ICOCA20周年の目玉?

https://www.westjr.co.jp/press/article/items/201016_00_mobileicoca.pdf

ICカードシステムはJR全社で導入されており、JR西日本では2003年から「ICOCA」を導入しています。

ところが、カードタイプのものはJR全社で導入されていますが、これが携帯電話を用いたものとなると話は別で、JR東日本が「モバイルSuica」を導入しているのみです。私鉄を含めても、先日「モバイルPASMO」が導入されたぐらいです。他に、Apple PayがSuicaに対応している程度です。

関西ではカードタイプのものしかありませんでしたが*1、2023年を目途にJR西日本でも「モバイルICOCA」を導入することになりました。時期的に、ICOCAが20周年を迎えるタイミングでの導入となります。

ただし、現状では詳細が発表されておらず、どのような仕組みになるかはわかりません。ただ単に、モバイルSuicaJR西日本バージョンになるかもしれません。*2
スマートフォンを読み取り部にタッチするだけで」というくだりから、FeliCaおサイフケータイ)もしくはApple Payのどちらかというのは予想がつきます。

*1:バスも入れると、以前は神姫バスが「モバイルNicoPa」を導入していたが、無記名タイプのものしか提供されなかった上、docomoの携帯電話でしか使用できなかったため普及せず、2012年末をもってサービス終了

*2:モバイルSuica自体はJR西日本でも利用可能

三都を駆け抜けて50年

www.jr-odekake.net

私鉄が圧倒的に強い関西地区において、国鉄が意地を見せるために走らせた「新快速」。今年、運行開始から50周年を迎えました。

前史

京阪神地区では、大阪(梅田)を中心に神戸方面へは阪急神戸本線阪神本線が、京都方面へは阪急京都本線京阪本線が並行しています。戦前からこれらの私鉄とは激しい競争が繰り広げられており、国鉄は1934年に大阪近郊の東海道山陽本線(吹田~須磨)の電化に合わせて42系*1・52系電車を投入して「急行電車*2を運行し、私鉄の速達列車の対抗馬としました。

昭和30年代まで(概ね、電化区間西明石~京都のみだったころ)、京阪神地区でも首都圏と同じように中距離列車(大阪駅を中心に、東は滋賀県、西は姫路まで運行する)と近距離の急行電車(後の快速電車、西明石~京都のみ運行)、各駅停車の3本立てでした。西は姫路、東は米原まで電化された際に、快速電車がそのまま姫路や米原まで走るようになり、西明石~京都では快速、それ以外の区間では普通列車として走るようになりました。

1970年代

新快速が運行を開始したのは、大阪万博が閉幕した後の1970年10月1日でした。これまでの快速を上回る速達サービスを提供するという趣旨は、50年前から変わっていません。
当初用いられた車両は、大阪万博の臨時列車向けに横須賀線などから転入して来た113系の7両編成で、中には横須賀線カラーのものもありました。大阪万博閉幕後の余剰車両の活用も兼ねていたようです。

運行区間西明石~京都でしたが、半年ほどで草津まで延長されています。
途中の停車駅は当初、明石・三ノ宮・大阪だけで(草津まで延伸後は大津・石山にも停車)、一部の特急が停車していた神戸駅や、新幹線との接続駅である新大阪駅すら通過していました。そこまでして速達性を追い求めました。
この当時は運行本数が少なく、昼間に1時間間隔で運行されていただけでした。したがって、1日6本だけです。

1972年3月のダイヤ改正では、運行区間が西側へ伸びて姫路発着の電車も設定されました。姫路への延伸と増発に伴い、運行系統は京都~姫路と草津西明石の2本立てになり、姫路発着系統は西明石を通過していました。また、姫路乗り入れと同時に加古川にも停車するようになっています。

車両面では、山陽新幹線が岡山まで開業したのに伴って急行列車が廃止となり、余剰車両が発生した153系*3の6両編成に置き換えられました。
急行用の車両に置き換えられたことで、最高速度が110km/h(113系は100km/h)に引き上げられ、大阪~京都の所要時間は29分と、30分を切りました。
このダイヤ改正では西明石~京都で1時間に4本に増発され、大阪駅・京都駅では1分停車していたため、大阪駅・京都駅の出発時刻が、現在に至るまでおなじみとなる0・15・30・45分に揃えられました。大阪駅と京都駅には、そのことを示す看板が出ていました。

これ以降は、1974年に湖西線が開業した際には1時間に1本が堅田まで乗り入れ、1978年には神戸駅が停車駅に追加されました。

かつては普通列車でも喫煙が可能だったのですが、1975年9月1日から関西地区でも禁煙区間が設定され、東海道山陽本線では西明石~京都が禁煙区間に指定されました。ただし、それ以外の区間では喫煙可能だったため、灰皿は残されています。

1980年代

歴代の新快速用車両は、113系大阪万博の臨時列車向けに首都圏などから応援に駆け付けたものが関西に残ったもので、153系は山陽新幹線岡山開業で急行が廃止となって発生した余剰車でした。113系セミクロスシート、153系はボックスシートで、私鉄の特急車両(阪急:2800系・6300系、京阪:1900系・3000系(初代))と比べると見劣りがしました。また、153系は長距離運行をこなしていたことから著しく老朽化が進行していました。

113系・153系に限らず国鉄の車両はすべてそうなっていますが、全国で運用することを前提として開発・設計しているため、必ずしも地域の実情に合っているとは限りません*4。このため、国鉄本社もおそらく大阪鉄道管理局から突き上げを喰らったと思いますが、当時の国鉄としては異例の地域限定車両*5として117系を1980年から投入しました。当初から新快速として使用することを前提にしたのは117系が初めてです。*6
117系は、阪急2800系などに近い2ドアの車体を持つ転換クロスシートの電車で、品質はこれでようやく私鉄の特急車両に追いついたと言えます。153系と117系は2ドアでしたが、これはかつての新快速は昼間のみの運行だったためです。
1975年から、禁煙区間(京都~西明石)では6両すべてが禁煙でしたが、117系ではさらに進んで、1・6号車は区間に関係なく禁煙となりました。

この時期には、滋賀県内で増発が行われ、草津発着系統が1時間に2本になったほか、朝夕のラッシュ時に彦根駅まで乗り入れが開始しました。
なぜ彦根までかというと、当時の米原駅名古屋鉄道管理局(→JR東海)管轄だったため、大阪局独自の電車だった新快速は名古屋局の縄張りに入れなかったためです。急行や特急など、本社でダイヤを作る列車については問題がないのですが、ローカル列車のダイヤは各鉄道管理局で作成するため、局同士の調整を忌避して局またぎの列車はほとんど設定されませんでした。*7
彦根まで乗り入れた当初の停車駅は現在とは異なり、草津彦根は各駅停車でした。翌年に草津以北でも快速運転を行うようになっています。
また、1985年には新大阪にも停車するようになっています。これは、以前から新幹線の利用客が新大阪を通過すると知らずにうっかり乗ってしまい新幹線に乗り継げなかったという事例が多発していたため、その対策であり、大阪~高槻の最高速度が110km/hに引き上げられ、新大阪に停車しても大阪~京都を29分で運行できるようになったためです。

1986年11月、国鉄最後のダイヤ改正では、運行区間の西の端がすべて姫路に統一され、それに伴い西明石にすべて停車するようになりました。また、京都側では山科にも停車するようになりました。
従来、京阪神間の複々線はダイヤの決定権を外側線(列車線)は本社が、内側線(電車線)は大阪局が握っており、新快速は内側線(電車線)を走行し、須磨駅で各駅停車を追い越していました。このダイヤ改正では、外側線のダイヤの決定権が大阪局に委譲されたため、外側線を走ることができるようになりました。

民営化~1990年代

国鉄が分割・民営化されてJR西日本が発足すると、新快速を京阪神間のフラッグシップと位置付けてテコ入れがなされました。

まず、1988年3月のJR西日本初のダイヤ改正では、これまで運行されていなかった夕方に初めて設定され、そのうちの一部は米原まで乗り入れるようになりました。民営化の段階で、米原駅は新幹線がJR東海、在来線はJR西日本の管轄と決められており、在来線がJR西日本の管轄となったことで乗り入れが実現しました。

そして、JR西日本初の完全新規設計の新型車両*8として、221系が1989年から投入されました。
221系は、座席数こそ117系と同じですが扉が3つに増やされ、窓が大きくなったことで車内が一気に明るくなり、最高速度も120km/hに引き上げられています。

221系が投入された1989年3月のダイヤ改正では、本格的に米原までの乗り入れを開始しました。また、朝・夕方のラッシュ時にも本格的に運行を開始し、最終は神戸・京都方面のどちらも大阪駅23時ちょうど発まで繰り下げられました。

民営化以降は、車両の性能が上がり、停車駅を増やしても所要時間を維持できるようになったことから、停車駅が追加されています。1990年には日中のみ芦屋と高槻に停車するようになりました。この時期に117系221系ともに最高速度が115km/hに上げられており、大阪~京都の所要時間は新大阪・高槻に停車しつつ29分を維持しました。

1991年には、北陸本線米原~長浜が直流電化に転換され、米原発着だった一部の新快速が長浜まで乗り入れを開始しました。これにより、長浜市が観光地として脚光を浴びました。
滋賀県では、新快速のおかげで京都や大阪へのアクセスが大幅に改善されたことから、大学や企業が多数進出し、京都・大阪の通勤圏に入ることから住宅需要も増えています。最近でも、南草津駅の新快速停車をめぐって草津市草津商工会議所・立命館大学パナソニックが連名でJR西日本に請願書を出したほか、草津市長選で選挙公約に「南草津駅の新快速停車実現」を掲げた候補者がおり、当選したため、話が具体化し多数の署名が集まり、2011年3月のダイヤ改正から停車するようになりました。経緯はともかく、新快速の停車による効果は絶大で、利用客数は2011年度には石山駅を抜いて県内2位まで増加し(大津駅より多い!)、2014年度には県内トップまで上り詰めました。
そのせいかどうかはわかりませんが(南草津が成功したので他の駅でも、という思惑がある)、滋賀県内の他の駅でも新快速の停車を求める運動が起きています。

阪神・淡路大震災では、阪神間鉄道路線が壊滅状態となり、JR西日本でも六甲道駅が崩壊するなど甚大な被害を受けました。しかし、東海道山陽本線は貨物でも最重要路線であり、長期間止めるわけにはいきません。JR他社からの応援を仰ぎ、4月に完全復旧を果たしました。阪急神戸本線阪神本線は復旧工事が6月までかかったため、その分の需要がJRに流れ込んで来ました。
JRとしてもその需要に応えるべく、朝夕に臨時列車を運行していましたが、これらの列車はそのまま翌年のダイヤ改正で定期便に昇格しました。

1999年には、追加料金を必要としない普通列車として初めて特急と同じ130km/hでの運行を開始しました。当時は、130km/h対応の223系に揃えられた朝ラッシュ時のみ、区間複々線区間西明石草津)に限定されていましたが、翌年には全列車を223系に揃えて姫路~米原で130km/hでの運行を開始しています。

21世紀

国鉄時代から、湖北地方と大津・京阪神のアクセスは、東海道本線が直流電化なのに対して北陸本線が交流電化のため、米原で乗り換えを要して不便であるという指摘が多くありました。その問題を解消するため、滋賀県と東側の沿線自治体が「北陸本線直流化促進期成同盟会」を結成して国鉄JR西日本に対して働きかけを行っていました。後に西側の自治体も加わって、湖西線も直流化するように要望して「琵琶湖環状線促進期成同盟会」となりました。
米原~長浜の直流化は1991年に実現しましたが、このおかげで長浜市京阪神から近い観光地として脚光を浴び、更には京都・大阪の通勤圏としても見なされるようになりました。

長浜市の成功事例を見て、それより北の各自治体でも直流化と新快速の乗り入れが求められるようになり、さらには県境をまたいで敦賀市でも新快速を敦賀駅に乗り入れさせて京阪神から観光客を取り込もう、という目論見がなされました。
JR西日本では、基本的に地元が要望する事業は地元に費用を負担させる方針*9のため、直流化に必要な費用を沿線自治体で1995年から積み立てていました。今回は滋賀・福井の2県が絡む事業のため、事業費の負担割合など協議すべき事項が多数ありましたが、2002年に滋賀県が75億円、福井県が68億円、JR西日本が18億円の負担でまとまり、翌年に工事協定を締結して着工にこぎつけ、2006年に直流化開業しました。
直流化以降は、もともと近江今津まで乗り入れていた列車が湖西線経由敦賀行きとして、毎時2本あった長浜行きのうち1本が米原経由近江塩津行きとして運行されています。夕方には米原経由の敦賀行きも運行されています。

2010年には、さらなる安全性とサービスの向上を目指して225系が投入されたほか、2019年には他社の上位クラスの車両(京阪電車の「プレミアムカー」など)が好評を博していることから、その対抗馬として「Aシート」を導入しました。
「Aシート」は、1980年まで快速に連結されていたグリーン車の再来というべきもので、普通列車としては例を見ない無料Wi-Fiやモバイル機器の充電用100Vコンセント、さらには関西国際空港の利用客向けに大型荷物置き場を装備した上位クラスの車両で、乗車区間にかかわらず500円で利用できます。
現状、姫路~野洲の2往復のみですが、287系と同じシートを使用しているだけに乗り心地は良好で、米原敦賀までの乗り入れが期待されるところです。

かつての新快速は、113系が7両編成だった以外は153系・117系221系ともに6両編成で、117系以降はラッシュ時に2本連結した12両編成で走っていましたが、1990年代に入ると6両編成では混雑するようになり、1991年から221系の編成を組み直して8両編成が登場しました。以降、8両編成が基本となり、223系・225系は一部を除き8両編成と4両編成が大多数を占めています。
しかし、今度は8両編成でも混雑がひどく、2011年からは休日の姫路~米原近江今津を走行する全列車が12両編成となり、2017年には京都駅で米原行きと湖西線経由の編成を切り離すものと、夕方の大阪駅始発列車を除いてすべて12両編成となりました。

歴代車両

  • 113系(1970~1972年)
  • 153系(1972~1980年)
  • 117系(1980~1999年)
  • 221系(1989~2000年)
  • 223系(1995年~)
  • 225系(2010年~)

この他、臨時列車で207系321系が使用されたこともあるほか、前の世代の車両が臨時列車に起用されたこともありました。

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停車駅の変遷

1970年(運行開始)

西明石・明石・三ノ宮・大阪・京都

1971年(草津まで乗り入れ)

西明石・明石・三ノ宮・大阪・京都・大津・石山・草津

1972年(姫路まで乗り入れ)

姫路・加古川・明石・三ノ宮・大阪・京都・大津・石山・草津

1974年(湖西線開業)

姫路・加古川・明石・三ノ宮・大阪・京都・西大津(現・大津京)・叡山(現・比叡山坂本)・堅田

1978年

姫路・加古川・明石・神戸・三ノ宮・大阪・京都・大津・石山・草津

1985年(彦根まで乗り入れ)

姫路・加古川・明石・神戸・三ノ宮・大阪・新大阪・京都・大津・石山・草津彦根まで各駅停車

1986年(滋賀県内でも快速運転、姫路まで延伸)

姫路・加古川西明石・明石・神戸・三ノ宮・大阪・新大阪・京都・山科・大津・石山・草津・守山・野洲近江八幡能登川彦根

  • これ以降、1996年まで湖西線内各駅停車

1990年(日中のみ停車駅を追加)

姫路・加古川西明石・明石・神戸・三ノ宮・芦屋・大阪・新大阪・高槻・京都・山科・大津・石山・草津・守山・野洲近江八幡能登川彦根米原

  • 当時は芦屋と高槻は日中のみ停車、1993年には休日朝にも、1995年には平日朝夕ラッシュ時以外の全列車が停車
  • 1991年の長浜直流化の際は、米原以北各駅停車

1996年(湖西線内で快速運転再開)

姫路・加古川西明石・明石・神戸・三ノ宮・芦屋・大阪・新大阪・高槻・京都・山科・西大津比叡山坂本堅田近江舞子

1997年(JR東西線開業)

姫路・加古川西明石・明石・神戸・三ノ宮・芦屋・尼崎・大阪・新大阪・高槻・京都・山科・大津・石山・草津・守山・野洲近江八幡能登川彦根米原

  • 高槻と尼崎に全列車停車
  • 芦屋には2003年に全列車停車
  • 2006年の敦賀直流化の際は、従来通り米原近江舞子以北各駅停車

2011年(南草津に停車)

姫路・加古川西明石・明石・神戸・三ノ宮・尼崎・芦屋・大阪・新大阪・高槻・京都・山科・大津・石山・南草津草津・守山・野洲近江八幡能登川彦根米原

*1:2003年まで小野田線で走っていた「クモハ42001」が最後の生き残り

*2:かつての国鉄では電車は近距離を走るものとされており、中・長距離列車は機関車が客車を引っ張っていた。また、急行電車は長距離の急行列車とは異なり急行料金は不要だった。そのため、長距離の急行列車に電車が投入されると、紛らわしくなるため急行電車は「快速」に名称を変更した。類似例は阪和線でも見られ、阪和線に至っては「特急電車」まであった

*3:一部、クハ165を組み込んだ編成があった

*4:さすがに寒冷地仕様はあった

*5:当初は京阪神エリア限定だったが、のちに名古屋近郊にも投入された。そのため、JR東海にも72両が継承された

*6:113系や153系はお下がり、221系大和路快速、223系は関空・紀州路快速マリンライナー山陰本線のワンマンカーと幅広く活躍しているため、某所のアンケートでは新快速のイメージが強い車両として117系が挙げられていた

*7:余談だが、現在でも複数のJR旅客会社をまたぐローカル列車についてはほとんどなく、会社境界の駅で運行系統を分断している。ひどい場合、同じJR旅客会社でも複数の支社をまたぐ列車が少ないこともある

*8:JR他社の新形式第1号は在来線の特急車両(JR東海ですら、新形式の第1号は新幹線ではなく「ワイドビューひだ」でおなじみのキハ85系だった)だったが、JR西日本のみ一般車両が最初に投入され、JR西日本最初の新型特急として知られる681系は1992年に登場した

*9:逆に言えば、費用さえ出してくれれば何でもするということであり、JR北海道のようにあれこれ理由をつけて渋るということはない。ただし、車両に関しては最近は地元負担はなく(あまりにも老朽化が著しく、車両の置き換えにあたって地元に負担を強いることができないという事情もある)、227系や521系などはすべて自腹で製造している

Minori Chihara 12th SUMMER LIVE "SUMMER CHAMPION"

今年も、河口湖でみのりんの夏の風物詩…と言いたいところですが、昨今の社会情勢や、みのりん本人のプライベートでの事情もあり、開催が不可能になってしまいました。

…と思っていましたが、何としても河口湖からみんなに歌声を届けたい、というみのりんの熱い想いから、1日だけ、河口湖から全国に生中継という形でやることになりました。

セットリスト

  1. Freedom dreamer
  2. Sunshine flower
  3. Lush march!!
  4. 過度の期待にご用心。
  5. 雪、無音、窓辺にて。
  6. Plumeria
  7. 夏色華日
  8. ステラステージ
  9. エイミー
  10. 境界の彼方
  11. Tomorrow's chance
  12. 声もなく始まる世界
  13. TERMINATED
  14. Paradise Lost
  15. sing for you
  16. 純白サンクチュアリィ
  17. purest note ~ あたたかい音
  18. 美歌爛漫ノ宴ニテ

(4・5曲目はキャラソンコーナー、6~8曲面はアコースティックアレンジ)

いつも通りの道を行く

まずは、河口湖駅からステラシアターまで走る映像から始まりました。

河口湖駅前に飾ってある富士山麓電気鉄道(→富士急行)の電車から始まり、農協前の交差点を左折して南へ向かうとステラシアターです。
毎年のように車で行っているため、どこに何があるか覚えています。

しかし、ENEOSの近くにローソンができていたのは知りませんでした。

ステラシアターの駐車場に車を止めて、門をくぐって席に着くところまでが流されていました。

配信ライブの意外な効果

今回は河口湖でみんなで集まって…というわけにはいかないため、全国に生配信という形がとられました。しかし、これが意外な効果をもたらしているようです。

自宅に居ながらにして楽しめるということから、今まで参加したことがない人や、久しく河口湖に足を運んでいない人も見ていました。

河口湖というと交通が不便なイメージを持たれているため、参加を渋る人も多いようですが、これを見て参加する気になった人もいます。実際、来年以降に一緒にドライブするという約束を取り付けた人もいます。

キャラソンコーナーだ、このバカヤロー!!

当初、3月にファンクラブ会員限定のキャラソンライブをやるはずでしたが、これも延期となり、11月に大阪でやる予定です。

その中から、「この2人がいないと今の自分はいない」というぐらいに大切な、長門有希と南千秋のキャラソンを歌っていました。

雪、無音、窓辺にて。」は神戸・大阪・名古屋で聴いたことはありますが、河口湖では初めてです。
「過度の期待にご用心。」は初めて耳にしました。そのあと、オリジナル版(奈々さんが合いの手を入れる)を手に入れました。

外はやっぱり気持ちいい

キャラソンコーナーの次はアコースティックアレンジのコーナーです。ここでは、普段は使わない、ステラシアターの舞台の裏手(南側)に回って歌いました。
いつも花火を見る際に開ける扉から出ました。

ここでは、追加のグッズの紹介もしていましたが、あまりにも説明が下手くそで、「みのりんはテレビショッピングに向いていない」と思いました。

この中で一番良いと思ったのは「Plumeria」です。「エイミー」を買って聴いて以来、おしゃれな曲で良いな、と思っていましたが、その通りでした。今度は生で聴きたいものです。

走りながら歌うのは…

客席には誰もいませんが、みのりんはいつも客席に出て歌うことがあり、今回も客席に出て歌いました。
ただ、今年は「声もなく始まる世界」を、何と走りながら歌うという暴挙に出ました。

走りながら歌うのは奈々さんの専売特許だと思っていましたが、みのりんもできるということがわかりました。このように、みのりんと奈々さんは共通点が多く見受けられるため、お互いのファンに受け入れられやすいようです。

最後に…

最後は、富士河口湖町内の各店舗の人たちや、副町長からのメッセージがありました。
このように、みのりん富士河口湖町内の人々に愛されています。それだけに、河口湖へ行けないということがどれだけ辛いものか、と感じました。

来年こそ、みんなで楽しめる日が来ることを、誰もが願っています。その日がやって来るまで、気長に待ちましょう。

一体何が違うというのか

スマートフォンのオプションはいろいろありますが、もはや必須といえるケースや画面保護フィルムを除くと、定番は何と言ってもBluetoothのヘッドセットです。耳に付けておくと、電話を手に取ることなく通話ができます。音楽やネット動画・テレビの音声を楽しむこともできます*1

その中で、エレコムの「LBT-HSC20MPGD」という機種を購入しました。
以前使用していたものは3Gケータイの頃の製品で、現在の基準では音質が良いとは言えず、更に電池も持たないので、買い替えを検討していました。
たまたま、使用していなかったヘッドセットがありましたが、通話専用で音楽・ネット動画・テレビには対応していなかったうえに、耳に合わないため、結局買い替えることにしました。

携帯電話が3Gから4Gに世代交代を果たし、音声通話も4Gのネットワーク上で行えるようになり*2、これを機に音質を向上させる技術が多数導入されました。
そのうちの一つが、音声の帯域を広げた「HD Voice」で、従来は300~3300Hzの音声に対応していたのが、HD Voiceでは50~7000Hzの音声に対応してしており、帯域が広がってクリアな音質になりました。ところが、従来のBluetoothヘッドセットはHD Voiceに対応しておらず、帯域が3G時代のままで、せっかくVoLTE(HD Voice)対応の携帯電話を買ったのに、ヘッドセットを使うと音質が悪くなる、ということがありました。
他に、余計な音を取り除いて相手に聞こえないようにする「Qualcomm cVc(Clear Voice Capture)」も装備しています。
ヘッドセットを交換することで、大幅に音質が改善され、耳に合わないという悩みも解消しました。

ところが、購入にあたってエレコムのカタログを見ると、どう見ても同じもののはずなのに型番が違うものがありました。これが一例で、エレコムBluetoothヘッドセットにはこのようなケースが多数見られます。

型番をよく見ると、「LBT-HSC20MPBK」と、「LBT-HSC20PCBK」となっています。BKは、エレコム製品の型番では最後の2文字で色を表すというルールがあり、ここでは「ブラック」を表します。

型番の違いについて、エレコムに問い合わせが実際にあったようで、これによると、販路の違いで分けているようです。MPが携帯電話売り場で、PCがパソコン周辺機器売り場で手に入ります。他に「AV」もあり、AV機器売り場にあります。
うちの近所のケーズデンキでは、「あんしんパスポート」を提示すると携帯電話用品が10%OFF(通常は5%OFF)になるというサービスをやっていますが*3、MP型番のもののみ対象となっています。

実際の製品は、スペックには違いがなく、パッケージを変えて(MPは赤、PCは青)別の売り場に並べているだけのように見えますが、カラーバリエーションはMPの方が豊富という違いもあります。パソコンよりスマートフォンで使用することが多く、ユーザー層が広いことの表れでしょう。
例えば「LBT-HS20M」系の場合、パソコン向け(LBT-HS20MPC)の場合は黒(BK)と赤(RD)の2色ですが、スマートフォン向け(LBT-HS20MMP)の場合は黒・赤に加えて青(BU)・金(GD)・白(WH)の5色があります。パソコン向けは黒だけ、というケースがほとんどです。
また、マニュアルや本体に記される型番は「MP」や「PC」、色の記号は省略され、単に「LBT-HSC20」などという風になっています。

現行商品のカラーバリエーション

LBT-HPS**系、LBT-HS50WP系、LBT-HS60系はMP・PC共にブラック(BK)のみ

機種 スマートフォン向け(MP) パソコン向け(PC)
LBT-HSC10系
(ベーシック)
ブラック(BK)
ブルー(BU)
レッド(RD)
ホワイト(WH)
ブラック(BK)
LBT-HSC20系
(HD Voice対応)
ブラック(BK)
ブルー(BU)
レッド(RD)
ゴールド(GD)
シルバー(SV)
ブラック(BK)
LBT-HSC30系
(超小型)
ブラック(BK)
レッド(RD)
ゴールド(GD)
ホワイト(WH)
ブラック(BK)
LBT-HS10系
(通話専用)
ブラック(BK)
レッド(RD)
ホワイト(WH)
ブラック(BK)
LBT-HS20M系
(HD Voice対応)
ブラック(BK)
ブルー(BU)
レッド(RD)
ゴールド(GD)
ホワイト(WH)
ブラック(BK)

*1:安価な機種では、通話専用のものもある

*2:2G・3Gではデータ通信用のパケット通信網と、音声通話用の回線交換通信網があったが、4Gにはパケット通信網しかない。そのため、初期の4G携帯電話は3Gの回線交換通信網に切り替えて音声通話を行うようになっていたが、後に音声データを4Gのパケット通信網に乗せてやりとりする「VoLTE」が導入され、現在の4G携帯電話はこちらが主流となっている

*3:以前は、携帯電話と同時に購入すると20%OFFになったこともある

近鉄王国・奈良県

Twitterにて、このような企画がありました。各都道府県で「これを禁止されると困る」というものを1つずつ挙げていくというものです。

その中で、奈良県近鉄を利用することを禁止されると困る、と言われました。確かに、奈良県では鉄道といえば近鉄でJRの影は薄く、鉄道以外でも近鉄グループ奈良交通近鉄百貨店・近商ストアetc.)が幅を利かせているという状態です。

今日は、奈良県では如何に近鉄が強いかというのを、様々なデータを示しながら紐解いていきます。

奈良県内各駅の乗車人数

出典:「奈良県統計書(2018年度版)」

まずは、わかりやすい指標として各駅の乗車人数を記します。奈良県内の鉄道路線近鉄とJRだけで、2社の比較という意味も持たせるため、両社が乗り入れている駅でも社ごとに分割して記します。

駅名 会社 路線 1日平均乗車人数
1 近鉄奈良 近鉄 奈良線 33,818
2 学園前 近鉄 奈良線 26,649
3 王寺 JR西日本 関西本線和歌山線 24,366
4 大和西大寺 近鉄 奈良線京都線橿原線 23,733
5 生駒 近鉄 奈良線生駒線けいはんな線 22,808
6 高の原 近鉄 京都線 19,007
7 大和八木 近鉄 大阪線橿原線 18,718
8 奈良 JR西日本 関西本線・桜井線 18,307
9 富雄 近鉄 奈良線 14,833
10 五位堂 近鉄 大阪線 14,235

ベスト10を取り上げましたが、その中にはJRは2駅だけで、残りはすべて近鉄です。「奈良駅」同士で比較しても、近鉄の方がJRの2倍近い利用客数があります。

このデータで、「奈良県では鉄道といえばJRではなく近鉄」という表面的な事実は分かります。なぜこのようになったのかは、現在のJRと近鉄のダイヤと、奈良県の鉄道の歴史から紐解くことができます。

大和八木駅の乗車人員について

各種統計(近鉄の交通調査・奈良県統計書)において、大和八木駅の乗車人員には八木西口駅の乗車人員を含めています。これは、旅客営業上は八木西口駅大和八木駅構内の別ホーム扱いとされているためです。

かつて、現在の大和八木駅に相当する駅はなく、開業当時の高市郡八木町の西側に、「大和」が付かない「八木駅」が設置されました。開業当初は畝傍線(現・近鉄橿原線)のみの駅でしたが、開業後ほどなくして現在の大阪線の一部となる「八木線」が、八木駅から大和高田駅まで開業しました。
ちなみに、大阪線の八木以西は布施と八木の両方から延伸し、1927年に布施~八木の全線が開業しています(上本町~布施は1914年に奈良線の一部として開業済み)。

1929年に、伊勢方面への延伸の一環として桜井まで延伸された際、延伸区間と畝傍線の交差地点に現在の大和八木駅が開業しました。旧八木駅の移転扱いとされており、通常であれば旧八木駅は廃止されるはずですが、「八木西口」と名前を変えた上で残されました。
これは、当時は国を挙げて橿原神宮への参拝が奨励されており、この需要に応えるために上本町~橿原神宮前の直通列車が多数運行されていて、旧来の利用客に配慮したためと言われています。その名残か、1967年までは上本町~八木西口の準急が夕方に運行されていました。

このような背景もあり、八木西口駅大和八木駅の構内扱いとして残されています。そのため、大和八木駅発着の乗車券で八木西口駅を利用することができます。八木西口駅としての営業キロは設定されておらず、大和八木駅営業キロ西大寺から20.5km、上本町から大阪線経由で34.8km)*1を用いて運賃計算を行います。
なお、入場券は列車に立ち入ることができない切符なので、大和八木~八木西口のみ利用する場合でも入場券で乗ることはできず、初乗り運賃の切符を買う必要があります。
切符に関しては、21世紀初頭までは八木西口からの切符を買っても発駅が「大和八木」となっていましたが、2020年現在では「八木西口」になっています。

八木西口駅に関しては、奈良県立医科大学のキャンパスが移転するのに合わせて800m南側に新駅を設置するという構想があり、大和八木駅に近すぎることから新駅の開業に合わせて廃止するという案が出ています。しかし、八木西口駅橿原市役所や畝傍高校に近く、その関係の利用者が多いため、橿原市としては廃止に反対、といった感じで、奈良県橿原市近鉄三者協議を始めてから4年以上に渡って結論が出ていません。
廃止となった場合、運賃計算の特例(大和八木駅営業キロを使用する)も廃止されて新駅の営業キロが設定されるか、それとも新駅にその特例が受け継がれるでしょうか。

八木西口駅」廃止か存続か 近鉄橿原市協議1年、なお平行線

 橿原市の県立医科大学付属病院前に設置が計画されている近鉄橿原線の「病院前新駅」。だがこれに関連し、約800メートル北に位置する八木西口駅の存廃をめぐる近鉄と県、市の3者協議は、1年を超えた今も平行線のままだ。関係者は「長期戦になる」との見通しを示している。

 「医大・付属病院を核とするキャンパスタウンの形成」を掲げる市は、新駅周辺に商業や福祉・文化ゾーンなどの設置を構想。医大は平成33年までに現在地の西約1キロに移転する予定で、アクセス道路となる市道の拡幅整備も計画されている。

 新駅の設置予定地は、近鉄橿原線が国道陸橋と立体交差する付近。北約800メートルにある八木西口駅は、その北の大和八木駅まで約400メートルと近いため、近鉄は新駅設置に伴い八木西口駅の廃止を求めている。

 一方、市は近隣住民の利便性などから存続を希望。八木西口駅は市役所本庁舎まで徒歩2~3分で、市役所や医大付属病院を訪れる人のほか、県立畝傍高校生らも利用している。国の重要伝統的建造物群保存地区今井町への最寄り駅でもあり、1日の利用者は約5千人という。

 だが、新駅設置のため27年12月から始まった県、市、近鉄の3者協議は、「八木西口駅に関する話し合いは平行線をたどっている」(市関係者)状況。「今のところ、まとまる見通しはたたない」との声がある一方、「駅運営経費で橿原市が応分の負担をすれば存続は可能」「残るにしても、すべての電車が停まるのは難しい」などといった見方もある。

 市は医大前新駅とその周辺整備のほか、市役所本庁舎整備、大和八木駅北側整備を「3大事業」として整備構想の検討を進めている。本庁舎整備では、長年の課題だった民有地買収交渉がまとまり、八木西口駅の存続は「重要課題」として展開が注目されている。

(「産経新聞」2017年1月5日)

近鉄とJRのダイヤの比較

奈良県近鉄が選ばれる理由として、「近鉄はJRと比較して運行本数が多い」ということが挙げられます。

奈良県内の近鉄・JR各路線の1時間ごとの運行本数は以下の通りです。

近鉄奈良線

(特急、大和西大寺から京都方面へ行くものは除く)

普通と区間準急のダイヤがいびつな形になっているのは、西大寺で折り返す際に尼崎系統は区間準急から普通に、難波系統は普通から区間準急に変わるためです。

近鉄京都線橿原線天理線

かつて、京都線の各駅停車は西大寺行きが多かったものの、実際には西大寺で行先と列車番号を変えて橿原神宮前・天理方面へ向かうものが大半でした。

近鉄大阪線

  • 急行:下記の系統が1本ずつ
    • 大阪上本町~名張
    • 大阪上本町~伊勢中川
    • 大阪上本町~宇治山田
  • 区間準急:下記の系統が1本ずつ
    • 大阪上本町~五位堂
    • 大阪上本町~大和朝倉
    • 大阪上本町~榛原
  • 普通
    • 大阪上本町~高安:4本)
    • 大阪上本町~大和朝倉:1本

近鉄南大阪線

近鉄の各支線

では、JRはどのようになっているでしょうか。

大和路線

JR奈良線

和歌山線・桜井線

  • 王寺~高田:2本
  • 奈良~和歌山(桜井・高田経由):1本
  • 奈良~桜井:1本

近鉄は支線こそ本数が少ないところがあるものの、幹線では大阪線で最低3本、奈良線に至っては最低6本は確保されています。
一方でJRはどうかというと、最大でも4本といった状態です。奈良県内の市では唯一近鉄線が通っていない五條市に至っては、五条駅に停車する列車が昼間は1時間に1本のみ、という状態です。

国鉄奈良県内の路線を冷遇していた

奈良県内におけるJRと近鉄の格差の要因は、「国鉄が伝統的に奈良県内の路線を冷遇していた」ということにつきます。正確には「天王寺鉄道管理局の路線を冷遇していた」ということです。

奈良県内の国鉄線は最初から国鉄線として開業した路線はなく、奈良鉄道・大阪鉄道(初代)*2関西鉄道などといった私鉄を1907年に国有化した路線であり、国鉄からすれば「外様」と言えます。

それ故に複線化・電化などの設備投資が進まず、複線化こそ関西本線で国有化前に実施されただけで、電化は1973年に湊町(→JR難波)~奈良で実施されるまで全く実施されていませんでした。
後に1980年に桜井線・和歌山線(高田~五条)が電化され、1984年に和歌山線の残りの区間奈良線関西本線(奈良~木津)が電化されて奈良県内の国鉄線は全線電化を達成しました*3。但し、複線化は関西本線以外では全く行われていません。

それに対して、近鉄は最初から複線電化で開通した路線が多く、また高度成長期における輸送力の増強も積極的に行ってきたため、現在でも近鉄の方が利用しやすいようになっています。

今でこそ、JR西日本関西本線の一部区間に「大和路線」という名前を付けて「大和路快速」を走らせるなどの積極策をとっていますが、国鉄時代より多いとはいえ最近になって再び本数が減らされています。輸送力を増強しようにも、国鉄時代に設備投資を怠ったためにインフラが貧弱で、近鉄に十分対抗できるだけの競争力を持たせることができません。

*1:布施~大和八木のルートは大阪線経由と西大寺経由の2つがあるが、この区間を含む場合は通常は短い方のルートで計算する

*2:後に近鉄南大阪線などとなる路線を開業させた「大阪鉄道(2代目)」は名前が同じだけの別会社である。余談だが、阿倍野近鉄百貨店(あべのハルカス近鉄本店)は大阪鉄道時代に開業した「大鉄百貨店」であり、建て替えて「あべのハルカス」になるまではその当時の建物をそのまま使って営業していた

*3:2006年3月まで、名古屋駅から関西本線経由でディーゼル急行「かすが」号が乗り入れており、また天理教の団体列車としてディーゼル車が来ることがあった