジットカードにも対応しています。

さらに、指定席券や企画乗車券を購入したり、オンラインで予約した切符の受け取りができるものもありますが、これは券売機というよりはマルス端末の一種です。実際に「MV端末」と呼ばれています。

鶴・天経由

これはJRではなく近鉄のことですが、環状線に関係する事柄なのでここで記すことにします。

「通過連絡運輸」という制度がJRにはあります。これは、乗車する区間の途中にJR以外の他社線を挟む場合に、前後のJR線の営業キロを通算して運賃を計算する制度のことで、それぞれの区間で運賃を計算するより安くなります。

JR以外ではほとんどありませんが、近鉄では定期券に限り、鶴橋駅天王寺駅大阪阿部野橋駅)を環状線で連絡する定期券として購入した場合にこの特例が適用されます。

なお、通常の乗車券では、鶴橋~松阪が近鉄線経由の連絡乗車券を購入することができます。

ついに全国制覇

 声優で歌手の水樹奈々(41)が4日、さいたまスーパーアリーナで、2019年9月15日の全国ツアー以来、約2年4カ月ぶりとなる有観客ライブ「NANA MIZUKI LIVE RUNNER 2020→2022」を開催した。

 20年7月に音楽関係の男性と結婚し、昨年3月に第1子出産を報告。新型コロナウイルスの感染拡大で一度は中止となった歌手デビュー20周年記念ツアーを再構成したステージに出産後初めて、母として立った水樹は、「みんな、会いたかったよー!!」とまず絶叫。万雷の拍手を浴び、「あふれる思いがはじけて、はじけて止まらなくて。もう感極まっちゃって」と口にし、2年4カ月分の思いを全力パフォーマンスに込めた。

 レトロチックでキュートなものから、スポーツウエアをロック風にアレンジしたものなど、衣装“五変化”でファンを魅了。ライブ史上過去最大の火薬量によって四色の炎が吹き上がる圧巻の演出や、スニーカー型のトロッコに乗り会場を駆け巡るなど、度肝を抜くパフォーマンスで新曲「Red Breeze」「Get up! Shout!」や代表曲「ETERNAL BLAZE」など全25曲をエネルギッシュに歌い上げた。

 真っ青なペンライトが波のように揺れる光景に水樹は、「こんなに長くライブができなかったことはなかったので、幸せです」としみじみ。「この瞬間がずーっと続けばいいのに。この瞬間は忘れられないものになります」と有観客のありがたみをかみしめ、ファンとの再会を約束した。

 ライブでは14枚目となるアルバム制作を発表。さらに、今夏の7月16日の神戸ワールド記念ホールを皮切りに、初の茨城公演を含む、全10公演のライブツアーを開催することを発表した。

(『デイリースポーツ』2022年1月5日)

841日ぶりに、奈々さんのライブが実際の会場で、観客を入れて開催されました。その間、奈々さんに子供が生まれたり、阪神の新人トリオが躍動したりと、いろいろありました。

本来、2020年に歌手活動20周年を記念した全国ツアーとして開催予定で、千秋楽はナゴヤドームでやるはずだったのですが、中止になってしまい、そのまま2年以上ライブがないという状態でした。結局、さいたまスーパーアリーナのみで規模を大幅に縮小して行いました。

その中で、最後に3年ぶりのツアーが発表されました。

日時 開場
7月16・17日 ワールド記念ホール(神戸)
7月30・31日 日立市池の川さくらアリーナ
8月6・7日 さいたまスーパーアリーナ
8月13・14日 仙台サンプラザホール
8月20・21日 日本ガイシホール(名古屋)

最後まで開催されなかった茨城県で、ついに開催されます。これで、47都道府県を完全制覇することになりました。

茨城県とは言っても、水戸や土浦ではなく日立でやります。なので、「この木なんの木」を歌ってほしいという声が聞こえてきます。

3年前と同じく、開幕戦は神戸でやります。

ミドルレンジもいいんじゃない?

(実際に購入したのはau版の「SOV43」ですが、AmazonにあるのはSIMフリー版です)

スマートフォンといってもいろいろあります。
機能や性能でグレードが異なり、今ではほとんどスマートフォンしかない状態なので、スマートフォンだけでエントリークラスからハイエンドまで揃っています。*1

これまで使っていた機種は、考えうる限りの機能を詰め込んだハイエンドモデル(Xperia UL SOL22→Xperia Z5 SOV32)でしたが、ここ最近はハイエンド機の価格が高騰して10万円越えは珍しくなくなりました。
また、ハイエンド機を手にしたところで、機能を全部使うのか、と言われると、買い替えるまで使わずじまいの機能もあります。

同じ機種を2年半も使っていると、機器自体が劣化して動きが鈍くなったり、電池がすぐに減ったりします。また、修理の受付期間が終了するという問題もあります。この先、故障して修理が出来ず買い替えざるを得なくなることを考えると、壊れる前にに買い替えた方がよいという考えから、買い替えることにしました。

今回購入した「Xperia 10 II」は、最近出てきたXperiaのミドルレンジモデルで、auでは以前にあった「Xperia 8(SOV42)」の後継モデルという位置付けになっています。Xperiaのハイエンド機はすべて5G対応となっていますが、まだ5Gのエリアは整備されていないため、5Gの機種を手に入れたところで4Gでしかつながらず意味がありません。

また、使わずじまいだった機能はなくてもよく、外に出るとテレビを見ることがないため、テレビチューナーも不要*2、ということになりました。唯一、FeliCaおサイフケータイ)は外せない*3、という条件はありました。

以上のことを考えると、使い慣れたSONY Xperiaシリーズということも加味して、ミドルレンジのXperia 10 II SOV43が最後まで選択肢に残り、先日購入しました。

更に、以下のものが必要なので購入しました。

ケースとフィルムは、汎用品を使うのはあまり好きではありません。装着しにくいためで、機種ごとに設計された専用品しか使ったことがありません。

そして、USBのコネクタはmicro BだったのがType-Cに変わり、そのケーブルも必要なので購入しました。他に、micro BからType-Cへのアダプターも購入しています。

日本語入力について

Xperiaや、それ以前のソニーの携帯電話には「POBox」という日本語入力システムが入っていましたが、2019年の秋冬モデル(auではXperia 5 SOV41 / Xperia 8 SOV42)以降では廃止され、Google日本語入力が標準の日本語入力システムとして搭載されています。

ただ、これは全く使ったことがないため、入力しづらく困ります。
また、新型のXperiaにはPOBoxがないという情報を耳にしていましたが、その代わりは何だったかまでは知らなかったため、次もXperiaにするならATOKを入れてやろうと単純に考えていました。

auスマートパスでATOKが使えるため、それを入れたうえで、ジャストシステムの会員登録もしてインターネットを介した「キーワードExpress」も使えるようにしました。
このほか、Google Playで拡張辞書を手に入れていろいろな言葉(芸能人の名前、首都圏・関西のランドマークなど)を変換できるようにしています。

*1:以前は、スマートフォンがハイエンド、従来の携帯電話がミドル~エントリークラスという位置付けをしていたことがあった

*2:外付けの地上波テレビチューナーがあるので、必要ならばこれを購入して接続すればよい

*3:ヨドバシカメラのポイントカードなど、画面にバーコードを出して使用するものはよいが、nanacoなどはFeliCaに対応していないと使えない

ICOCA20周年の目玉?

https://www.westjr.co.jp/press/article/items/201016_00_mobileicoca.pdf

ICカードシステムはJR全社で導入されており、JR西日本では2003年から「ICOCA」を導入しています。

ところが、カードタイプのものはJR全社で導入されていますが、これが携帯電話を用いたものとなると話は別で、JR東日本が「モバイルSuica」を導入しているのみです。私鉄を含めても、先日「モバイルPASMO」が導入されたぐらいです。他に、Apple PayがSuicaに対応している程度です。

関西ではカードタイプのものしかありませんでしたが*1、2023年を目途にJR西日本でも「モバイルICOCA」を導入することになりました。時期的に、ICOCAが20周年を迎えるタイミングでの導入となります。

ただし、現状では詳細が発表されておらず、どのような仕組みになるかはわかりません。ただ単に、モバイルSuicaJR西日本バージョンになるかもしれません。*2
スマートフォンを読み取り部にタッチするだけで」というくだりから、FeliCaおサイフケータイ)もしくはApple Payのどちらかというのは予想がつきます。

*1:バスも入れると、以前は神姫バスが「モバイルNicoPa」を導入していたが、無記名タイプのものしか提供されなかった上、docomoの携帯電話でしか使用できなかったため普及せず、2012年末をもってサービス終了

*2:モバイルSuica自体はJR西日本でも利用可能

三都を駆け抜けて50年

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私鉄が圧倒的に強い関西地区において、国鉄が意地を見せるために走らせた「新快速」。今年、運行開始から50周年を迎えました。

前史

京阪神地区では、大阪(梅田)を中心に神戸方面へは阪急神戸本線阪神本線が、京都方面へは阪急京都本線京阪本線が並行しています。戦前からこれらの私鉄とは激しい競争が繰り広げられており、国鉄は1934年に大阪近郊の東海道山陽本線(吹田~須磨)の電化に合わせて42系*1・52系電車を投入して「急行電車*2を運行し、私鉄の速達列車の対抗馬としました。

昭和30年代まで(概ね、電化区間西明石~京都のみだったころ)、京阪神地区でも首都圏と同じように中距離列車(大阪駅を中心に、東は滋賀県、西は姫路まで運行する)と近距離の急行電車(後の快速電車、西明石~京都のみ運行)、各駅停車の3本立てでした。西は姫路、東は米原まで電化された際に、快速電車がそのまま姫路や米原まで走るようになり、西明石~京都では快速、それ以外の区間では普通列車として走るようになりました。

1970年代

新快速が運行を開始したのは、大阪万博が閉幕した後の1970年10月1日でした。これまでの快速を上回る速達サービスを提供するという趣旨は、50年前から変わっていません。
当初用いられた車両は、大阪万博の臨時列車向けに横須賀線などから転入して来た113系の7両編成で、中には横須賀線カラーのものもありました。大阪万博閉幕後の余剰車両の活用も兼ねていたようです。

運行区間西明石~京都でしたが、半年ほどで草津まで延長されています。
途中の停車駅は当初、明石・三ノ宮・大阪だけで(草津まで延伸後は大津・石山にも停車)、一部の特急が停車していた神戸駅や、新幹線との接続駅である新大阪駅すら通過していました。そこまでして速達性を追い求めました。
この当時は運行本数が少なく、昼間に1時間間隔で運行されていただけでした。したがって、1日6本だけです。

1972年3月のダイヤ改正では、運行区間が西側へ伸びて姫路発着の電車も設定されました。姫路への延伸と増発に伴い、運行系統は京都~姫路と草津西明石の2本立てになり、姫路発着系統は西明石を通過していました。また、姫路乗り入れと同時に加古川にも停車するようになっています。

車両面では、山陽新幹線が岡山まで開業したのに伴って急行列車が廃止となり、余剰車両が発生した153系*3の6両編成に置き換えられました。
急行用の車両に置き換えられたことで、最高速度が110km/h(113系は100km/h)に引き上げられ、大阪~京都の所要時間は29分と、30分を切りました。
このダイヤ改正では西明石~京都で1時間に4本に増発され、大阪駅・京都駅では1分停車していたため、大阪駅・京都駅の出発時刻が、現在に至るまでおなじみとなる0・15・30・45分に揃えられました。大阪駅と京都駅には、そのことを示す看板が出ていました。

これ以降は、1974年に湖西線が開業した際には1時間に1本が堅田まで乗り入れ、1978年には神戸駅が停車駅に追加されました。

かつては普通列車でも喫煙が可能だったのですが、1975年9月1日から関西地区でも禁煙区間が設定され、東海道山陽本線では西明石~京都が禁煙区間に指定されました。ただし、それ以外の区間では喫煙可能だったため、灰皿は残されています。

1980年代

歴代の新快速用車両は、113系大阪万博の臨時列車向けに首都圏などから応援に駆け付けたものが関西に残ったもので、153系は山陽新幹線岡山開業で急行が廃止となって発生した余剰車でした。113系セミクロスシート、153系はボックスシートで、私鉄の特急車両(阪急:2800系・6300系、京阪:1900系・3000系(初代))と比べると見劣りがしました。また、153系は長距離運行をこなしていたことから著しく老朽化が進行していました。

113系・153系に限らず国鉄の車両はすべてそうなっていますが、全国で運用することを前提として開発・設計しているため、必ずしも地域の実情に合っているとは限りません*4。このため、国鉄本社もおそらく大阪鉄道管理局から突き上げを喰らったと思いますが、当時の国鉄としては異例の地域限定車両*5として117系を1980年から投入しました。当初から新快速として使用することを前提にしたのは117系が初めてです。*6
117系は、阪急2800系などに近い2ドアの車体を持つ転換クロスシートの電車で、品質はこれでようやく私鉄の特急車両に追いついたと言えます。153系と117系は2ドアでしたが、これはかつての新快速は昼間のみの運行だったためです。
1975年から、禁煙区間(京都~西明石)では6両すべてが禁煙でしたが、117系ではさらに進んで、1・6号車は区間に関係なく禁煙となりました。

この時期には、滋賀県内で増発が行われ、草津発着系統が1時間に2本になったほか、朝夕のラッシュ時に彦根駅まで乗り入れが開始しました。
なぜ彦根までかというと、当時の米原駅名古屋鉄道管理局(→JR東海)管轄だったため、大阪局独自の電車だった新快速は名古屋局の縄張りに入れなかったためです。急行や特急など、本社でダイヤを作る列車については問題がないのですが、ローカル列車のダイヤは各鉄道管理局で作成するため、局同士の調整を忌避して局またぎの列車はほとんど設定されませんでした。*7
彦根まで乗り入れた当初の停車駅は現在とは異なり、草津彦根は各駅停車でした。翌年に草津以北でも快速運転を行うようになっています。
また、1985年には新大阪にも停車するようになっています。これは、以前から新幹線の利用客が新大阪を通過すると知らずにうっかり乗ってしまい新幹線に乗り継げなかったという事例が多発していたため、その対策であり、大阪~高槻の最高速度が110km/hに引き上げられ、新大阪に停車しても大阪~京都を29分で運行できるようになったためです。

1986年11月、国鉄最後のダイヤ改正では、運行区間の西の端がすべて姫路に統一され、それに伴い西明石にすべて停車するようになりました。また、京都側では山科にも停車するようになりました。
従来、京阪神間の複々線はダイヤの決定権を外側線(列車線)は本社が、内側線(電車線)は大阪局が握っており、新快速は内側線(電車線)を走行し、須磨駅で各駅停車を追い越していました。このダイヤ改正では、外側線のダイヤの決定権が大阪局に委譲されたため、外側線を走ることができるようになりました。

民営化~1990年代

国鉄が分割・民営化されてJR西日本が発足すると、新快速を京阪神間のフラッグシップと位置付けてテコ入れがなされました。

まず、1988年3月のJR西日本初のダイヤ改正では、これまで運行されていなかった夕方に初めて設定され、そのうちの一部は米原まで乗り入れるようになりました。民営化の段階で、米原駅は新幹線がJR東海、在来線はJR西日本の管轄と決められており、在来線がJR西日本の管轄となったことで乗り入れが実現しました。

そして、JR西日本初の完全新規設計の新型車両*8として、221系が1989年から投入されました。
221系は、座席数こそ117系と同じですが扉が3つに増やされ、窓が大きくなったことで車内が一気に明るくなり、最高速度も120km/hに引き上げられています。

221系が投入された1989年3月のダイヤ改正では、本格的に米原までの乗り入れを開始しました。また、朝・夕方のラッシュ時にも本格的に運行を開始し、最終は神戸・京都方面のどちらも大阪駅23時ちょうど発まで繰り下げられました。

民営化以降は、車両の性能が上がり、停車駅を増やしても所要時間を維持できるようになったことから、停車駅が追加されています。1990年には日中のみ芦屋と高槻に停車するようになりました。この時期に117系221系ともに最高速度が115km/hに上げられており、大阪~京都の所要時間は新大阪・高槻に停車しつつ29分を維持しました。

1991年には、北陸本線米原~長浜が直流電化に転換され、米原発着だった一部の新快速が長浜まで乗り入れを開始しました。これにより、長浜市が観光地として脚光を浴びました。
滋賀県では、新快速のおかげで京都や大阪へのアクセスが大幅に改善されたことから、大学や企業が多数進出し、京都・大阪の通勤圏に入ることから住宅需要も増えています。最近でも、南草津駅の新快速停車をめぐって草津市草津商工会議所・立命館大学パナソニックが連名でJR西日本に請願書を出したほか、草津市長選で選挙公約に「南草津駅の新快速停車実現」を掲げた候補者がおり、当選したため、話が具体化し多数の署名が集まり、2011年3月のダイヤ改正から停車するようになりました。経緯はともかく、新快速の停車による効果は絶大で、利用客数は2011年度には石山駅を抜いて県内2位まで増加し(大津駅より多い!)、2014年度には県内トップまで上り詰めました。
そのせいかどうかはわかりませんが(南草津が成功したので他の駅でも、という思惑がある)、滋賀県内の他の駅でも新快速の停車を求める運動が起きています。

阪神・淡路大震災では、阪神間鉄道路線が壊滅状態となり、JR西日本でも六甲道駅が崩壊するなど甚大な被害を受けました。しかし、東海道山陽本線は貨物でも最重要路線であり、長期間止めるわけにはいきません。JR他社からの応援を仰ぎ、4月に完全復旧を果たしました。阪急神戸本線阪神本線は復旧工事が6月までかかったため、その分の需要がJRに流れ込んで来ました。
JRとしてもその需要に応えるべく、朝夕に臨時列車を運行していましたが、これらの列車はそのまま翌年のダイヤ改正で定期便に昇格しました。

1999年には、追加料金を必要としない普通列車として初めて特急と同じ130km/hでの運行を開始しました。当時は、130km/h対応の223系に揃えられた朝ラッシュ時のみ、区間複々線区間西明石草津)に限定されていましたが、翌年には全列車を223系に揃えて姫路~米原で130km/hでの運行を開始しています。

21世紀

国鉄時代から、湖北地方と大津・京阪神のアクセスは、東海道本線が直流電化なのに対して北陸本線が交流電化のため、米原で乗り換えを要して不便であるという指摘が多くありました。その問題を解消するため、滋賀県と東側の沿線自治体が「北陸本線直流化促進期成同盟会」を結成して国鉄JR西日本に対して働きかけを行っていました。後に西側の自治体も加わって、湖西線も直流化するように要望して「琵琶湖環状線促進期成同盟会」となりました。
米原~長浜の直流化は1991年に実現しましたが、このおかげで長浜市京阪神から近い観光地として脚光を浴び、更には京都・大阪の通勤圏としても見なされるようになりました。

長浜市の成功事例を見て、それより北の各自治体でも直流化と新快速の乗り入れが求められるようになり、さらには県境をまたいで敦賀市でも新快速を敦賀駅に乗り入れさせて京阪神から観光客を取り込もう、という目論見がなされました。
JR西日本では、基本的に地元が要望する事業は地元に費用を負担させる方針*9のため、直流化に必要な費用を沿線自治体で1995年から積み立てていました。今回は滋賀・福井の2県が絡む事業のため、事業費の負担割合など協議すべき事項が多数ありましたが、2002年に滋賀県が75億円、福井県が68億円、JR西日本が18億円の負担でまとまり、翌年に工事協定を締結して着工にこぎつけ、2006年に直流化開業しました。
直流化以降は、もともと近江今津まで乗り入れていた列車が湖西線経由敦賀行きとして、毎時2本あった長浜行きのうち1本が米原経由近江塩津行きとして運行されています。夕方には米原経由の敦賀行きも運行されています。

2010年には、さらなる安全性とサービスの向上を目指して225系が投入されたほか、2019年には他社の上位クラスの車両(京阪電車の「プレミアムカー」など)が好評を博していることから、その対抗馬として「Aシート」を導入しました。
「Aシート」は、1980年まで快速に連結されていたグリーン車の再来というべきもので、普通列車としては例を見ない無料Wi-Fiやモバイル機器の充電用100Vコンセント、さらには関西国際空港の利用客向けに大型荷物置き場を装備した上位クラスの車両で、乗車区間にかかわらず500円で利用できます。
現状、姫路~野洲の2往復のみですが、287系と同じシートを使用しているだけに乗り心地は良好で、米原敦賀までの乗り入れが期待されるところです。

かつての新快速は、113系が7両編成だった以外は153系・117系221系ともに6両編成で、117系以降はラッシュ時に2本連結した12両編成で走っていましたが、1990年代に入ると6両編成では混雑するようになり、1991年から221系の編成を組み直して8両編成が登場しました。以降、8両編成が基本となり、223系・225系は一部を除き8両編成と4両編成が大多数を占めています。
しかし、今度は8両編成でも混雑がひどく、2011年からは休日の姫路~米原近江今津を走行する全列車が12両編成となり、2017年には京都駅で米原行きと湖西線経由の編成を切り離すものと、夕方の大阪駅始発列車を除いてすべて12両編成となりました。

歴代車両

  • 113系(1970~1972年)
  • 153系(1972~1980年)
  • 117系(1980~1999年)
  • 221系(1989~2000年)
  • 223系(1995年~)
  • 225系(2010年~)

この他、臨時列車で207系321系が使用されたこともあるほか、前の世代の車両が臨時列車に起用されたこともありました。

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停車駅の変遷

1970年(運行開始)

西明石・明石・三ノ宮・大阪・京都

1971年(草津まで乗り入れ)

西明石・明石・三ノ宮・大阪・京都・大津・石山・草津

1972年(姫路まで乗り入れ)

姫路・加古川・明石・三ノ宮・大阪・京都・大津・石山・草津

1974年(湖西線開業)

姫路・加古川・明石・三ノ宮・大阪・京都・西大津(現・大津京)・叡山(現・比叡山坂本)・堅田

1978年

姫路・加古川・明石・神戸・三ノ宮・大阪・京都・大津・石山・草津

1985年(彦根まで乗り入れ)

姫路・加古川・明石・神戸・三ノ宮・大阪・新大阪・京都・大津・石山・草津彦根まで各駅停車

1986年(滋賀県内でも快速運転、姫路まで延伸)

姫路・加古川西明石・明石・神戸・三ノ宮・大阪・新大阪・京都・山科・大津・石山・草津・守山・野洲近江八幡能登川彦根

  • これ以降、1996年まで湖西線内各駅停車

1990年(日中のみ停車駅を追加)

姫路・加古川西明石・明石・神戸・三ノ宮・芦屋・大阪・新大阪・高槻・京都・山科・大津・石山・草津・守山・野洲近江八幡能登川彦根米原

  • 当時は芦屋と高槻は日中のみ停車、1993年には休日朝にも、1995年には平日朝夕ラッシュ時以外の全列車が停車
  • 1991年の長浜直流化の際は、米原以北各駅停車

1996年(湖西線内で快速運転再開)

姫路・加古川西明石・明石・神戸・三ノ宮・芦屋・大阪・新大阪・高槻・京都・山科・西大津比叡山坂本堅田近江舞子

1997年(JR東西線開業)

姫路・加古川西明石・明石・神戸・三ノ宮・芦屋・尼崎・大阪・新大阪・高槻・京都・山科・大津・石山・草津・守山・野洲近江八幡能登川彦根米原

  • 高槻と尼崎に全列車停車
  • 芦屋には2003年に全列車停車
  • 2006年の敦賀直流化の際は、従来通り米原近江舞子以北各駅停車

2011年(南草津に停車)

姫路・加古川西明石・明石・神戸・三ノ宮・尼崎・芦屋・大阪・新大阪・高槻・京都・山科・大津・石山・南草津草津・守山・野洲近江八幡能登川彦根米原

*1:2003年まで小野田線で走っていた「クモハ42001」が最後の生き残り

*2:かつての国鉄では電車は近距離を走るものとされており、中・長距離列車は機関車が客車を引っ張っていた。また、急行電車は長距離の急行列車とは異なり急行料金は不要だった。そのため、長距離の急行列車に電車が投入されると、紛らわしくなるため急行電車は「快速」に名称を変更した。類似例は阪和線でも見られ、阪和線に至っては「特急電車」まであった

*3:一部、クハ165を組み込んだ編成があった

*4:さすがに寒冷地仕様はあった

*5:当初は京阪神エリア限定だったが、のちに名古屋近郊にも投入された。そのため、JR東海にも72両が継承された

*6:113系や153系はお下がり、221系大和路快速、223系は関空・紀州路快速マリンライナー山陰本線のワンマンカーと幅広く活躍しているため、某所のアンケートでは新快速のイメージが強い車両として117系が挙げられていた

*7:余談だが、現在でも複数のJR旅客会社をまたぐローカル列車についてはほとんどなく、会社境界の駅で運行系統を分断している。ひどい場合、同じJR旅客会社でも複数の支社をまたぐ列車が少ないこともある

*8:JR他社の新形式第1号は在来線の特急車両(JR東海ですら、新形式の第1号は新幹線ではなく「ワイドビューひだ」でおなじみのキハ85系だった)だったが、JR西日本のみ一般車両が最初に投入され、JR西日本最初の新型特急として知られる681系は1992年に登場した

*9:逆に言えば、費用さえ出してくれれば何でもするということであり、JR北海道のようにあれこれ理由をつけて渋るということはない。ただし、車両に関しては最近は地元負担はなく(あまりにも老朽化が著しく、車両の置き換えにあたって地元に負担を強いることができないという事情もある)、227系や521系などはすべて自腹で製造している