茶色いE231系

http://railf.jp/news/2009/09/08/132100.html

山手線という路線名称が定められてから今年で100年。E231系1編成を旧型国電の色にして12月初頭まで運行することになりました。

かつて、東京メトロでは銀座線開通70周年・80周年記念として01系をオレンジに、丸ノ内線開通50周年記念として02系を真っ赤に塗ったことがあり、JR東日本でも同じことをやることになりました。「電車にコスプレをさせる」ということです。

しかし、明治チョコレート*1の広告までつけるとは…。

山手線という路線

「山手線」という路線は、一般には東京23区内の主要なエリアを結んで環状運転する路線のことを指しますが、届け出上はその西半分、品川〜新宿〜田端間を指し、東半分は東海道本線東北本線に乗り入れている*2形が取られています。

もともとは東海道本線東北本線をつなぐ支線として建設されました。上野と新橋をつなげば距離が短くて済むのですが、すでに住宅が密集しており建設が困難な状態で、当時何もなかった山の手側に路線を敷設することになりました。当時建設された区間は品川〜新宿〜赤羽(品川線)で、現在の赤羽線も含んでいました。のちに常磐線とも連絡するため池袋〜田端*3も建設され、これは「豊島線」と呼ばれました。

この区間が国家買収され、品川〜新宿〜赤羽を単純往復する列車が設定され、品川線と豊島線を合わせて「山手線」という名称が付けられました。

その後新橋〜品川〜新宿〜池袋〜田端〜上野が電化され電車運転を開始し、現在の環状運転する電車の原型となりました。東海道本線中央本線が東京駅まで伸びてくると、中央本線の中野〜東京と一体化し「の」の字運転(中野〜新宿〜東京〜品川〜新宿〜田端〜上野)を開始(この時点で池袋〜赤羽は運転系統上分離されていた)、さらに1925年には東北本線も東京まで伸びてくると東京〜中野を分離し現在の環状運転をするようになりました。

長らく山手線の一部となっていた池袋〜赤羽ですが、1972年に赤羽線として分離されましたが、埼京線の一部として埋もれてしまっています。

電車の色

旧型国電の時代は路線に関係なく茶色(ぶどう色2号)でした。今回E231系に塗られたのはこの色であります。

その後、初の新性能電車として投入された101系ですが、意外なことに現在の中央・総武緩行線のラインカラーである黄色(黄5号)でした。103系を投入して101系を中央・総武緩行線に転出させた際、色を塗りなおさずそのまま走らせたために中央・総武緩行線のラインカラーとして定着したのです。

続いての103系で、現在の山手線のイメージ、「山手線=黄緑」が出来上がりました。色は黄緑6号で、205系E231系にもそのまま受け継がれています。

「ぶどう色2号」「黄緑6号」「黄5号」というのは、1956年に制定された「国鉄車両関係色見本帳」で定められている呼び方で、かつては塗料メーカーがいちいち国鉄に持ち込んで色を決めていたのを、この見本帳を見て色を決めることになったのでした。

「やまのてせん」か「やまてせん」か

現在では「山手線」は「やまのてせん」と読むことになっていますが、戦後長らく「やまてせん」と読む時期がありました。ちなみに、神戸市営地下鉄の「山手線」は「やまてせん」と読むのが正しいのです。

これは、国鉄内部での通称として「やまて」*4と読んでいたことから、GHQが間違って「やまてせん」と読むように定めてしまったからです。当時は国鉄の路線には振り仮名を振らないことになっていたのですが、1971年になって路線名に振り仮名を振る際、「やまのてせん」と読むのが正しい、と改められました。これは、路線の歴史上「やまのてせん」のほうが正しいのと、根岸線に「山手」(やまて)駅があるため間違えないように、ということでこうなったのでした。

ちなみに、ヨドバシカメラのCM曲に「まるい緑の山手線」という歌詞がありますが、こちらは1990年代初頭まで「やまてせん」と読ませていました。現行バージョンではちゃんと「やまのてせん」と直されています。

*1:02系は「ロッテガーナチョコレート」

*2:乗り入れとはいっても、山手線専用の複線がある

*3:当時の常磐線のルートは三河島から田端へまっすぐ抜けるルートで、現在でも貨物線として残っている。日暮里〜三河島がカーブしているのは後から上野へ乗り入れたため

*4:かつては行き先表示も「山手 YAMATE」だった