ケータイの歴史を探れ!

先週末、両国国技館で開催された「Songful Days」に行ってきました。これに関しては後日書くことにして、今回はその前後に行ってきたスポットのことを書くことにします。

両国国技館の北にある「NTTドコモ墨田ビル」。その1階に、日本の無線通信の歴史が詰まった「NTTドコモ歴史展示スクエア」があります。ここには、日本初の移動電話から自動車電話、ショルダーフォン(平野ノラのネタでおなじみ)、ポケベル、PHS、衛星電話、携帯電話、スマホタブレットといった、電電公社・NTT・NTTドコモの電話機が総勢200台展示されており、一部は実際に手にすることもできます。

船舶電話(港湾電話)

日本で初めての無線電話は、1953年に始まった「港湾電話」でした。これは、東京湾・大阪湾にいる船から電話ができるというものでした。陸上に基地局を置き、航行中の船に置いた電話機と通信するという、現在の携帯電話の基本的な形がこの時すでにできています。

当時の電話機は非常に大きく、通信モジュールだけで配電盤ぐらいの大きさがあり、受話器も固定電話のものが流用されています。さらに、当時は相手の番号をダイヤルするのではなく交換手を呼び出してつないでもらっていたため、電話機にダイヤルがありません。交換手を介さず、直接ダイヤルしてつながるようになったのはもっと後のことです。

現在は衛星電話(ドコモでは「ワイドスター」という)が実用化されてこちらに移行したため、地上に基地局を置くタイプの船舶電話はありません。

自動車電話

船の次は車です。このあたりから、800MHzの電波を使うようになるなど、システムが現在の携帯電話にだいぶ近くなってきました。

ただ、この当時も通信モジュールは非常に大きく、7kgもありました。これをトランクに固定し、受話器を後部座席に置いて使っていました。電源はカーステレオなどと同じく車のバッテリーからとります。

後部座席に置く理由は、当時の主たる客層は大企業の幹部だったためで、運転手つきの高級セダンで移動している際に、会社と連絡を取るために使っていました。実際、料金は非常に高く、基本料は3万円、通話料は6秒10円、さらに保証金として20万円を預ける必要がありました。電話機自体もレンタル品でした。*1
ただし、数は少なかったもののタクシーの乗客向けのものもありました。

デジタル化されてからもしばらく細々と出ていましたが、携帯電話に車載用のオプションが出ており、これらに置き換えられる形で姿を消しました。

現在の携帯電話は自動車電話から発展したシステムであることと、のちに参入してきた携帯電話会社の設立母体に自動車メーカーが入っている*2のは無関係でもなさそうです。

ショルダーフォン

バブル期の象徴として語られることが多いのですが、現在ではそのスタイルがかえって新鮮に映るようで、iPhoneケースにショルダーフォン風のものが出てくるぐらいです。

自動車電話は車に固定して使うものであり、車外に持ち出して使うことはできませんでした。しかし、外で使いたいという需要もあったようで、1985年に登場しました。

端末機は自動車電話をベースとしており、馬鹿でかい通信モジュールを押し込んでいたのと、これまた電池が馬鹿でかかったため、持ち運びできるとはいえ初期型で3kg(スマホ20個分)もありました。持ち運び専用にすることで2.5kgまで軽量化を果たしましたが、これでもスマホ17個分、500mlのペットボトル5本分です。

当時は電子機器の蓄電池といえばニッケルカドミウム電池しかなかったため、あれだけでかい電池を積んでいても連続通話時間は40分でした。

なんと、デジタルショルダーフォンというのもありました。こちらは少し軽量化されていますが、それでもまだ1.5kg(スマホ10個分)あります。

ポケットベル

ポケベルの歴史は携帯電話より古く、1968年に東京23区内でサービスを開始しました。初期のポケベルは音が鳴るだけのもので、外回りの営業マンに持たせて、電話をかけて鳴らして呼び、最寄の公衆電話から電話をかけてもらって連絡を取るという使い方でした。自動車電話より料金がはるかに安かったため、個人向けの移動通信といえば長らくポケベルが主流でした。

1987年には、数字を表示できるものが登場しました。これは本来、表示された番号にかけてほしいという意思表示をするためのものですが、このころポケベルの主たる客層になった女子高生の間でごろ合わせが大流行しだし、女子高生のコミュニケーションツールとして欠かせないものになりました。

末期にはカタカナで文章を送ることができるものも登場し、その際にプッシュホンで文字を入力するためのコード表が出てきました。いわゆる「ポケベル打ち」というもので、現在でもスマホでポケベル打ちができます。

その後、SMS・Eメール対応の携帯電話に顧客が流出し始め、現在個人レベルで持っている人はいないといっていいでしょう。

初期の携帯電話

1987年に登場しました。ようやく、持ち運びができるサイズにまでなりましたが、それでも900gあり、ショルダーフォンと比べて小さくなったことからその分使用時間も短くなっています。また、背中に手を通して使うベルトがついています。

型番は「TZ-802」で、自動車電話「TZ-801」の次世代モデルということになっているようです。さらに小型化した「TZ-803」ものちに登場しました。

超小型携帯電話「mova(ムーバ)」

1989年に登場した、モトローラ「マイクロタック」。これは、当時世界最小の携帯電話でした。日本ではDDIセルラー「HP-501」として発売されました。関西地区で発売したところ、かなり売れたため、一時はNTTよりDDIセルラーのほうが客が多い(関西や沖縄では今でも?)ということもありました。

NTTとしてもこれを黙って見ているわけにもいかず、端末メーカー4社(NECPanasonic富士通三菱電機)とともにマイクロタックより小さい携帯電話を開発し、1991年に「超小型携帯電話・ムーバ」として登場しました。ムーバとは「movable」の最初の4文字です。広告などでは、メーカーを表すアルファベットをつけて「ムーバD(三菱)」「ムーバF(富士通)」「ムーバN(NEC)」「ムーバP(Panasonic)」とし、モデルチェンジするたびに末尾の数字が増やされました。デジタルムーバも当初はアナログムーバと同じ型番でしたが、9600bpsデータ通信に対応した機種には「HYPER」がつき、1996年モデル以降は「メーカーの略号+3ケタの数字+端末のタイプを示すアルファベット」で、2004年以降のFOMA*3にも踏襲され2008年までこのルールで型番が振られていました。

初代モデルの正式な型番はすべて「TZ-804」で、中身もほとんど同じようなものでしたが、形はさまざまで、特に「ムーバN」は現在に至るまでNECの携帯電話ではおなじみの2つ折りタイプでした。

のちに登場したデジタル機は「デジタルムーバ」と言われていましたが、アナログ携帯電話サービスが廃止されると単に「ムーバ」というようになりました。さらに、第3世代携帯電話「FOMA」サービスが始まると、本来は超小型携帯電話の商標名だった「ムーバ」が、第2世代携帯電話サービスの名称として転用され、2012年3月まで使われていました。

なお、「ムーバ」を名乗ることができたのはNTTと共同開発した4社のほかに、内部のソフトウェアにNTT標準のものを使っていた日本無線モトローラ製の機種だけで、他社(ソニー*4・シャープ・東芝など)の機種は2001年までは「ムーバ」ではなく「DoCoMo by ○○」でした。また、メーカーの略号も、「ムーバ」を名乗ることができるメーカーは1文字で、「DoCoMo by ○○」のメーカーは2文字でした。

iモードが始まるまでは、小型化競争が非常に激しく、60g台まで軽量化したものもありました。小さすぎるとかえって使いにくいため、適度なサイズに大型化するということは時折見られます。

また、初期のデジタルムーバまでは、発信・終了ボタンが数字キーの下にありました。

mova」メーカー(いわゆる“電電ファミリー”)

DoCoMo by」の機種を出していたメーカー

PHS

PHSとは、外に持ち出して携帯電話として使えるコードレス電話というべきものです。出力が小さく、大掛かりな設備を必要としないため基地局のコストが小さくすみ、地下の限られたスペースでも基地局を設置しやすいため、地下街や地下鉄では早くから使えるというメリットがあった反面、広いエリアをカバーするには基地局を多数設置する必要があるほか、移動しながら通話が正常に行えないなどというデメリットも抱えていました。なお、現在でも工場などの構内専用のものは広く使われています。

料金が安かったことから、ポケベル同様学生の必須アイテムとみなされていた時期もありましたが、やはり携帯電話に流れたため消滅寸前です。また、かつては携帯電話より速い、最大64kbpsのデータ通信ができることも売りとしていましたが、こちらも携帯電話の通信速度が上がったためアドバンテージを失いました。その当時は、パソコンやPDAに入れて通信することに特化した、電話機型ではないPCカードコンパクトフラッシュ型の端末もありました。

一時期には、デジタルムーバとPHSを掛け合わせてお互いを補完する「ドッチーモ」という電話機も売り出されていました。

腕時計型PHS「WRISTOMO(リストモ)」。のちのスマートウォッチとは異なり、これ1台で電話として使えます。

携帯電話のお供 -iモード普及前夜-

iモードが始まる前は、携帯電話をパソコンやPDA携帯情報端末)につないでインターネットにつないだりメールを送受信することがありました。中にはメール機能に特化したものもありました。

これらを使うことを前提としたサービスとして、1通10円で送れることを売りにした「10円メール」というサービスもやっていました。さらには、「mopera」というプロバイダも運営されています。

iモード全盛期

1999年、携帯電話の歴史が変わりました。話すだけだった携帯電話が、インターネットにつながる。いろいろな使い方ができる。メールも自由にやり取りできる。今までの携帯電話にない使い勝手と目新しさが受けて、他社も追随するほどの大ヒット作となりました。固定電話バージョンとして「Lモード」というのも出てきましたが、こちらはあまりヒットしませんでした。
ただし、人気が出すぎて回線がパンクするということも初期には見られました。

初期の機種は画面が白黒で、ブラウザとメールだけだったのが、カラー画面とカメラ、さらには非接触ICカードを取り入れ、多機能化へまい進していきました。ちなみに、iモードとは関係ありませんが、映っているのは「SO502iWM*6という、今ではすっかり当たり前になった音楽プレーヤー内蔵モデルです。

これは、「iモードFeliCa」を搭載した初期のモデルです。初期には楽天Edyか、ビックカメラのポイントカードぐらいしか対応していなかったのですが、のちにQUICPaySuicananacoWAONなど対応サービスが次々と増えていきました。

これまでの携帯電話は小型化が非常に進んでいましたが、iモードの開始と前後して大型の画面を搭載するようになり、再び大きくなりました。

以前は、iモード対応機はmovaの中でも上位モデルという位置づけがなされており、型番の末尾にiが付いただけではなく、数字は主流だった200番台の上ということで500番台がつけられていました。のちに、200番台の機種もiモードに対応するようになっています。のちにカメラ付きの普及モデルとして250番台が登場しました。
普及しだした時代のFOMAも、movaの500番台と比較してさらに上位という位置づけから900番台がつけられ、普及機として700番台が追加されています。FOMAの900番台と700番台、movaの500番台と200・250番台は同じようなランク付けとなっています。

FOMA

Freedom of Mobile Multimedia Access -マルチメディアへ自由にアクセスできるケータイ-

携帯電話でも、高速大容量で快適なデータ通信を実現させた、それがFOMAです。高速大容量通信を生かして、テレビ電話・動画配信などのサービスが提供されていましたが、movaとは全く互換性がないうえにエリアが狭くてつながりにくく、さらには初期モデルでは電池がすぐ切れるという欠点を抱えていました。これらは、のちのモデルで少しずつ改善されていきました。
初期モデルは型番が数字4ケタ(2000番台)で、movaとは全然違うものというイメージが出来上がりました。2004年以降はmovaからの乗り換えを意識して、型番も数字が3ケタで、末尾にiモードの「i」がつくmovaと同じ方式になり、端末自体もmovaと同じ感覚で使えるようなものになりました。

FOMAカード(現在のドコモUIMカード)に電話番号の情報を書き込み、これを電話機に入れて使います*7。そのため、機種変更する際は新しいやつを買ってきてカードを差し替えれば(サイズが違うなどで交換を伴わない限り)OKです。古いやつを残して故障時などの緊急時に使うというのもあります。

FOMA初期の機種としては、このようなものもありました。

SH2101V」ですが、電話というよりは小さなノートパソコンで、今のスマホみたいなものです。どうやって会話するのかというと、細いワイヤレスの受話器が付いており、これを使います。

スマホの時代へ

以前からスマホらしきものはちょくちょく出てきていましたが、日本での普及前夜のスマホは「HT-01A」や「ビジネスFOMA M1000」などがありました。どちらかというと、ビジネスツールとして売り出されていたようで、docomoの6つのカテゴリー(PRIME・STYLE・SMART・PRO・らくらくホンキッズケータイ)では「PRO」シリーズに属していました。

docomoで初めて本格的に売り出されたスマホは、「Xperia」SO-01Bです。このモデルから、スマホはPROシリーズから独立して「ドコモ スマートフォン」というくくりで出されています。

日本でスマホが本格普及するにあたって、これまでの携帯電話の機能(ワンセグおサイフケータイ・赤外線通信・防水防塵etc.)を盛り込んだものも登場しました。「Xperia acro」SO-02C

*1:後の携帯電話もレンタル品だった。買取制が導入されるのは1994年から

*2:日本移動通信IDO):トヨタ ツーカー:日産 そのため、現在でもトヨタの販売会社でauの携帯電話を取り扱っており、以前はトヨタ限定の携帯電話もあった

*3:初期のFOMAは数字が4ケタだった

*4:もともと、ソニーはDDIセルラーグループ(正確にはその親会社のDDI)の設立母体であり、以前はあまりNTTドコモ向けの機種を出していなかった。同じ理由で京セラもNTTドコモ向けの機種はほとんどなく、DDIセルラーau向けが多い

*5:三菱のMではない。三菱系の企業の商品名によくある「ダイヤモンド」のD

*6:ソニー製のため、型番末尾の「WM」はウォークマンのことかと思われがちだがそうではなく、With Musicの略らしい。その後、「Music Porter」という三菱製の音楽ケータイが出たが、これも末尾に「WM」が付いている

*7:movaまでの携帯電話は、販売店にある専用の装置で電話機に電話番号の情報を書き込んでいた

いよいよリーチだ

奈々さんのツアーの日程と会場が発表されました。以前は、先にタイトルを発表してから会場と日程を発表していましたが、ここ最近は先に会場と日程を発表し、後からタイトルを発表することが多くなっています。

日時 会場
6/23 セキスイハイムスーパーアリーナ宮城県
7/7・8 大阪城ホール
7/15 長良川国際会議場
7/21 広島サンプラザ
7/28 高知県立県民体育館
8/4 熊本県野外劇場 アスペクタ
8/11・12 日本ガイシホール(名古屋)
8/18 和歌山県民文化会館
8/19 なな100年会館 なら100年会館
9/1 メットライフドーム

大阪と名古屋ではいつもの会場なので、特に書くことはない…と思っていたら、7月7日に大阪でやります。おととしは甲子園ライブ、昨年は大阪でバースデーライブと、関西圏でメモリアルライブをやるのが増えたような気がします。
なお、初めて大阪城ホールでライブをやった2010年以降、2014年と2016年を除いて毎年やっています。2014年はほかのアーティストに先に押さえられ(代わりに大阪市中央体育館で開催)、2016年は甲子園ライブに全力を注ぐということでツアー自体をしなかったため、大阪城ホールではやりませんでした。

そして、今年は岐阜県奈良県和歌山県高知県熊本県で初開催です。以前は、西日本がスカスカだったのですが、このツアーで関西・四国・九州地方を制覇し、西日本完全制覇を達成します。当初、高知県熊本県のみ先に出されていたのですが、ふたを開けてみると奈良県和歌山県岐阜県でもやることになり、全国制覇まで、残るは茨城県のみというところまできました。
また、広島ではLIVE FORMULA以来11年ぶりです。

関西圏では、大阪府京都府では比較的早い時期に開催されましたが、それ以降は2015年に滋賀県でやるまでずっと大阪のみ、ということが続いていました。2015年に滋賀県でやって以降、2016年には兵庫県(甲子園)でやり、今年はついに奈良県和歌山県でも開催されます。大阪でもいつも通りやるため、今年はやけに関西圏での公演が充実しています。

熊本ではどこでやるのかというと、熊本市内のホールかと思っていたら、実際は南阿蘇村にある「熊本県野外劇場」でした。文字通り野外の広い会場で、収容力は最大5万人と、首都圏のドーム・スタジアム並みです。おそらく、奈々さんのライブが「市」でも「町」*1でもなく「村」で開催されるのはこれが初めてではないかと思います。
交通の便に不安があり、最寄駅が日本一長い駅名で知られる「南阿蘇水の生まれる里白水高原」で、しかも南阿蘇鉄道熊本地震で一部区間が長期運休中という状態です。よって、熊本駅まで新幹線で行くか、熊本空港まで飛び、そこからレンタカーで行く以外に交通手段がありません。

和歌山では、1万人入る「和歌山ビッグホエール」という会場があるのですが、そこではなく県庁の向かいの「和歌山県民文化会館」です。2000人入るか入らないかというところで、チケット争奪戦は必至です。
奈良県では「なら100年会館」も同じぐらいですが、奈良県内でこれ以上の収容力がある会場がありません。

千秋楽は、実に7回目となる西武ドームです。「西武ドーム」時代に5回、「西武プリンスドーム」と「メットライフドーム」でそれぞれ1回ずつです。西武ドームでは3年ぶり、球場ライブ自体も甲子園以来2年ぶりです。

全国制覇に向けて

初開催日 会場 公演名
1 東京都 2000/1/23 銀座ヤマハホール 20th Birthday
2 大阪府 2002/11/23 ON AIR OSAKA ATTRACTION
3 愛知県 2002/11/28 CLUB DIAMOND HALL ATTRACTION
4 宮城県 2003/7/19 Zepp Sendai SENSATION
5 北海道 2003/7/21 Zepp Sapporo SENSATION
6 福岡県 2003/7/27 Zepp Fukuoka SENSATION
7 埼玉県 2003/8/22 川口総合文化センター SENSATION
8 京都府 2003/8/25 京都会館ロームシアター京都) SENSATION
9 愛媛県 2003/8/27 松山市民会館 SENSATION
10 千葉県 2003/12/31 幕張メッセ SKIPPER
11 神奈川県 2005/8/28 パシフィコ横浜 ROCKET
12 広島県 2007/12/15 アステールプラザ FORMULA
13 岡山県 2011/5/14 倉敷市民会館 JOURNEY
14 栃木県 2011/5/21 宇都宮市文化会館 JOURNEY
15 石川県 2011/6/4 本多の森ホール JOURNEY
16 新潟県 2011/6/5 新潟県民会館 JOURNEY
17 静岡県 2011/6/12 アクトシティ浜松 JOURNEY
18 島根県 2012/6/24 島根県民会館 UNION
19 群馬県 2012/7/7 グリーンドーム前橋前橋競輪場 UNION
20 福井県 2012/7/21 フェニックス・プラザ UNION
21 富山県 2012/7/22 高岡市民会館 UNION
22 長崎県 2012/8/11 長崎ブリックホール UNION
23 佐賀県 2012/8/12 佐賀市文化会館 UNION
24 秋田県 2012/8/18 秋田県民会館 UNION
25 青森県 2012/8/19 青森市文化会館
(リンクステーションホール青森)
UNION
26 岩手県 2013/7/20 北上市文化交流センター CIRCUS
27 福島県 2013/7/21 須賀川市文化センター CIRCUS
28 宮崎県 2013/8/10 宮崎市民文化ホール CIRCUS
29 鹿児島県 2013/8/11 鹿児島市民文化ホール CIRCUS
30 山梨県 2014/6/1 コニファーフォレスト FLIGHT
31 長野県 2014/6/8 長野市若里多目的スポーツアリーナ
ビッグハット
FLIGHT
32 三重県 2014/6/14 三重県営サンアリーナ FLIGHT
33 山形県 2014/7/1 山形県県民会館(やまぎんホール) FLIGHT
34 香川県 2014/7/20 さぬき市野外音楽広場 テアトロン FLIGHT
35 山口県 2015/8/22 周南市文化会館 ADVENTURE
36 滋賀県 2015/8/23 滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール ADVENTURE
37 鳥取県 2015/9/5 鳥取県立県民文化会館
とりぎん文化会館
ADVENTURE
38 徳島県 2015/9/12 徳島県立産業観光交流センター
(アスティとくしま)
ADVENTURE
39 兵庫県 2016/9/22 阪神甲子園球場 PARK
40 大分県 2017/1/14 大分県立別府コンベンションセンター
(ビーコンプラザ)
ZIPANGU
41 沖縄県 2017/3/4 宜野湾海浜公園 ZIPANGU
42 岐阜県 2018/7/15 長良川国際会議場 (名称未定)
43 高知県 2018/7/28 高知県立県民体育館 (名称未定)
44 熊本県 2018/8/4 熊本県野外劇場 アスペクタ (名称未定)
45 和歌山県 2018/8/18 和歌山県民文化会館 (名称未定)
46 奈良県 2018/8/19 なら100年会館 (名称未定)
47 茨城県

足かけ18年で、46都道府県を制覇しました。あとは茨城県だけで、いつ、どこでやるか気になるところです。歌手デビュー20周年に全国制覇を達成するのでは?という見方もできます。

その昔、全国制覇は兵庫県(甲子園)で達成すると考えていたこともありましたが、甲子園ライブが思ったより早く実現したため、予想を外してしまいました。

球場ライブ

(球場名は開催当時のもの)

日にち 球場 ライブ
2009/7/5 西武ドーム DIAMOND
2010/7/24・25 西武ドーム GAMES
2011/12/3・4 東京ドーム CASTLE
2012/9/8 QVCマリンフィールド UNION
2013/8/3・4 西武ドーム CIRCUS
2014/8/3 横浜スタジアム FLIGHT
2015/9/19 西武プリンスドーム ADVENTURE
2016/4/9・10 東京ドーム GALAXY
2016/9/22 阪神甲子園球場 PARK
2018/9/1 メットライフドーム (名称未定)

2016年まで、球場ライブが毎年恒例となっていましたが、甲子園ライブという目標を達成したため、もう球場ではやらないと思っていました。

*1:奈々さんの歴代のライブ会場では、「セキスイハイムスーパーアリーナ」が宮城県利府に所在する。「町」でやったのはこの時だけ。なお、近所には楽天の2軍の球場と、新幹線総合車両センターぐらいしかない

電気の力を見直そう

日産「ノート」e-POWERが人気です。どんな車かというと、ガソリンエンジンで発電し、その電気でモーターを回して走るというもので、この方式を「シリーズハイブリッド」といいます。電気自動車の一種としてPRされていますが、実際はハイブリッドカーであり、排ガス規制の記号も「DAA(平成17年度排出ガス規制の基準値より、有害物質を75%減らしたハイブリッドカー)」となっています。

現在市販されている自動車でシリーズハイブリッド式のものは日産ノートe-POWERだけですが、鉄道では10年以上前からあります。売り出された当初、やたらと新規性をアピールしていましたが、一目見て「JR東日本に同じようなやつがあるで」と突っ込みました。それ以前に、運動エネルギーを回生ブレーキで回収してため込むバッテリーがない「電気式気動車」というのもありました。

しかし、これ以降鉄道でも「e-POWER」方式の気動車が相次いで投入されています。

気動車の種類

気動車ディーゼル機関車には大きく分けて、電気式・機械式・液体式があります。燃料の違いで区分すると、自動車と同じくガソリン車とディーゼル車に分けられ、ガソリン機関車もあったのですが、その昔安治川口駅構内でガソリン車がポイントの途中転換により脱線転覆し、ガソリンが漏れて火災を起こしたため(ガソリンは非常に引火しやすい)、ガソリン車は禁止され、すべてディーゼル車に置き換えられています。桜島線も事故の後すぐ電化されています。

  • 電気式:ディーゼルエンジンで発電し、その電気でモーターを回して走る
    • ハイブリッド:バッテリーも組み合わせている
  • 機械式:MTの自動車と同じく、クラッチで動力を断続させて変速する
  • 液体式:ATの自動車と同じく、トルクコンバータと変速機を組み合わせている

初期の気動車は「機械式」が主流でした。構造がシンプルであり、燃費が良いという利点がありましたが、運転が難しいことや、2両以上での総括制御がしにくいということもあり、1950年代には日本の鉄道から姿を消しました。

「電気式」は、先に発展した電気鉄道の技術を流用できる、発進時から最大トルクを出せるという特性が乗り物に向いている、制御がしやすいというメリットがあり、欧米では早くから実用化が進んでいました。日本でも戦前に試作していましたが、当時の技術ではエンジンの出力が低いうえに発電効率も悪く、電車と気動車のシステムを両方積むことから重くなりすぎてしまい実用化には至りませんでした。当時は、かなり早い段階で液体式を本命としており、電気式は大容量のトルコンが完成するまでのつなぎとしか考えていなかったようでした。
海外では、強力なエンジンに合うトルコンが少ないため、ディーゼル機関車はすべて電気式です。

結局、日本の鉄道で主流になったのは「液体式」で、機械式より構造が複雑で、トルコンが滑るため効率があまり良くないというデメリットはありますが、かつての電気式気動車より効率は良く、また総括制御がしやすいというメリットもあり、一気に普及しました。一般には、気動車には一般的な自動車のATと同じ「リスホルム・スミス式」、機関車には変速比が異なる複数のトルコンを積み、速度に応じてオイルを入れ替えて走る「ホイト式」が採用されています。DD54のみ、ホンダ車のATのような「メキドロ式」を採用していました。

電気式が見直される

長らく、日本の気動車ディーゼル機関車は液体式が主流でしたが、電気式気動車ディーゼル機関車の開発をあきらめてから50年近く経過し、その間に技術革新は進みました。
ディーゼルエンジン・発電機の軽量・高効率化が進み、また電車でもVVVF制御が実用化され軽量・高出力のモーターが登場しました。さらに、鉄道業界全体の流れとして、車体にステンレス鋼やアルミ合金を用いて軽量化することが広く行われるようになりました。これにより、電気式でも液体式とさほど変わらないか、上回る性能を得られるようになりました。
また、DE50で大容量のトルコンを開発しようとしたものの、DE50自体が1両試作しただけで計画がとん挫したため、トルコンの性能は全く向上しませんでした。

さらに、電気式ゆえのメリットとして、日本の鉄道では圧倒的に多数派となった電車のシステムを流用することができるということがあります。
たとえば、JR東日本では車両は約13000両在籍していますが、気動車が占める割合は約1000両と、1割にも達していません。その少数派のためだけに、トルコンやプロペラシャフトなどを用意するとなると、新規導入時やメンテナンスのコストが余計にかかってしまいます。
また、気動車では必要不可欠なプロペラシャフトも泣き所で、JR四国で走行中にシャフトが折れるという事故が発生したこともありました。

これらのメリットにより電気式が見直されるようになり、まずはJR貨物が北海道のDD51を置き換えるためにDF200という電気式ディーゼル機関車を登場させました。かつてのDF50より、出力は3倍以上あります。北海道の貨物列車は、DD51では重連としなければならなかったところ、DF200は1両だけで牽けるようになっています(実際は、DF200の重連も冬場によく見られる)。

そして、気動車では2003年にJR東日本が「NE@train」キヤE991を登場させました。これは、電気式気動車を基本にして、減速時に回生ブレーキで回収する運動エネルギーを電気としてため込むためのバッテリーを積んだ「シリーズハイブリッド」式の気動車です。電気式気動車のメリットを生かし、電車としてのシステムは当時の首都圏での最新型だったE231系をベースとし、ディーゼル発電機で供給される電気で動かすために最適化されています。

その試験結果をもとに、2007年には世界初の営業用ハイブリッド気動車キハE200」が小海線に投入されました。その後も、リゾート列車として「HB-E300系」、仙石東北ラインに「HB-E210系」が投入されています。

ただし、ハイブリッド気動車はバッテリーを積む分コストがかかり、ローカル線で使うとなると燃費がよくなる分以上に製造コストがかかってしまうため、バッテリーを切り捨てて従来の電気式気動車と同じようなシステムにした「GV-E400系」が2019年に登場予定です。JR北海道でも、寒冷地対策を強化したH100形「DECMO(Diesel Electric Car with Motor)」をキハ40の置換え用に投入する予定です。

また、JR西日本でもひそかに開発していたようで、「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」用の87系気動車ハイブリッド車として登場しました。これとはまた別に、日産セレナの「スマートシンプルハイブリッド」のようなシステム(マイルドハイブリッド)を開発してキハ122でテストをしていました。

JR四国以外は何らかの形で電気式気動車・ハイブリッド気動車を出そうとしているようです。

あちこちで導入計画があるようですが、最大のデメリットとしては「電車と気動車のシステムを積む分重くなる」ということです。GV-E400系でも、ステンレス鋼を採用し車体の各部構造を最適化して軽量化したとはいえ、キハ40と比較して4トン程度重くなっています。車体は軽量化されているため、電車のシステムを追加した分の重量増はそれ以上になっています。

2017年のライブ・イベント総まとめ

2017年も、あと残すところ6時間弱となりました。

今年も、この1年間に足を運んだライブ・イベントの総括です。

日時 イベント 会場
1/14 ANIMAX MUSIX 2017 OSAKA 大阪城ホール
1/21・22 NANA MIZUKI LIVE ZIPANGU 2017 大阪城ホール
2/5 M-Smile Member Event Vol.4 -Minorin Station- Zepp Namba
2/18 M-Smile Member Event Vol.4 -Minorin Station- 品川ステラボール
4/2 水樹奈々 出雲大社御奉納公演〜月花之宴〜 出雲大社
4/29・30 Minori Chihara Live Tour 2017 -Take the Offensive- Zepp Osaka Bayside
5/27 Minori Chihara Live Tour 2017 -Take the Offensive- Zepp Nagoya
8/4~6 Minori Chihara Live 2017 -SUMMER DREAM 5- 河口湖ステラシアター
11/19 S.C.NANA NET ファンクラブイベント 7 さいたまスーパーアリーナ
11/23 ANIMAX MUSIX 2017 YOKOHAMA 横浜アリーナ

ANIMAX MUSIX

今年は、新たな試みとしてアニソンのフェスに足を運ぶということをしてみました。みのりんと奈々さんばかりだと頭が固くなってしまうので、他の歌手にも目を向けてみよう…というと聞こえはいいのですが、実際のところは「みのりん大阪城ホールで歌うから」というのが最大の理由で、これ以上の理由はありません。

大阪での開催直前まで、みのりん以外の歌手はほとんど知らず、KOTOKOfripSide・Minami(旧・栗林みな実)はちょっと知っているという程度でした。しかし、始まってしまえばそんなことはもう関係ありません。

そしてANIMAX MUSIXならではのお楽しみとして、リクエスト企画やコラボも盛りだくさんでした。毎回、みのりんが出るときは「みのりんに奈々さんの曲を歌ってほしい」と入れていますが、なかなか実現しません。

大阪

みのりん大阪城ホールで歌う」というだけで初参加を決定したANIMAX MUSIX大阪でしたが、実際にみのりんの出番がやって来ると、いつものみのりんのワンマンライブと言った感じでした。たとえ、大阪城ホールという奈々さんクラスの大物でないとやりづらい会場であっても、いつものみのりんライブといった感じで安心しました。大阪城ホールで、「Freedom Dreamer」で跳ぶ日がやってくるとは思っていませんでした。

もうひとつの見どころは、KOTOKOみのりんの「DREAM SOLISTER」でした。これは、「聖地巡礼アニメセレクション」の一環で、宇治を舞台とした『響け!ユーフォニアム』(みのりん出演作)の曲です。大阪城ホールからだと、京橋駅まで歩いて向かい、京阪特急で中書島まで行き、中書島で宇治行の電車に乗り換えると聖地はすぐそこです。ついつい緑(京阪電車カラー)のサイリュームを出してしまう曲です。

みのりん以外では、GARNiDELiA水瀬いのりfripSideが注目株だったでしょうか。特に、いのりんの「Starry Wish」で、一面がファウンテンブルーに染まるのが印象的でした。ちょうど、翌週に奈々さんのライブを控えていた上に、いのりん自身も奈々さんにあこがれてこの業界に入ってきたこともあり、1週間早く奈々さんのライブの雰囲気を味わうことができました。

ついでに、323系にも初乗車を果たしました。

横浜

11月。前回の大阪でのメンツが一部スライドして、横浜アリーナでも例年通りやるとのことでした。みのりんは横浜にやってくるということでしたが、やはり参加しました。さらに、今回はangelaも出るとのことでした。

まさか、angelaみのりんのコラボを生で見られるとは思っていませんでした。横浜なので、日産車に例えてみるとX-TRAILハイブリッドです。

贅沢なファンクラブイベント

毎年2月ごろになると、みのりんのファンクラブイベントが開催されますが、今回は「Minorin Station」という、金曜日の夜の風物詩のパロディ企画でした。中身は、会員からリクエストを募り、抽選で選ばれた4人がみのりんと一緒に歌うというものです。

みのりんと一緒に歌えるなんてまたとないチャンスです。なので、何に入れるか迷いましたが、参戦スケジュールなどを考慮して「蒼い孤島」に入れました。今回は東京の夜公演以外全部参加しました。

そして、大阪公演当日。大阪では8~10位と、ベスト10圏外の1曲を歌うことになっていました。10位「Lush march!!」と9位「境界の彼方」には入れておらず、当然呼ばれませんでした。あと2曲、ここで呼ばれなければ東京の昼公演まで持ち越しか、外れです。8位ですでに3人呼ばれ、あと1人というところで欠席者が出て、なかなか枠が埋まりませんでした。
そして奇跡は起きました。3回目の抽選で自分の番号を呼ばれ、思わず「よっしゃー!」*1と叫んでしまいました。

まさか、みのりんと一緒に歌えるなんて、こんなことがあっていいのだろうかと思いましたが、みのりんのファンを10年続けてきて、このときが一番幸せでした。
そのあと、難波の地下街でみのりん仲間を引き連れて祝賀会をやりました。

贅沢なファンクラブイベントときたら、11月に奈々さんのファンクラブイベントにも行ってきました。みのりんは毎年やっていますが、奈々さんは不定期です。
こっちはこっちで、アニソン界の「ダブルみずき」(水木一郎水樹奈々)がそろい踏みし、トップ対談をやった上に、マジンガーZを2人で歌うという贅沢さ加減でした。

バースデーライブ

昨年は甲子園ライブが実現し、目標を達成したということで、奈々さんとこからは身を引こうかと考えていましたが、1月21日に大阪城ホールでライブということもあり、急きょ会員期限を1年延長したうえで参加を決定しました。

奈々さんのバースデーライブは実に11年ぶりで、あのときは矢野さん(2018年より阪神の2軍監督)がビデオメッセージとサインボールを贈っていました。なので、今回は大阪ということもあってもっと派手な演出(阪神ネタ)を期待していましたが、特にありませんでした。

また、関西圏では奈々さん・みのりんの両方ともあまり座席に恵まれなかったのですが、ついに大阪でアリーナが当たり、「関西では席がよくない」というジンクスは崩れました。そして、バースデーライブではアリーナが当たるというジンクスも生まれました。というのも、2014年のみのりんのバースデーライブでもアリーナだったためです。

*1:95年のドラフト会議で福留を当てたときの佐々木恭介(当時近鉄の監督だった)ばりに叫んだ

JRの駅番号~四国編~

JR東海駅ナンバリング導入記念4部作の最後は、JRグループで初めて駅ナンバリングを導入したJR四国です。

JR四国駅ナンバリングの付け方の特徴として、番号は0から始めるのと(JR東海も同じ)、県庁所在地の駅(高松・松山・高知・徳島)で番号を0にリセットするということがあげられます。

なお、JR四国と関係の深い阿佐海岸鉄道土佐くろしお鉄道でも同じような感じで番号を振っています。

アルファベット

これまではアルファベット順に並べていましたが、JR西日本JR東海と違ってアルファベットに規則性がなく、頭文字を振っているところだとばらけてしまい、一つの線区をブロック分けしているところでは飛び飛びになってしまうので、線区ごとに分けます。

また、番号は高徳線を除き、起点から終点に向かって大きくなるように振られます。高徳線のみ、徳島から高松へ向かって番号が大きくなっていきます。

県庁所在地の駅で番号がリセットされますが、リセットする前の番号も重複して振られています。また、複数路線が乗り入れる場合は乗り入れる路線の数だけ番号が振られます。
分岐駅であっても、県庁所在地の駅ではない場合は番号をリセットしません。

本四備讃線は、途中にJR四国の管轄する駅がない(児島駅JR西日本の管轄)ため駅ナンバリングの対象外です。

予讃線

予讃線は、松山までは単純な連番です。松山以西は、向井原までは連番で、向井原から伊予大洲までは下灘経由と内子経由でそれぞれ番号を振り、伊予大洲から宇和島までは内子経由での番号を振ります。

なお、新居浜駅の番号に「7」は入っていません。

高松~松山
松山~宇和島(内子経由)
向井原伊予大洲(下灘経由)

土讃線土佐くろしお鉄道中村線宿毛線

土讃線は、高知までは高松からの連番、高知からは窪川方面へ連番で、最終的には宿毛予土線経由宇和島まで連番です。

多度津~高知
高知~窪川
  • 高知:K00
  • 高知商業前:K04
  • 波川:K08
  • 小村神社前:K08-1
  • 日下:K09
  • 佐川:K13
  • 須崎:K19
  • 窪川:K26
土佐くろしお鉄道
  • 窪川:TK26
  • 若井:TK27
  • 土佐白浜:TK32
  • 土佐入野:TK37
  • 中村:TK40
  • 工業団地:TK44
  • 宿毛:TK47

番号を振った後に駅ができた場合、JR四国では起点に近い方の番号に枝番を付けているようです。

予土線

予土線高知駅から土讃線中村線経由の連番となっています。なお、予土線の「土」の方は窪川まで乗り入れていますが、窪川駅には予土線での番号は振られていません。

  • 若井:G27
  • 土佐大正:G30
  • 土佐昭和:G31
  • 半家:G33
  • 江川崎:G34
  • 吉野生:G37
  • 大内:G42
  • 宇和島:G47

高徳線

高徳線は、両端の駅が県庁所在地駅で、通常であれば高松から徳島に向かって振るのですが、実際は徳島から高松に向かって振られています。

  • 徳島:T00
  • 佐古:T01
  • 池谷:T04
  • 板東:T05
  • 板野:T07
  • 引田:T10
  • オレンジタウン:T18
  • 屋島:T23
  • 栗林:T25
  • 高松:T28

鳴門線

鳴門線は、徳島駅からの連番で、池谷~鳴門のみ振られています。

  • 池谷:N04
  • 教会前:N07
  • 撫養:N09
  • 鳴門:N10

徳島線

徳島線も、徳島駅からの連番で、佐古~佃の全駅と、阿波池田に振られています。

牟岐線阿佐海岸鉄道

徳島駅から甲浦までの連番です。

  • 徳島:M00
  • 二軒屋:M02
  • 文化の森:M03
  • 南小松島:M06
  • 阿波赤石:M07
  • 阿波中島:M11
  • 阿南:M12
  • 阿波橘:M14
  • 由岐:M18
  • 日和佐:M21
  • 牟岐:M24
  • 阿波海南:M27
  • 海部:M28・AK28
  • 宍喰:AK29
  • 甲浦:AK30

ごめん・なはり線

後免駅から北へ延びていることや、高知駅まで直通する列車があるため、後免駅から離れるにつれて番号が減っていくようになっています。

  • 奈半利:GN21
  • 下山:GN25
  • 安芸:GN27
  • 球場前:GN28
  • 和食:GN31
  • 香我美:GN34
  • あかおか:GN35
  • よしかわ:GN36
  • のいち:GN37
  • 後免町:GN39
  • 後免:GN40