京阪電車の小ネタ集 Part3

京阪式跳ね上げ吊り手

京阪電車でしか見られない装備として、ドアの前に取り付けられたつり革があります。それだけならどこでもありますが、京阪のはどこが違うのかというと、持つ時だけ降ろして使うのです。つり革の付け根にはばねが仕込まれており、降ろすとばねにねじりモーメントが加わり、手を離すとその反発力で戻ります。

営団地下鉄京急の古い車両では、「リコ式」といわれるばねを仕込んだつり革がありましたが(地下鉄博物館に実物がある)、京阪のはリコ式つり革の棒に通常のストラップ式(座席前のつり革と同じタイプ。一般的につり革というとこちらを指す)を組み合わせたようなものになっています。このつり革は京阪が特許を持っているため、他社では見られません。

7000系では一度なくなってしまいましたが、7200系であっさり復活。ただ、2代目3000系ではまたなくなっています。

乗車率表示

京阪電車では7200系以降の全車に乗務員用のモニター装置が装備されています。列車種別から列車番号、次の停車駅、架線電圧、主回路の電流、ドアの開閉状況、車内温度などいろいろ出てきます。

停車中には、「乗車率」表示が出てきますが、このD1503B列車(快速急行)では、枚方市停車中の時点でとんでもない数字が出ていました。

なんと、京都方先頭車の乗車率が260%。260%というと首都圏の通勤ラッシュ並みです。ただ、この数字はどうやって出しているのかというと、応荷重装置(どれだけ乗っていても同じ加減速性能を確保するための装置)で重量を割り出して出しているのです。しかし、体重は人によって異なるほか、荷物も人によって重さは異なります。そのため、1人あたりの体重を適当に決めて出しています。自動車の車検証には、空車重量と積載重量(定員いっぱいに乗った際の重量)がありますが、積載重量は1人当たり55kgとして算出しています*1。それと同じことです。

当日は中之島線開業フィーバーで“初乗り”の乗客が大量に乗り込んでいるほか、日曜日ということもあって淀から競馬観戦帰りの客(京都競馬場でのレース開催時における輸送体制については後述)が乗っているということもあってそれぐらいは出てもおかしくないでしょう。しかし、香里園や寝屋川市守口市あたりからは100%を割る車両も出てきました。

発車メロディ

2007年から、京阪電車の発車メロディが一新され、向谷実作曲の新しいものに切り替えられました。これは全部つなげて1曲になるというものです。なお、出町柳京橋駅K特急専用メロディはまた異なるものです。近々、CDも出るそうです。

それ以前は、特急の発車メロディは「牛若丸」(♪京の五条の橋の上…)でした。また、これとはまた別に東京メトロもどきの発車ブザーもあります。

余談ですが、向谷実は鉄道ファンとして知られ、自分で運転シミュレーター(Train Simulatorシリーズ)を作って売り出すほどです。また、「タモリ倶楽部」の鉄道ネタの回ではほぼ必ず出演しており、「タモリ電車クラブ」のゴールド会員(会員No.3)でもあります。

京阪電車のテーマソング

昔、京阪本線天満橋〜三条間だけだった時代の1958年、その名もズバリ「京阪特急」という歌が出ていました。

京阪特急のテーマソングということもあり、ひらパー、菊人形、鴨川といった沿線の風景や、三条で乗り換えて琵琶湖や比叡山などといった京阪のテリトリーが歌われています。1963年に淀屋橋まで延長されてからは、歌詞の「天満橋」が「淀屋橋」に変わりましたが、その後は次第に忘れられていき、鴨東線が開業しても「三条」が「出町柳」に変わることはありませんでした。ちなみに作曲は日本初のCMソングを作ったことで知られる三木鶏郎で、沿線に本社がある松下電器のテーマソング「明るいナショナル」と同じです。

2003年には「中之島ゆき」こと三浦理恵子*2が歌う「出町柳から」「朝靄の京橋で乗り換え」が発表されました。「出町柳から」は出町柳駅で、「朝靄の京橋で乗り換え」は京橋駅K特急専用の発車メロディとして使われているほか、初代「おけいはん」がCMに出ていた時代は、「淀屋橋の助」(初代「おけいはん」こと「淀屋けい子」の父)が「出町柳から」を歌うシーンが一瞬だけあったほか、2003年9月ダイヤ改正のCMソングが「朝靄の京橋で乗り換え」でした。

そして2008年、中之島線のテーマソングとして、「モーツァルト北浜」ことキダ・タロー先生の作曲で3代目「おけいはん」こと森小路けい子(神農幸)が歌う「はじまりは中之島」がリリースされました。ちょっと聞いてみましたが「いかにもキダ先生の曲」といった感じが丸出しです。

おけいはん

現在、京阪電車といえば「おけいはん」が定着しています。初登場は2000年12月。

淀屋けい子(初代)

「京阪沿線のある企業に勤める22歳のOL」で、4人家族という設定でした。登場人物は、父は淀屋橋の助、母は淀屋京子、妹は淀屋みや子。そして上司の樟葉部長。また、「中之島ゆき」という歌手も出てきます。先ほどの「出町柳から」「朝靄の京橋で乗り換え」は、中之島ゆきの歌声にほれ込んだ淀屋橋の助の肝いりで設立された「淀屋レコード」から出ているという設定になっています。

2003年に「転勤」のため卒業。

京橋けい子(2代目)

ひらパーの近くにある「枚方パーク学園」で教員として勤めているという設定がありました。「おけいはん先生」

2代目おけいはんは家族が出てきていませんでした(見ていなかっただけかな?)。

森小路けい子(3代目)

これまでの「おけいはん」は勤め人でしたが、今回は学生です。「鴨リバー音楽学院」に通う学生です。家族も演奏家。そして鴨リバー音楽学院の名物教授という設定で、キダ・タロー先生がモーツァルト北浜」役で出ています。初めて見たとき「何が“モーツァルト北浜”やねん、どっからどう見てもキダ先生やないか!」と突っ込みたくなりました。

競馬開催時の輸送体制

「馬でぼろ儲けする」のは、普通は大穴馬券を買って的中させたときですが、京阪電車など沿線に競馬場がある鉄道会社はレースの結果に関係なく「馬でぼろ儲け」しています。日曜日になると、競馬新聞を持ったおっさんがうじゃうじゃいます。

淀駅前にある京都競馬場ダイヤ改正当日は「秋華賞」があった関係で、早速大量輸送体制が組まれました。具体的には、快速急行が臨時停車したり、淀車庫で寝ている車両を臨時急行(いわゆる「馬急(うまきゅう)」)の運用に駆り出したりしています。

実際に、夕方4時〜5時台にかけて臨時急行が運行されていました。中之島行きで、中之島では3番線に入りそのあと回送列車として折り返します。

ちなみに、特急は臨時停車しません。ただ、一度だけ例外がありました。

2005年にディープインパクト菊花賞に出走した際、三冠がかかっていたために京都競馬場には多数の観客が殺到し、ディープインパクトは見事三冠を達成したのでした。それを見てから帰る観客が多く、急行の臨時停車だけではなく臨時列車を大増発しても足りなかったため、急遽特急を臨時停車させることで対応していました。淀駅の特急臨時停車はこのときの一度だけです。ちなみに、ディープインパクトの「スルっとKANSAI Kカード」も売り出されていました。

昔、行き先表示板を使っていた時代は、競馬開催時に運行される臨時急行は蹄鉄を描いたものを使っていました。

これはあくまで余談ですが、今年の秋華賞は大波乱だったらしく、三連単でなんと1098万円という配当が出てしまいました。

きれいな百貨店

守口市駅前に京阪百貨店があります。キャッチコピーは「きれいな百貨店」。

もともと当地には守口車庫&工場があり、寝屋川に移転する1972年まで使われていました。その跡地に1985年にオープンしたのが京阪百貨店です。ほかにも、枚方市駅前(京阪枚方ステーションモール)、京橋駅前(京阪モール)、樟葉駅前(くずはモール)にあります。以前は関空にもありました。

京阪が百貨店に参入する前は、天満橋と樟葉に松坂屋がありましたが、1970年の京橋駅高架化とともに百貨店事業に参入(当時は直営だった)し、1985年に守口に、1993年には枚方に、2005年には松坂屋に代わって樟葉に出店して現在に至ります。

ちなみに枚方市駅前には、京阪百貨店だけではなく近鉄百貨店もあります。なぜ京阪の沿線に近鉄百貨店があるのかというと、開店当時は近鉄とは無関係の「京都物産館(のちの京都近鉄百貨店)」の枚方支店として営業していたのですが、経営難で近鉄グループ入りしたためです。

*1:一例をあげると、J31ティアナの場合空車重量はグレードにもよるが1460kg、積載重量は1735kg

*2:こち亀」の2代目小野小町役として知られている