鉄フェス@寝屋川(その2)

昨日のやつがすべてではありません。

宙に舞う3000系

今年、車両用クレーンの実演で使われたのは、現在入場中の3001Fでした。

7200系のMc車は31tあるのに対して、3000系のMc車は36.5tもあります。車体構造が変わり*1VVVFが1台多く*2、さらにコンプレッサーがついた分だけ重くなってしまいました。実は8800形よりも重いのです。

3000系は、昨年から開催日に1編成が5両編成になって中之島から会場へ直通する事前応募制の団体列車として運行されていますが、今年は3005Fが抜擢されました。3000系は昼間は5編成が運用に入っていますが、3001Fが入場中、さらに3005Fが団体列車に抜擢されたため、使える編成が4編成しかなく、今年も9000系が代走で出てきました。寝屋川に着いたら、反対側のホームに9005Fの快速急行が止まっていました。

これを利用しない場合、寝屋川市駅から線路沿いに南へ延々と歩いていくことになります。「萱島から回送列車に乗せてくれ!」と突っ込みたくなります。

マスコン

これは、7200系以降の京阪本線の一般車で使用されているマスコンで、関西で一般的な2ハンドルタイプのものです。

加速レバーは5段、ブレーキは常用7段+非常+抜き取りポジション。「抜き取り」は何かというと、この位置に合わせてキーを抜いて留置しておくのです。東京メトロなどで見られる、会社ごとに必要な機能をマスコンキーで区別する機能がある場合、乗務員交代をする前にマスコンを「抜き取り」に入れ、キーを外して交代し、後を継ぐ運転士はキーを差しこんでこれから運行する路線にスイッチを合わせてから運行します。

鉄道でのマスコンキーはキーを差し込むタイプか逆転ハンドルを着脱するタイプで、「リモコンを持ったままでボタンを押せばマスコンが操作できる」というのはありません。

8000系と改修後の初代3000系では、京阪で唯一ワンハンドルマスコンが採用されています。これは、京阪特急では初代3000系以降クルーズコントロールが採用されており、その操作をしやすくするためであります。

ブレーキ側は他と同じですが、加速側は進行方向に近いほうから「1」「2」「-」「N」「+」となっています。45km/h以上の任意の速度で、ハンドルを「N」に合わせるとその速度で走り続けます。もし制限区間がある場合は「-」に入れて減速し、加速する時は「+」に入れます。

ちなみに、改修前の初代3000系のマスコンには60〜120の数字が振ってあります。この目盛は速度で、65km/h以上で5km/h刻みで速度を指定することができます。「100」に入れておけば100km/hで走り続けます。

これを使い、守口のストレートで110km/h固定で走ることがあります。

運行表示板

かつて方向幕が整備されていなかった時代は、先頭車に運行表示板をかけていました。ただ、現在でも方向幕が故障すると運行表示板の出番がやってくるため、すべてなくなったというわけではありません。

実は出町柳延伸開業まで運行表示板を使う列車が残っていましたが(最後まで残ったのは2400系)、開通後1年で方向幕が整備され通常時に表示板を使う列車はなくなりました。

なお、特急は鳩のヘッドマークがあるのでここでは扱いません。

淀屋橋〜三条の急行。丸い表示板は準急と急行。

2003年までは駅のアナウンスで「大阪淀屋橋」「大阪天満橋」「京都三条」「京都出町柳」など、駅名に「大阪」「京都」を付けていた*3のですが、以前は表示板にまで書いていたことがありました。

現在の臨時列車では、種別表示は定期列車と同じものを使用しますが、運行表示板の時代はちゃんと「臨時」を付けたものを使用していました。

急行の表示板は2種類ありますが、かつては赤いものは通常の停車駅、白いものは枚方市以北で各駅停車になるもの(いわゆるA急行、ただし枚方市八幡市・深草までの区間運転)を表していました。のちに意味が変わり、樟葉発着とそれ以外の列車を区別する目印として使われていました。

四角い表示板は各駅停車と区間急行で、かつては区間急行の表示は「急」だけだったのが「区急」となり、現在の方向幕では4文字の種別はすべて省略せず表示しています。

また、天満橋行きは黄色い板にして区別していました。

現在の区間急行は京橋〜守口市間ノンストップであとは各駅停車ですが、1960年までの区間急行は天満橋枚方市間で片町・京橋・門真・萱島寝屋川市・香里園・枚方公園に停車していました。また、全線通しの普通列車は京橋〜守口市間ノンストップで、その区間は枚方市折り返しの各駅停車がフォローしていた時期があったのですが、1960年に枚方市折り返しの各駅停車を京橋〜守口市間ノンストップにして旧区間急行と統合し、現在の区間急行になりました。

中之島線が開通する前は、天満橋行きが多数ありました。2008年10月18日に走った最後の天満橋行き、Q1503T列車は1503Fにこの板を付けて運行しました。

なお、表示板には終着駅だけを書いていたものと、区間の両端の駅を書いていたものがありました。

その昔、大津線にも急行があり、山科には待避線がありました。1981年までは京津線石山坂本線を直通する列車もあったのですが、浜大津駅の統合を前に廃止されました。かつての浜大津駅は、京津線のホームが現在の明日都浜大津ビルの位置に、石山坂本線のホームが現在よりわずかに内陸側にありました。京津線から乗り入れる石山寺行きの電車は、まず京津線のホームに入り、スイッチバックして石山坂本線のホームに入るという方法をとっていました。そのため、坂本方面へ向かう場合、京津線のホームで降りていったん改札を出て石山坂本線のホームまで歩くという方法をとっていました。

山科駅の待避線がなくなって以降、通過駅はあるものの途中で追い越さず先発先着のダイヤ、現在の名鉄瀬戸線のようなダイヤになりました。

淀駅は本来、急行の停車駅ではないのですが、京都競馬場の最寄り駅ということでレース開催日には臨時急行が運行されます。淀には車庫があるので、出入庫の関係で淀発着の急行があるのですが、これは普通の表示板を使います。

競馬開催日に運行される臨時列車は、それであることを示すため蹄鉄を描いています。似たようなことは京王電鉄でもやっており、5000系の「府中競馬正門前」行きの方向幕に蹄鉄を描いていました。

特急ヘッドマーク

意外に思われるかもしれませんが、運行開始当初はヘッドマークがありませんでした。ヘッドマークがついたのは1952年からで、それまでは「特急」の運行表示板をかけていただけでした。

1700系の時点ですでに取り付けられており、このタイプのヘッドマーク1900系まで使われていました。これはただ単にひっかけるだけ。

また、ドアの横に「特急」表示板をかけていた時期がありました。初代3000系に側面方向幕が装備されてからも、淀屋橋行きと三条行きしかないため「特急」だけ表示していましたが、8000系の登場に合わせて一般車と同じように「特急」と行き先を表示する方式に変わり現在に至ります。

改修前の初代3000系ではこのタイプのヘッドマークが使われていました。裏側に電球が仕込まれており、貫通扉に固定されていました。そのため、回送や特急以外の運用に入った場合、上から車体と同じ色の板をかぶせて隠していました。

8000系と、改修後の初代3000系はこのタイプのヘッドマークで、内側から貫通扉に差し込んで出すタイプに変わりました。回送や特急以外の運用に入る場合はヘッドマークを外します。

初代3000系のヘッドマークを外すと、同世代の一般車で見られる種別・行き先表示が出てきます。特急運用に入る場合は白い表示を出し、ヘッドマークのバックライト代わりにします。

現在、一般車が特急運用に入る場合は鳩マークを付けないのですが、以前は正月の臨時特急運用に入った格下げ改造後の1900系や運用変更で急遽特急運用に入った2200系に鳩マークを付けて運行したことがありました。

パワーウィンドウ

7200系と、セミクロスシート時代の9000系についている装備で、文字通りの装備ですが、京阪では9000系までで10000系以降では採用されず、また何のための装備なのかもわかりません。現在の車両は冷暖房完備なので付ける必要がないように思えます。

で、構造としてはどんなものかというと、窓をエアシリンダーで上下させるというもので、ボタンを押すと空気が抜ける音がして窓が下がります。運転席から一斉開閉できるため、車庫に入って窓を全部開けて換気するという使い方ができます。

ちなみに、阪急では8000系以降9300系までの全車両に装備されているほか、相鉄でも9000系まで、小田急では1000形にのみ装備されていました。京阪・阪急・小田急は空気式、相鉄は油圧式でした。

6000系ではありません

この形を見れば、誰もが6000系だと思うのですが、6000系ではありません。「実はこれ、7000系なの」…というのも、これはもともと6000系のVVVF試作車で、7000系の開発に当たっては6000系のVVVF試作車で取られたデータがフル活用されました。

旧6014Fの1〜3号車がVVVF試作車で、6014・6614・6114号車でした。通常、6000系は6000形と6100形で2両1組のユニットを組んでおり、京都方ユニットの6100形にパンタグラフはありません。ただ、このVVVF試作車の時点で各車両ごとに制御装置を積む方式を採用しており、6114号車にも制御装置が搭載され、パンタグラフがついています。また、通常動力車がユニットを組む場合は隣り合わせになっているのですが、旧6014号車と旧6114号車はユニットを組んでいないため、間に6614号車(付随車)を挟んでいます。

1989年以降に投入された車(6004〜6011Fの5号車、6012F〜6014Fの6号車*4)は、車体が7000系と同じで、8両編成のうち1両だけ7000系が入っているといってもおかしくないのですが、7004Fを投入する際、6014Fは編成内の制御方式を統一することになりました。その時にどのような方法をとったのかというと、6014FのVVVFを界磁位相制御に載せ替え、発生したVVVFを7004Fに載せるのではなく、この3両を丸ごと7000系に編入し、抜けた3両は界磁位相制御の装置を載せて新造投入して穴埋めをしました。その際に新造投入された車両は、車体が7000系と同じものになっていますが、先頭車も例外ではなく、さらに6014Fの残りの5両はそのまま残されたため、「京都方が7000系、大阪方が6000系」という珍妙な編成が出来上がってしまいました。7004Fは7004Fで、大阪方の4両は最初から7000系として竣工したため、逆に「京都方が6000系、大阪方が7000系」になってしまいました。

画面の右側が京都方で、車体はどう見ても6000系ですが京都方にパンタグラフがないため、7004Fだというのがわかります。また、車内の製造銘板には「川崎重工 昭和63年」と書いてあります。7001Fは平成元年に新造投入されたのに、なぜ7004Fには昭和63年製の車があるのか?と聞かれたら、「昭和63年に6014Fとして投入されたのが、VVVF試験車のみ7000系に編入されて7004Fになったから」と説明がつきます。

*1:ダブルスキン構造は他の構造と比べると重くなる傾向がある

*2:7200系は1C4M、3000系は10000系にならって1C2Mを2セット

*3:現在でも近鉄阪神・阪急でやっている。かつて阪急では梅田・三宮・河原町をただ単に「大阪」「神戸」「京都」だけ書いていたこともあった

*4:京阪では京都寄りから1号車、2号車…と振っていく