三都を駆け抜けて50年
私鉄が圧倒的に強い関西地区において、国鉄が意地を見せるために走らせた「新快速」。今年、運行開始から50周年を迎えました。
前史
京阪神地区では、大阪(梅田)を中心に神戸方面へは阪急神戸本線と阪神本線が、京都方面へは阪急京都本線と京阪本線が並行しています。戦前からこれらの私鉄とは激しい競争が繰り広げられており、国鉄は1934年に大阪近郊の東海道・山陽本線(吹田~須磨)の電化に合わせて42系*1・52系電車を投入して「急行電車」*2を運行し、私鉄の速達列車の対抗馬としました。
昭和30年代まで(概ね、電化区間が西明石~京都のみだったころ)、京阪神地区でも首都圏と同じように中距離列車(大阪駅を中心に、東は滋賀県、西は姫路まで運行する)と近距離の急行電車(後の快速電車、西明石~京都のみ運行)、各駅停車の3本立てでした。西は姫路、東は米原まで電化された際に、快速電車がそのまま姫路や米原まで走るようになり、西明石~京都では快速、それ以外の区間では普通列車として走るようになりました。
1970年代
新快速が運行を開始したのは、大阪万博が閉幕した後の1970年10月1日でした。これまでの快速を上回る速達サービスを提供するという趣旨は、50年前から変わっていません。
当初用いられた車両は、大阪万博の臨時列車向けに横須賀線などから転入して来た113系の7両編成で、中には横須賀線カラーのものもありました。大阪万博閉幕後の余剰車両の活用も兼ねていたようです。
運行区間は西明石~京都でしたが、半年ほどで草津まで延長されています。
途中の停車駅は当初、明石・三ノ宮・大阪だけで(草津まで延伸後は大津・石山にも停車)、一部の特急が停車していた神戸駅や、新幹線との接続駅である新大阪駅すら通過していました。そこまでして速達性を追い求めました。
この当時は運行本数が少なく、昼間に1時間間隔で運行されていただけでした。したがって、1日6本だけです。
1972年3月のダイヤ改正では、運行区間が西側へ伸びて姫路発着の電車も設定されました。姫路への延伸と増発に伴い、運行系統は京都~姫路と草津~西明石の2本立てになり、姫路発着系統は西明石を通過していました。また、姫路乗り入れと同時に加古川にも停車するようになっています。
車両面では、山陽新幹線が岡山まで開業したのに伴って急行列車が廃止となり、余剰車両が発生した153系*3の6両編成に置き換えられました。
急行用の車両に置き換えられたことで、最高速度が110km/h(113系は100km/h)に引き上げられ、大阪~京都の所要時間は29分と、30分を切りました。
このダイヤ改正では西明石~京都で1時間に4本に増発され、大阪駅・京都駅では1分停車していたため、大阪駅・京都駅の出発時刻が、現在に至るまでおなじみとなる0・15・30・45分に揃えられました。大阪駅と京都駅には、そのことを示す看板が出ていました。
これ以降は、1974年に湖西線が開業した際には1時間に1本が堅田まで乗り入れ、1978年には神戸駅が停車駅に追加されました。
かつては普通列車でも喫煙が可能だったのですが、1975年9月1日から関西地区でも禁煙区間が設定され、東海道・山陽本線では西明石~京都が禁煙区間に指定されました。ただし、それ以外の区間では喫煙可能だったため、灰皿は残されています。
1980年代
歴代の新快速用車両は、113系は大阪万博の臨時列車向けに首都圏などから応援に駆け付けたものが関西に残ったもので、153系は山陽新幹線岡山開業で急行が廃止となって発生した余剰車でした。113系はセミクロスシート、153系はボックスシートで、私鉄の特急車両(阪急:2800系・6300系、京阪:1900系・3000系(初代))と比べると見劣りがしました。また、153系は長距離運行をこなしていたことから著しく老朽化が進行していました。
113系・153系に限らず国鉄の車両はすべてそうなっていますが、全国で運用することを前提として開発・設計しているため、必ずしも地域の実情に合っているとは限りません*4。このため、国鉄本社もおそらく大阪鉄道管理局から突き上げを喰らったと思いますが、当時の国鉄としては異例の地域限定車両*5として117系を1980年から投入しました。当初から新快速として使用することを前提にしたのは117系が初めてです。*6
117系は、阪急2800系などに近い2ドアの車体を持つ転換クロスシートの電車で、品質はこれでようやく私鉄の特急車両に追いついたと言えます。153系と117系は2ドアでしたが、これはかつての新快速は昼間のみの運行だったためです。
1975年から、禁煙区間(京都~西明石)では6両すべてが禁煙でしたが、117系ではさらに進んで、1・6号車は区間に関係なく禁煙となりました。
この時期には、滋賀県内で増発が行われ、草津発着系統が1時間に2本になったほか、朝夕のラッシュ時に彦根駅まで乗り入れが開始しました。
なぜ彦根までかというと、当時の米原駅は名古屋鉄道管理局(→JR東海)管轄だったため、大阪局独自の電車だった新快速は名古屋局の縄張りに入れなかったためです。急行や特急など、本社でダイヤを作る列車については問題がないのですが、ローカル列車のダイヤは各鉄道管理局で作成するため、局同士の調整を忌避して局またぎの列車はほとんど設定されませんでした。*7
彦根まで乗り入れた当初の停車駅は現在とは異なり、草津~彦根は各駅停車でした。翌年に草津以北でも快速運転を行うようになっています。
また、1985年には新大阪にも停車するようになっています。これは、以前から新幹線の利用客が新大阪を通過すると知らずにうっかり乗ってしまい新幹線に乗り継げなかったという事例が多発していたため、その対策であり、大阪~高槻の最高速度が110km/hに引き上げられ、新大阪に停車しても大阪~京都を29分で運行できるようになったためです。
1986年11月、国鉄最後のダイヤ改正では、運行区間の西の端がすべて姫路に統一され、それに伴い西明石にすべて停車するようになりました。また、京都側では山科にも停車するようになりました。
従来、京阪神間の複々線はダイヤの決定権を外側線(列車線)は本社が、内側線(電車線)は大阪局が握っており、新快速は内側線(電車線)を走行し、須磨駅で各駅停車を追い越していました。このダイヤ改正では、外側線のダイヤの決定権が大阪局に委譲されたため、外側線を走ることができるようになりました。
民営化~1990年代
国鉄が分割・民営化されてJR西日本が発足すると、新快速を京阪神間のフラッグシップと位置付けてテコ入れがなされました。
まず、1988年3月のJR西日本初のダイヤ改正では、これまで運行されていなかった夕方に初めて設定され、そのうちの一部は米原まで乗り入れるようになりました。民営化の段階で、米原駅は新幹線がJR東海、在来線はJR西日本の管轄と決められており、在来線がJR西日本の管轄となったことで乗り入れが実現しました。
そして、JR西日本初の完全新規設計の新型車両*8として、221系が1989年から投入されました。
221系は、座席数こそ117系と同じですが扉が3つに増やされ、窓が大きくなったことで車内が一気に明るくなり、最高速度も120km/hに引き上げられています。
221系が投入された1989年3月のダイヤ改正では、本格的に米原までの乗り入れを開始しました。また、朝・夕方のラッシュ時にも本格的に運行を開始し、最終は神戸・京都方面のどちらも大阪駅23時ちょうど発まで繰り下げられました。
民営化以降は、車両の性能が上がり、停車駅を増やしても所要時間を維持できるようになったことから、停車駅が追加されています。1990年には日中のみ芦屋と高槻に停車するようになりました。この時期に117系・221系ともに最高速度が115km/hに上げられており、大阪~京都の所要時間は新大阪・高槻に停車しつつ29分を維持しました。
1991年には、北陸本線の米原~長浜が直流電化に転換され、米原発着だった一部の新快速が長浜まで乗り入れを開始しました。これにより、長浜市が観光地として脚光を浴びました。
滋賀県では、新快速のおかげで京都や大阪へのアクセスが大幅に改善されたことから、大学や企業が多数進出し、京都・大阪の通勤圏に入ることから住宅需要も増えています。最近でも、南草津駅の新快速停車をめぐって草津市・草津商工会議所・立命館大学・パナソニックが連名でJR西日本に請願書を出したほか、草津市長選で選挙公約に「南草津駅の新快速停車実現」を掲げた候補者がおり、当選したため、話が具体化し多数の署名が集まり、2011年3月のダイヤ改正から停車するようになりました。経緯はともかく、新快速の停車による効果は絶大で、利用客数は2011年度には石山駅を抜いて県内2位まで増加し(大津駅より多い!)、2014年度には県内トップまで上り詰めました。
そのせいかどうかはわかりませんが(南草津が成功したので他の駅でも、という思惑がある)、滋賀県内の他の駅でも新快速の停車を求める運動が起きています。
阪神・淡路大震災では、阪神間の鉄道路線が壊滅状態となり、JR西日本でも六甲道駅が崩壊するなど甚大な被害を受けました。しかし、東海道・山陽本線は貨物でも最重要路線であり、長期間止めるわけにはいきません。JR他社からの応援を仰ぎ、4月に完全復旧を果たしました。阪急神戸本線・阪神本線は復旧工事が6月までかかったため、その分の需要がJRに流れ込んで来ました。
JRとしてもその需要に応えるべく、朝夕に臨時列車を運行していましたが、これらの列車はそのまま翌年のダイヤ改正で定期便に昇格しました。
1999年には、追加料金を必要としない普通列車として初めて特急と同じ130km/hでの運行を開始しました。当時は、130km/h対応の223系に揃えられた朝ラッシュ時のみ、区間も複々線区間(西明石~草津)に限定されていましたが、翌年には全列車を223系に揃えて姫路~米原で130km/hでの運行を開始しています。
21世紀
国鉄時代から、湖北地方と大津・京阪神のアクセスは、東海道本線が直流電化なのに対して北陸本線が交流電化のため、米原で乗り換えを要して不便であるという指摘が多くありました。その問題を解消するため、滋賀県と東側の沿線自治体が「北陸本線直流化促進期成同盟会」を結成して国鉄・JR西日本に対して働きかけを行っていました。後に西側の自治体も加わって、湖西線も直流化するように要望して「琵琶湖環状線促進期成同盟会」となりました。
米原~長浜の直流化は1991年に実現しましたが、このおかげで長浜市は京阪神から近い観光地として脚光を浴び、更には京都・大阪の通勤圏としても見なされるようになりました。
長浜市の成功事例を見て、それより北の各自治体でも直流化と新快速の乗り入れが求められるようになり、さらには県境をまたいで敦賀市でも新快速を敦賀駅に乗り入れさせて京阪神から観光客を取り込もう、という目論見がなされました。
JR西日本では、基本的に地元が要望する事業は地元に費用を負担させる方針*9のため、直流化に必要な費用を沿線自治体で1995年から積み立てていました。今回は滋賀・福井の2県が絡む事業のため、事業費の負担割合など協議すべき事項が多数ありましたが、2002年に滋賀県が75億円、福井県が68億円、JR西日本が18億円の負担でまとまり、翌年に工事協定を締結して着工にこぎつけ、2006年に直流化開業しました。
直流化以降は、もともと近江今津まで乗り入れていた列車が湖西線経由敦賀行きとして、毎時2本あった長浜行きのうち1本が米原経由近江塩津行きとして運行されています。夕方には米原経由の敦賀行きも運行されています。
2010年には、さらなる安全性とサービスの向上を目指して225系が投入されたほか、2019年には他社の上位クラスの車両(京阪電車の「プレミアムカー」など)が好評を博していることから、その対抗馬として「Aシート」を導入しました。
「Aシート」は、1980年まで快速に連結されていたグリーン車の再来というべきもので、普通列車としては例を見ない無料Wi-Fiやモバイル機器の充電用100Vコンセント、さらには関西国際空港の利用客向けに大型荷物置き場を装備した上位クラスの車両で、乗車区間にかかわらず500円で利用できます。
現状、姫路~野洲の2往復のみですが、287系と同じシートを使用しているだけに乗り心地は良好で、米原や敦賀までの乗り入れが期待されるところです。
かつての新快速は、113系が7両編成だった以外は153系・117系・221系ともに6両編成で、117系以降はラッシュ時に2本連結した12両編成で走っていましたが、1990年代に入ると6両編成では混雑するようになり、1991年から221系の編成を組み直して8両編成が登場しました。以降、8両編成が基本となり、223系・225系は一部を除き8両編成と4両編成が大多数を占めています。
しかし、今度は8両編成でも混雑がひどく、2011年からは休日の姫路~米原・近江今津を走行する全列車が12両編成となり、2017年には京都駅で米原行きと湖西線経由の編成を切り離すものと、夕方の大阪駅始発列車を除いてすべて12両編成となりました。
停車駅の変遷
1970年(運行開始)
西明石・明石・三ノ宮・大阪・京都
1986年(滋賀県内でも快速運転、姫路まで延伸)
姫路・加古川・西明石・明石・神戸・三ノ宮・大阪・新大阪・京都・山科・大津・石山・草津・守山・野洲・近江八幡・能登川・彦根
- これ以降、1996年まで湖西線内各駅停車
1990年(日中のみ停車駅を追加)
姫路・加古川・西明石・明石・神戸・三ノ宮・芦屋・大阪・新大阪・高槻・京都・山科・大津・石山・草津・守山・野洲・近江八幡・能登川・彦根・米原
- 当時は芦屋と高槻は日中のみ停車、1993年には休日朝にも、1995年には平日朝夕ラッシュ時以外の全列車が停車
- 1991年の長浜直流化の際は、米原以北各駅停車
1996年(湖西線内で快速運転再開)
*1:2003年まで小野田線で走っていた「クモハ42001」が最後の生き残り
*2:かつての国鉄では電車は近距離を走るものとされており、中・長距離列車は機関車が客車を引っ張っていた。また、急行電車は長距離の急行列車とは異なり急行料金は不要だった。そのため、長距離の急行列車に電車が投入されると、紛らわしくなるため急行電車は「快速」に名称を変更した。類似例は阪和線でも見られ、阪和線に至っては「特急電車」まであった
*3:一部、クハ165を組み込んだ編成があった
*5:当初は京阪神エリア限定だったが、のちに名古屋近郊にも投入された。そのため、JR東海にも72両が継承された
*6:113系や153系はお下がり、221系は大和路快速、223系は関空・紀州路快速、マリンライナー、山陰本線のワンマンカーと幅広く活躍しているため、某所のアンケートでは新快速のイメージが強い車両として117系が挙げられていた
*7:余談だが、現在でも複数のJR旅客会社をまたぐローカル列車についてはほとんどなく、会社境界の駅で運行系統を分断している。ひどい場合、同じJR旅客会社でも複数の支社をまたぐ列車が少ないこともある
*8:JR他社の新形式第1号は在来線の特急車両(JR東海ですら、新形式の第1号は新幹線ではなく「ワイドビューひだ」でおなじみのキハ85系だった)だったが、JR西日本のみ一般車両が最初に投入され、JR西日本最初の新型特急として知られる681系は1992年に登場した
*9:逆に言えば、費用さえ出してくれれば何でもするということであり、JR北海道のようにあれこれ理由をつけて渋るということはない。ただし、車両に関しては最近は地元負担はなく(あまりにも老朽化が著しく、車両の置き換えにあたって地元に負担を強いることができないという事情もある)、227系や521系などはすべて自腹で製造している